3月11日(土)鹿児島市五ヶ別府町の茂頭(もつ)観音様を訪ねました。
クラブ前踏切 画面外右手は踏切と公民館 以下の画像は3月11日に撮影

茂頭観音は人里離れた山中のため情報が少ない中、ネット内先達の情報に感謝申し上げます。
今回は上伊集院側から東側の道を進み、茂頭公民館先のクラブ前踏切を渡ってすぐの地点から西側へ歩きました。
ここよりもずっと鹿児島中央駅に近い場所(現在の広木駅)には、昭和32年から44年まで、人の乗降はできない広木信号場がありました。
複線化が進む昭和44年から45年には茂頭信号場が設置されました。当時この辺りの踏切事故でSLが脱線転覆し機関士が亡くなった記憶があり、ネット検索しましたが判りませんでした。
立入禁止? 農業用水の管理施設 この先は軽トラ道

いきなり立入禁止の看板がありましたが、左側の水利施設への立入禁止でした。用水路に沿って上流部へ、雑草と落葉のコンクリート舗装道路を歩きます。
林を抜けた先に今も残る水田地帯

電車の走行音が数回聞こえましたが、軽く警笛が鳴ってすぐにトンネルへ入る感じでした。
耕作時期以外も車が通るらしい

水路沿いには木や竹が生い茂り、その上は高いシラス崖。道路には所々で木や竹が倒れ込んでいます。道は平坦なので、無理に車で走らない方が賢明です。
茂頭観音入口 案内板の右側山手に進む

道の先には軽トラが1台止まり、荷台では小さな携帯ラジオが大音量を放ち、人の姿は見えず足音も聞こえず。後では犬の鳴き声がしたので猟の人でしょうか。
入口に鳥居らしきもの

なぜか一部壊れたような鳥居が立っていました。右手には掃除道具が置かれ、画面外右手には小さな小屋もありました。
鳥居左手の案内板
茂頭観音(もつかんのん)
言い伝えによると、伊集院の雪窓院(16代義久・17代義弘の母の菩提寺)の住職伊東稔法和尚の子・祐義は、享保14(1729)年この地に寺を開山し、それ以来ここを寺山と呼ぶようになったといわれます。
雪窓院は、曹洞宗の寺院で聖観音を本尊としているので、この観音も当時のものではないかと、考えられます。高さ約1.2m横約2mもあり、地元の人々は寺山観音と呼んで、毎年六月燈を行って供養をしています。
市内でも、このような豊満で美しい観音像は珍しく、近くの磨崖にある刻銘から、寺山を開山するにあたり、先ず山を切り拓くため山神を祀り、そのあと観音像を安置したのではなかろうかと考えられます。
良く管理された階段

昔ながらの石段の他、枕木階段もあり良く管理されており勾配も急でなく、息が上がることはありませんでした。
鳥居から5分程度で着いた 思ったよりも近かった

かなり高い場所かと思いましたが、ゆっくりとビルの4~5階へ上がる感じでした。
茂頭の観音様 高さ約1.2m横約2m

定期的に管理されているようで花が飾られ、箱の中には線香と着火器材もありました。
豊満な優しい姿

大切に管理されてきたようで風化は感じられず、ふっくらとして優しい表情です。いつか訪れたいと思いながら今日になりました。大切に管理されてこられた方々には深く感謝申し上げます。
大きな岩に彫りこまれている

巨岩と言うほどではありませんが、岩塊を利用して彫り込まれたもののようです。
すぐ西側は尾根筋の感じ

やや急勾配ですが、獣道をたどれば尾根に出て西側の松元町春山側に出られそうな気もしますが・・・落葉で足元が悪く、尾根を越えても向こう側に道がありそうには思えません。
1時間近く待つが・・・観音様に日差しは届かず

すでに季節は春、冬場と違い太陽高度が高くなっているためか・・・木間を通して観音様に日差しが届くことはありませんでした。
水路沿いに多かったフキ

日当たりが悪く勢いは弱いものの、あちこちで花が咲いていました。サツマイナモリの白い花も少し見かけました。
帰り道 一本だけ見かけたツバキ

シラス崖が影響しているのか、開花まで年数のかかるツバキは少ないようです。木曜日の雨がまだ潤いを残し、春本番の風景でした。
この後、帰り道に「饅頭石」に立ち寄りました。
クラブ前踏切 画面外右手は踏切と公民館 以下の画像は3月11日に撮影

茂頭観音は人里離れた山中のため情報が少ない中、ネット内先達の情報に感謝申し上げます。
今回は上伊集院側から東側の道を進み、茂頭公民館先のクラブ前踏切を渡ってすぐの地点から西側へ歩きました。
ここよりもずっと鹿児島中央駅に近い場所(現在の広木駅)には、昭和32年から44年まで、人の乗降はできない広木信号場がありました。
複線化が進む昭和44年から45年には茂頭信号場が設置されました。当時この辺りの踏切事故でSLが脱線転覆し機関士が亡くなった記憶があり、ネット検索しましたが判りませんでした。
立入禁止? 農業用水の管理施設 この先は軽トラ道

いきなり立入禁止の看板がありましたが、左側の水利施設への立入禁止でした。用水路に沿って上流部へ、雑草と落葉のコンクリート舗装道路を歩きます。
林を抜けた先に今も残る水田地帯

電車の走行音が数回聞こえましたが、軽く警笛が鳴ってすぐにトンネルへ入る感じでした。
耕作時期以外も車が通るらしい

水路沿いには木や竹が生い茂り、その上は高いシラス崖。道路には所々で木や竹が倒れ込んでいます。道は平坦なので、無理に車で走らない方が賢明です。
茂頭観音入口 案内板の右側山手に進む

道の先には軽トラが1台止まり、荷台では小さな携帯ラジオが大音量を放ち、人の姿は見えず足音も聞こえず。後では犬の鳴き声がしたので猟の人でしょうか。
入口に鳥居らしきもの

なぜか一部壊れたような鳥居が立っていました。右手には掃除道具が置かれ、画面外右手には小さな小屋もありました。
鳥居左手の案内板
茂頭観音(もつかんのん)
言い伝えによると、伊集院の雪窓院(16代義久・17代義弘の母の菩提寺)の住職伊東稔法和尚の子・祐義は、享保14(1729)年この地に寺を開山し、それ以来ここを寺山と呼ぶようになったといわれます。
雪窓院は、曹洞宗の寺院で聖観音を本尊としているので、この観音も当時のものではないかと、考えられます。高さ約1.2m横約2mもあり、地元の人々は寺山観音と呼んで、毎年六月燈を行って供養をしています。
市内でも、このような豊満で美しい観音像は珍しく、近くの磨崖にある刻銘から、寺山を開山するにあたり、先ず山を切り拓くため山神を祀り、そのあと観音像を安置したのではなかろうかと考えられます。
良く管理された階段

昔ながらの石段の他、枕木階段もあり良く管理されており勾配も急でなく、息が上がることはありませんでした。
鳥居から5分程度で着いた 思ったよりも近かった

かなり高い場所かと思いましたが、ゆっくりとビルの4~5階へ上がる感じでした。
茂頭の観音様 高さ約1.2m横約2m

定期的に管理されているようで花が飾られ、箱の中には線香と着火器材もありました。
豊満な優しい姿

大切に管理されてきたようで風化は感じられず、ふっくらとして優しい表情です。いつか訪れたいと思いながら今日になりました。大切に管理されてこられた方々には深く感謝申し上げます。
大きな岩に彫りこまれている

巨岩と言うほどではありませんが、岩塊を利用して彫り込まれたもののようです。
すぐ西側は尾根筋の感じ

やや急勾配ですが、獣道をたどれば尾根に出て西側の松元町春山側に出られそうな気もしますが・・・落葉で足元が悪く、尾根を越えても向こう側に道がありそうには思えません。
1時間近く待つが・・・観音様に日差しは届かず

すでに季節は春、冬場と違い太陽高度が高くなっているためか・・・木間を通して観音様に日差しが届くことはありませんでした。
水路沿いに多かったフキ

日当たりが悪く勢いは弱いものの、あちこちで花が咲いていました。サツマイナモリの白い花も少し見かけました。
帰り道 一本だけ見かけたツバキ

シラス崖が影響しているのか、開花まで年数のかかるツバキは少ないようです。木曜日の雨がまだ潤いを残し、春本番の風景でした。
この後、帰り道に「饅頭石」に立ち寄りました。
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