ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

なま物

2013-04-24 17:10:54 | 日記

食い倒れの街の顔が消えるかもとのニュースがあった。

大阪の地下街に行ったことがあった。

大阪在住の人に、連れて行ってもらったので、店名は記憶にない。

止まり木に、10人くらいでいっぱいのなるくらいの店だったか。

カウンターに山盛りのキャベツが、並んでいたのが、強い印象になっている。

生でかじったキャベツの甘味が今でも忘れられない。

それまで、キャベツは油いためか、千切り、湯通しに、醤油を垂らすか、マヨネーズをかけるのが

多かった。

タレが山盛りキャベツの横に「2度つけしないで」との添え書きのそばにあって、いくらでも、食すことができた。

キャベツの甘さを、その時初めて知り、それ以来、まずは、生で食すようになった。

そして、それ以来、生で食せる物は、一度生で味わうようになった。

口直しに、その後に醤油をつけたり、はするものの、素材の味を楽しむ喜びに夢中になった。

関東に戻り、内陸に居を構え、生食に会う機会が減って、あの時のおいしい素材を味わう楽しみが

なくなってしまった。

先日、海の近くの宿に泊まる機会にあって、刺身や、焼き魚を口にする機会を得た。

けれども、舌が変わってしまったのか、刺身たちの味が変わったのか、美味しいと思えなかった。

少しだけ、口をつけて、皿の刺身がたくさん残った。

周りの人たちは、「美味しい、美味しい」と食すので、「美味しくない」とは言えなかった。

何度も、お造りを食す機会を共にしてきた、知人は「刺身ダメなんだよね」と言い訳してくれた。

「そうじゃない、本当は、大好きなんだけど、美味しいと感じないから、食べないんだよ」と言いたかったけれど、言葉を飲み込んだ。

「刺身嫌い」とのレッテルを貼られた、刺身大好き人間なんですが、と言いたいけれど誰も理解してくれない。

こちらの舌が、たとえば、養殖物に慣らされたのか、それは、わからない。

幼いころに食べた、刺身のおいしさは、記憶にあるだけになった。