食い倒れの街の顔が消えるかもとのニュースがあった。
大阪の地下街に行ったことがあった。
大阪在住の人に、連れて行ってもらったので、店名は記憶にない。
止まり木に、10人くらいでいっぱいのなるくらいの店だったか。
カウンターに山盛りのキャベツが、並んでいたのが、強い印象になっている。
生でかじったキャベツの甘味が今でも忘れられない。
それまで、キャベツは油いためか、千切り、湯通しに、醤油を垂らすか、マヨネーズをかけるのが
多かった。
タレが山盛りキャベツの横に「2度つけしないで」との添え書きのそばにあって、いくらでも、食すことができた。
キャベツの甘さを、その時初めて知り、それ以来、まずは、生で食すようになった。
そして、それ以来、生で食せる物は、一度生で味わうようになった。
口直しに、その後に醤油をつけたり、はするものの、素材の味を楽しむ喜びに夢中になった。
関東に戻り、内陸に居を構え、生食に会う機会が減って、あの時のおいしい素材を味わう楽しみが
なくなってしまった。
先日、海の近くの宿に泊まる機会にあって、刺身や、焼き魚を口にする機会を得た。
けれども、舌が変わってしまったのか、刺身たちの味が変わったのか、美味しいと思えなかった。
少しだけ、口をつけて、皿の刺身がたくさん残った。
周りの人たちは、「美味しい、美味しい」と食すので、「美味しくない」とは言えなかった。
何度も、お造りを食す機会を共にしてきた、知人は「刺身ダメなんだよね」と言い訳してくれた。
「そうじゃない、本当は、大好きなんだけど、美味しいと感じないから、食べないんだよ」と言いたかったけれど、言葉を飲み込んだ。
「刺身嫌い」とのレッテルを貼られた、刺身大好き人間なんですが、と言いたいけれど誰も理解してくれない。
こちらの舌が、たとえば、養殖物に慣らされたのか、それは、わからない。
幼いころに食べた、刺身のおいしさは、記憶にあるだけになった。