好奇心旺盛なおばさんのワクワク日記

勉学優先のセン業主婦!
遠くに見える富士山を眺めつつ、ワクワクしながら学習などにいそしむ日々を書き綴っています

多数決の功罪

2011-02-06 22:27:15 | 日記
民主主義の世の中、何かを決定するときに実施される制度の1つが投票である。
今日、名古屋でトリプル投票が実施された。
だからと言って、政治について論じようというのではない。

小さな団体では、投票もしくは議論さえも経ないで、いつの間にかなあなあで決定されてしまうことがある。
多数派の意見だけがまかり通る、その功罪についてよく考えてほしいのである。

少数派の意見というだけで握りつぶされてしまうことも少なくない。
たった一人の意見だって正しいことだってありうる!

どちらかに決定しなくてはいけないとき、ことを急がないでデータを集めて分析してから決めてね!とアドバイスをしても耳を貸してもらえないこともある。

[急いては事をし損じる!]


議論になってとしても、
今までこうだったから・・・
先輩がこういったから・・・
あの人がこう言っているからそのとおりにしていればいい・・・
周囲の顔色をうかがい自分の意見を言わない、いや、言えない。

専業主婦が多い集団ではありがちなことである。
もっと自分の頭でものを考え、自分で判断し、自分の意見を言おうよ!

決を採る時に、ただ周りを見て多数派に手を挙げるだけの存在にならないようにしよう!


[鶏口となるとも牛後となるなかれ!]
鶏口になれなくても、せめて自分の意見くらい持とうよ!

恒常的経済依存が精神的依存に繋がってるって言われちゃうよ!
せめて精神的には自立しよう!

[隗より始めよ!]
よし! まずは仮名遣いについて、小石を投げてみるとしよう!
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現代仮名遣いの「うなずく」と「うなづく」

2011-02-06 14:12:24 | ボランティア
最近いろいろな方のブログを拝見していて気になることがありました。
それは、「少しずつ」などを「少しづつ」と書いておられる方がいらっしゃることです。
ある百均の店頭には、「一個づつ」と書いてありました。

現在手がけている作品も、著者のこだわりと思しき仮名遣いがされています。
「うなづく」「少しづつ」「いなづま」「おのづから」「いかづち」など平仮名で書いてあるのです。

多分私と同世代の方々は、これらは歴史的仮名遣いで、書くときには「ず」と正しく書くようにと習っていると思います。
ところが、先日テレビのテロップで「づ」が使われていました。
一緒に見ていた息子に、「あれ間違いよね!」と言うと「いや、本でもづって書いてあること多いよ。」
とのことでした。
最近は若い人たちの間では、「づ」を使うことが慣用化されているのかな?と思っていました。


ところが昨夜開いたデータ入力用のテキストに、内閣訓令第一号なるものがありました。
昭和六十一年七月一日に告示された内閣訓令第一号の「現代仮名遣い」の項目に以下のように書かれています。

  (前略)



  (後略)


「書くことが出来る」ということは、ここに挙げられているものは現代仮名遣いとして許容される、ということになりますね。 
「ひとりづつ」が許容なら「一個づつ」も間違いではないことになりますね?

データ入力時にも注意すべきで、「うなづく」なども現代仮名遣いの許容範囲ですから、あくまでも著者の主義として「うなづく」と書かれていればそれを尊重すべきです。
「うなずく」と現代仮名遣いに直して書く、というのは感心できず、厳密に言えば著作権法上も問題となるかもしれません。


20年以上も前に告示された「内閣訓令第一号」が、昨年発行されたテキストの巻末資料として掲載された意義が納得できました。
入力作業に携わる私たちへの再確認を促すものですね

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