兵庫県の某市内の生活保護受給世帯のうち、年収1000万円以上の親やきょうだいらを持つ世帯が
77世帯あったとか。
生活保護の支給を決定する際、市は2親等以内の親やきょうだいらに支援を求めるが、扶養できないとした
親族からの書面の回答の結果だそうな。
78人が、世帯の合算年収が1000万円以上としながら、「住宅ローンで余裕がない」「教育費がかさむ」などとして扶養を断っていたという。
78人のうち仕送りをしていたのは8人だったそう。
また、市の職員のうち33人が扶養義務がありながら、同様の理由を挙げて、扶養を拒んでいたとか。
仕送りは4人にとどまるという。
同市の受給世帯は6月末時点で、1万2914世帯(1万7780人)とか。
生活保護を求めながら、公的機関に、拒否されたりして、餓死した人があいついでいる。
また、生活保護を求めることもせず、ひっそりと亡くなって行った人も最近のニュースで取り上げられていた。
親族がいれば、扶養しろ。というのはわかるが、年収が余裕あれば、扶養するのが当然のような、記事の
扱いには、不満がある。
世帯収入300万円以内は、貧困家庭らしい。
世帯収入1000万円もあったらと思う。
しかし、それが、扶養できるかどうかは、金銭の額の問題ではないのは、当然ともいえる。
金銭の額だけで、扶養を押し付けられるのは、当事者にとっては、心外だろう。
よく「童話」のサイトをみにく。
今日の童話のなかに
イスラエルの童話の紹介があった。
「本当はやさしい、けちな大金持ち」という題。
寄附金でも、ひっそりと、せっせと寄附金活動をする人。
ぽんと、大金を施設とかに贈与する人。
色々な寄附のよびかけに、率先して応じている人。
さまざまいるけれど、決して強制ではない。
強制されると、出したくないという人もいるだろう。
自助努力とか、自主性とかいいながら、丸め込むようなのは、御免こうむる。
年収1000万あったら、親族を扶養できるかと問われたら、「検討します」かな。
けちな大金持ちになってみたいもの。