去年12月29日、宜野湾のいつもの事務所でガジ丸ブログをアップした後、元気かなぁと思って半年ぶりくらいに知人のHさんに電話した。「会えますか?」と訊くと「午後から用事があって出るところだからA店で会おう」となる。約束の時間が近くなったので出ようとすると、2階にある喫茶店の店主とお手伝いのUさんに会った。
Uさんから「今日これから普天間基地の被害に抗議する市民大会がある」といった内容のことを聞く。その後、A店でHさんと会い、コーヒー飲みながらしばし会話する。Hさんはベテランの平和運動家だ、一緒に市民大会に参加した。
私は、誰かに誘われてということはあったかもしれないが、自ら進んでこういった大会に参加したことはこれまで無く、今回が初参加であった。私の政治的立場はかつての革新系であり、現在のオール沖縄である。これまで何十回も選挙に投票しているが、自民系に投票したのは30年ほど前の沖縄県議選で、知人に頼まれての1回だけ。
そんな私なのに、反基地関連の市民大会に参加してこなかったのは、若い頃はどうだったか覚えていない(おそらく、そんなことより女とギャンブルだったと思う)が、オジサンとなってからは「米軍基地の全面撤去」に対し少々違和感があったから。無防備に対する違和感である。戦争したがっている国があるだろう、それに対する抑止力はどうする?泥棒や強盗などに対する警察と同じような組織は必要だろうと思っている。
それともう1つ、無力感というのもある。相手は日本国であり、アメリカ国である。抵抗してもいずれは向こうの思うようになってしまうだろう、という無力感。
大会の会場は宜野湾市役所の門前、「大会」という名の集会にするには狭い場所だ。Hさんと私は開始時刻の約30分前に着いた。主催者側は会場の準備中、狭い場所には既に多く(ざっと数えて100名ほど)の人が集まっており、さらに増えつつあった。
「あの人が○○さんだよ・・・」とHさんは政治家や学者の数名を私に教えてくれた。政治家の中には現役国会議員もいて、それは私も知っていたが、その内1人はHさんに寄ってきて握手をし、ついでに私も握手をして貰う。Hさんはそれら有名な人以外にも多くの人と挨拶を交わしていた。そうやって挨拶を交わしている時はみんな笑顔であった。
大会が始まると笑顔は概ね消えて、みんな壇上で語る人の声に真剣に耳を傾ける。中には、語り手の言葉に「そうだ!」と賛同の声をあげる人もいる。私はというと、語り手の言うことは概ね想像できていたので、真剣に聴くというほどのこともなく、賛同の声をあげることは全く無い。「こんなことで国が動くのか?」と冷めている。
市民大会に参加している人々には、基地の危険を我がことのように感じている人もいたであろう。沖縄に対する差別待遇に腹を立て続けている人もいたであろう。そういったことが平和運動への情熱となっているのかもしれない。
もちろん、壇上で語る人々の主張に、私も概ね賛同してはいる。普天間基地は撤去すべきで、その代替施設を辺野古に造ることも反対である。そういった立場にある署名活動があれば、これまで何度も署名はしている。しかし、私は情熱不足。今年は平和運動についてもっと真面目に勉強していきたいと思っている。
記:2018.1.5 島乃ガジ丸
今週のガジ丸通信は2題、先の『できちゃった工事』に続いて、宜野湾市民フォーラム木曜会が主催する第5回市民シンポジウムについての感想。
先週火曜日(6月20日)、宜野湾市民フォーラム木曜会が主催する第5回市民シンポジウムがあった。今回は辺野古で実際に抗議活動している人、北上田毅氏が講師、辺野古の先行きに関して私は関心を持っているので、万難を排して参加した。
第5回市民シンポジウムのタイトルは「辺野古、現場からの提言」で、辺野古の現状、新基地建設工事の進捗状況、これからの反対運動について講師は語った。これについての感想は『できちゃった工事』で述べた通り、「国はインチキしやがる」と思った。
もう1つ、それとは逆に嬉しい気分になる報告もあった。その日、辺野古現場からもう1人(女性)参加していた。名前や何者かなどは聞き逃してしまい不明。北上田氏の講義が終わり、参加者との質疑応答も終わって、会の終わりに彼女が現在の辺野古の映像を見せてくれた。スクリーンに映ったのは抗議活動する人々とそれを阻止する海上保安庁の人々。前に映画で見た同じような場面ではお互いの怒号が飛び交っていたが、今回のは割と静かだった。静かに抗議し、静かに排除する、そのことが私には嬉しかった。
「敵に塩を送る」という言い回しがある。「(上杉謙信が、塩不足に悩む宿敵武田信玄に塩を送って助けたという故事から)苦境にある敵を助ける。」(広辞苑)という意。
中学だか高校だかの歴史の授業で、あるいは、NHKの大河ドラマでそれを知って、私は大いに感動した覚えがある。私がサムライ魂を好きになった1因になったと思う。私の思うサムライ魂とは「正々堂々、インチキしない、潔い、相手の弱みに付け込まない」などといった倫理観であろうと、後年、年を取ってから認識できるようになった。
「敵に塩を送る」はまた、「闘う相手であろうと、彼は自分と同じ人間である」ことを認めているからできること。「我も人なり、敵も人なり」と言っているようである。敵を犬畜生と思えば「どんな卑怯な手段を使ってでも勝ってやる」となるだろうが、敵を(尊敬できる)人と思えばそうそう卑怯な手段は使えない。好敵手と言われた二人、正面から対峙し闘い続けた二人、信玄も謙信も互いを尊敬し合っていたのだろう。
現在の辺野古の映像を見せながら辺野古から来た女性、H(としておこう、辺野古なのでという安易な理由)さんは映像について少し解説した。
「警備の海上保安庁の人は、以前は手荒いこともしたけれど、最近は優しいです。このあいだ、私のカヌーが転覆させられましたが、それは故意ではなく、保安庁の人がすぐに助けてくれ、申し訳ないと謝ってくれました」などといったようなことを語った。
「これだぜこれ」と私はとても嬉しくなった。以前の映画の中の抗議活動場面を観た時は、「同じ人間同士が、同じ日本人同士が、ましてや同じウチナーンチュ同士が掴みあったり、蹴り合ったり、罵り合ったりしてどうする!」と悲しい思いがした。それに比べると最近の辺野古現場は、闘いは闘いだろうけど、「我も人、敵も人」といった気分が流れているようである。「それこそ大事、それこそ平和への道」と私は思う。
記:2017.6.30 島乃ガジ丸
「妊娠したみたい。」
「えーっ!俺以外の男とも付き合っていたのか?」
「何バカ言ってんのよ、あんたの子供よ。」
「えーっ!まだ3回しかやってないぞ、しかも、2回はゴムやっていたし、あとの1回だって、『安全日だから大丈夫』って言ってたじゃないか。何でだ?」
「安全日じゃ無かったみたいさぁ、勘違いだったみたい。」
「えーっ!」と言って、男は天を仰ぎ、「えーっ!」と言って、男は頭を抱え、「えーーーーっ!」と最後は絶望的な声をあげ、男はベッドに倒れ込んだ。女はゆっくりと男の後を追い、男の傍に座り、小悪魔的な笑みを浮かべながら言った。
「ねぇ、どうしよう?」
「どうしようって、どうするんだよー!」
「できちゃったものはしょうがないよね。」
「しょうがないって、お前、・・・お前もしかして・・・そりゃ反則だぞ!」
などと前置きが長くなったが、ここからが本題。
先週火曜日(6月20日)、宜野湾市民フォーラム木曜会が主催する第5回市民シンポジウムがあった。木曜会が主催する市民シンポジウムは、過去の全てに参加している私、しかも、今回は辺野古で実際に抗議活動している人が講師、ぜひ、参加したいと思ったのだが、ちょっと悩んだ。フォーラムは火曜日の夕方、その時間帯には私の大好きな豆腐屋の池田屋が行商に来る、池田屋の豆腐は食べたい、と思ってちょっと悩んだ。ということも余計な話だった。とにかく、その日、豆腐を諦めてシンポジウムに参加した。
第5回市民シンポジウムのタイトルは「辺野古、現場からの提言」で、内容は、大まかに言うと新基地工事の進捗状況。講師は、進捗状況を述べ、工事の違法性を説き、そういった中で、基地建設反対運動のこれからを語った。
私が「えっ?」と思ったのは「工事の違法性」。おとぼけ官房長官が「我が国は法治国家である・・・工事は粛々と進める」と何度か言っているので、政府はきちんと法を守っているのかと思っていた。しかし、辺野古新基地工事は違法だらけらしい。
具体的には、岩礁破砕許可が切れたままでの工事強行、設計概要変更申請を行っていない、実施設計、環境保全対策の事前協議を行っていない、環境保全策変更の知事承認を得ていないなどであった。そして、それらよりも私にとって判り易い違法が別にあった。
辺野古は現在、護岸工事における護岸の基礎部分となる捨石作業が行われているとのこと。捨石となる石材は、汚濁防止のため洗浄しなければならないらしいが、それがなされていないようであるとのこと。勤め人だった頃、私は公共工事の書類作りを何度もやっている。それで、設計図書通りに施工することは請負業者の義務であると知っている。
護岸工事の発注者は沖縄防衛局、受注者は本土の大手ゼネコン、発注者受注者共にちゃんとしたところ。それが杜撰な施工のままで許し許されている。何故か?
「ちゃんとやっていたら時間がかかる、洗浄など省いてとにかく早く埋め立てよう。埋め立ててしまえばもう元には戻らない。後の祭りだぜ」ということか?と疑う。
記:2017.6.30 島乃ガジ丸
ヌーは「何」の沖縄語読み。ナトーガはナトーンに疑問のガがくっついたもの。ナトーンは「成っている」という意。ということで、ヌーナトーガは「何になっているのか?」となり、概ねの意味としては「どうなっているの?」となる。
同じく「どうなっているの?」の意味ではチャーナトーガも使う。チャーは「どう」という意味で、ヌーより和語の意味に近くなる。私は沖縄語の専門家でもなく、沖縄語に精通している素人でもないので、正しいかどうか自信はないのだが、チャーナトーガはより冷静的で、ヌーナトーガはより感情的なニュアンスを私は受ける。
現場仕事でミスが起きた場合、冷静な現場監督は「チャーナトーガ?」と作業員に問いかけ、その対処策を考える。感情的な現場監督は「ヌーナトーガ!」と怒鳴る。といったニュアンスの違いを私は感じる。素人の私なのでそれが正確かどうかは不明。
テレビ観ない、新聞読まない私だが、世間のニュースはラジオで聞いている。3月から4月半ばまで介護施設の運転手というバイトをしていて時間の余裕はなかったのだが、車のラジオでニュースは朝夕ともに聴いていた。そんな中で「チャーナトーガ?」、「ヌーナトーガ!」と思わず口から出るような、気になるニュースもあった。
先ずは共謀罪、共謀罪って前にも審議されて廃案になったのでは?とおぼろげに記憶している。共謀罪が何とかいう名前に替えられて今、審議中とのこと。犯罪を計画し、それを実行しようと準備した段階で逮捕できるらしい。それって怖くない?という感想。
それから、自衛隊による隠し事というニュース。はっきりとは覚えていないが、確か、スーダンだったかどこかの紛争地帯で活動する自衛隊が、その日報を隠匿したとかいうニュース。文民統制ができていないんじゃない?大丈夫か?という感想。
共謀罪についての感想はまだある。先日、近所の先輩農夫Nさん(テレビでも新聞でもその類のニュースはよく観て、よく読んでいる人)とユンタクしていて、共謀罪の話になって、彼からいろいろ詳しい情報を頂いた。
「オリンピックに向けてのテロ対策だそうだ。」
「オリンピックって2020年でしょ、まだ早いでしょ、何で今なの?」
「急いでいるのはたぶん、オリンピックだけじゃないからだろう。辺野古に反対する市民団体も取り締まれるようにという考えだろう。辺野古は急いでいるからな。」
「あっ、そういえば今日のニュースで、街に設置する監視カメラを大幅に増設するというのがあったけれど、それも市民団体取り締まりに関連しているかもね。」
「そうかもな。訳の分からない内に市民が逮捕されるなんてことがあるかも。」
平和のために運動している市民が、本物のテロリストに話しかけられ、そうとは知らず親切に受け答えしているところを監視カメラに撮られ、ある日突然逮捕される。
「ヌーナトーガ?」という言葉はそんな時に使える。ロシア、アメリカ、中国などケンカ好きの指導者が多い中、荒れ心臓総理も同じ種に見える。この先、共謀罪を強行採決して、辺野古新基地建設も強硬に進め、さらにヌースル(何する)つもりだろうか。
記:2017.4.28 島乃ガジ丸
3月から介護施設のバイトをやっていて週に4日、1日5時間ばかりそれに時間を割かれている。それに加え、雨が多かったせいで畑仕事があまりできていない。畑仕事は進んでいないが、その代わりガジ丸記事書きが進み、植物動物の説明文書きが、それぞれ3~4種できている。引っ越しで忙しいなどの理由で一時期、毎週金曜日にアップする記事が「多忙のため休み」もしばしばあったガジ丸記事については、もう左団扇の余裕。
もう1つ、私は2週間に1回図書館に通い、沖縄の動植物の図鑑を借りて上記の「植物動物の説明文書き」をしているが、本以外にDVDもたいていは1回に3本借りている。3本借りて、2週間でそれを全部観ることは稀である。映像を観ることが好物というわけではないので、よほど興味をそそるものでない限り、「暇があれば」という条件が付くので観ないで返すことも多い。それが今回は2本は早送りしたが、1本はじっくり観た。
じっくり観た1本(残る2つに特に感想は無い)、『あの日僕らは戦場で』はとても興味深く観賞できた。NHK制作のドキュメンタリー兼アニメ。番組の内容は護郷隊という少年兵士たちの証言とその周辺の取材を映し、それを基にした戦争物語を描く。
国は、国の為なら民衆を虫けら扱いする。ここで言う国とは、けして日本の国土のことではなく、国を牛耳っている支配者層の命と財産のこと。彼らは、これを守るためなら他のものなどどうでもいいと思っているようだ。このDVDを観た翌日、
3月19日(日曜)、第一回市民シンポジウム「今、何をなすべきか」というタイトルの講演、及び討論会に参加した。講演は「辺野古埋め立て承認撤回の意義と法的展開」というタイトルで、沖縄大学客員教授の憲法学者、小林武氏が講師。
場所は小さな喫茶店、そこにざっと数えて30人余の人が集まった。主催は、今はまだ無名の宜野湾市民フォーラム木曜会という団体。無名の団体が小さな喫茶店で開く地味な催し物に30人余の市民が集まる。関係者の友人知人ばかりかと思われたが、会が進むにつれてそうでない人もいることが判り、そうであるらしき人たちも普通の人・・・学者でも政治家でも平和運動家でもない一般の人が多いことが判った。
講演の主題はタイトル通り。翁長県知事による「辺野古埋め立て承認撤回」が辺野古新基地建設を中止させる、あるいは延期させることに果たして効果のある戦略なのかどうかについて。それは私のような貧乏農夫でも気になっていたことであった。
効果のある戦略なのかどうかについてはシンポジウムでも明快な答えは出なかった。効果は多少あるかもしれないが、これがまた裁判になった時、今の司法が国家権力寄りである限り裁判で勝てる可能性は低いかもしれないとのこと。国がどう出るか。
私が荒れ心臓総理なら、衆参とも与党が多数を占めている今の内に特別立法を成立させる。「国土防衛特別法」とか何とかの名前で、国家防衛に関わることにおいては地方自治の意向に関わらず国が決めて良しといったもの。「現在、日本国周辺に置いて有事の発生する危険度が高まっている」という理由付けで強引に進めるかもしれない。
シンポジウムでは「選挙に置いて沖縄県民の意思を示すことが大事」とも意見が出されたが、私は、喩え荒れ心臓が辞めたからといって状況はそう変わらないと思う。この国を牛耳っている巨大な黒幕は永田町ではなく霞が関にいるのではないかと想像する。
記:2017.3.31 島乃ガジ丸