大正生まれの母は、何でもとっておいた。
捨てることは、もったいないと何か捨てに行っても、逆に拾ってくることも、しょっちゅうだった。
似ているのか、影響を受けたのか、捨てるのが惜しいという、ため込みやの性分になった。
借家に移り、以前の半分以下の家になってからは、さすがにため込むと、物があふれて、場所をとるばかり。
「もったいない」なんて言ってられないので、時折、意を決して、物を捨てるようになった。
随分、家の中が片付くようになったものの、それでも、いまだに捨てがたい物はあり、半分以下に減った
納戸の中を占領している。
納戸からはみ出すようになったら、また、意を決して処分をしようと思う。
しかしながら、小さいころは、母の影響もあって、捨てることには罪悪感さえあった。
1年使わなかったら、不用品と言われることもあったが、3年も4年もたってから、あれを使おう。
あれが使えるということも時には起こるので、よっぽどでないと捨てられなかった。
バブルの最盛期は、使い捨てという商品も増えたし、捨てることがステータスという風潮もあった。
捨てないと、「ケチ」とか「貧乏人」扱いもされた。
バブルがはじけて、ようやく「もったいない」自然の災害の前に、節約とか、物を生かすとか、リサイクル
とかが、ようやく、普通のこととして扱われるようになったのかなと思う。
しかしながら、「どんどん捨てよう」という時代に、子ども時代を過ごしてきた、若者は、そうそう物を大切にという気持ちは、育まれてこないかった。
育まれることが、難しかっただろうと思う。
そうしたつけが今、回ってきているような気がする。
大事にしないどころか、消費することになんとも感じない若者が、そして、そういう若者を育てた、年配者がふえてきている気がする。