昨日、我が社中が薄茶席を受け持った利休忌の茶会が催されました。
私も無事にお点前をつとめることができました。
昨日中にご無沙汰中の当ブログで何らかのご報告をと思いながら、崩れるように床につきました。ところが、夜中に目が覚めると疲れすぎてかえって眠れず、ぼろ雑巾のような気分で出勤するや、山のような決算資料が職場に届いており、終結しないクライアントの税務調査の打ち合わせに税務署の統括官が訪ねて来たりと、嵐のような一日を過ごしました。
今日はこんな日でした。
もうろうとした頭に、茨木のり子さんの詩が、渦巻いています。
ぎらりと光るダイヤのような日(『見えない配達夫』所収)
短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の
お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう
(中略)
世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにもすくなかったことに驚くだろう
指折り数えるほどしかない
その日々の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう
〈本当に生きた日〉は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ
ふりかえって昨日の茶会が、私にとってぎらりと光るダイヤのような日であればよいと思います。
そうすると、お客様に対して、社中の皆様に対して、ダイヤのような日を過ごす手助けができただろうかと、不安にもなります。
昨日の茶会が「おもてなしの心」を尽くせたのかどうか反省して、改めてご報告できればと思います。