野見宿禰神社と案内板
歴代横綱の碑
大相撲名古屋場所は波乱に満ちている。横綱3人、新大関一人が相次いで休場し関脇御嶽海が先頭を走っている。戦国時代みたいでこれはこれで興味が湧く。
このところよく行く両国界隈の北斎通りの路傍に小さな神社があり、立て看板が立っている。読むとはなく読んでみると野見宿禰神社とある。あの相撲の起源となった神様だ。
面積100平米くらいの小さな神社だが3,4段の石段を上がってみた。玉垣には寄進者の名前が刻まれている。石柱には大日本相撲協会と朱字で刻まれている。大とついているので戦前のものとおもわれる。
境内には歴代横綱の碑が2基あり、二基のうち一基には初代明石志賀之助から46代朝潮太郎まで、もう一基には47代柏戸剛以降稀勢の里寛の名前が刻銘されている。
ネットで調べてみると、年3回の東京で行われる本場所の取組編成会議終了後に出雲大社東京分祠の神職のもと、協会執行部と審判部幹部、各一門の審判委員や相撲茶屋関係者などにより例祭が執り行なわれている。また、新しく横綱が誕生した際には、神前で土俵入りを披露する慣例となっているそうである。
何気なく立っている神社にもこうした来歴、故事があるのは流石に江戸である。
間口一間ほどの石段入り口
由来を記す銘板