最寄駅から3つ目の駅の近くに、こんな立看板があった。
かつての空襲の爪痕は、いまだ、近隣の地中に眠っている。
今年は戦後69年になる。
時折、「不発弾を処理するので」というニュースがある。
先日も、線路の近くで不発弾の処理をするので、電車が運行を中止するとの、ニュースがあったばかり。
戦後の、不発弾の処理にも、近隣の立ち入りを禁止したり、避難したり、何人くらいの人が立ち会うのかはしらないが、 いつも、無事に処理されてきた。
戦後は、年々、遠い記憶になっていくものの、まだ、完全には、終わっていないのだ。
薄れていく戦争の記憶。
戦争を知る者、体験をしたものも、年々減ってきている。
戦争をしらないこどもがすでに大人になっている。 戦争を知らない者がどんどん増えていることが、記憶の薄れていくことで、問題はないのか。
時折見つかる、不発弾。
かつてこの地で戦争があった。
かつて、この地に、爆弾が降り注ぎ、沢山の非戦闘員やこどもが犠牲になった。
そうした証言のために、地中からよみがえってくるのか。