先週土曜日、高校の同級生仲間の忘年会があった。街へ出るついでに桜坂劇場へ寄り、映画を観た。10月まではしばらくご無沙汰していたが、今月2回目の映画観賞。
映画は『殯の森』、外国の映画祭で賞を貰ったということをテレビからの情報で知っており、興味があったのと、この殯という字が読めなくて、意味ももちろん解らなくて、日本文学科出身の私としては「おぬし何者?」ということでも興味を持った。
で、調べる。いつものように広辞苑。殯は「もがり」と読み、「あらき」と同意とのこと。で、「あらき」は荒城、及び殯と書き、「貴人の本葬をする前に、棺に死体を納めて仮に祭ること。また、その場所。」とあった。
映画は、老人が30年前に死んだ妻の墓を探す場面に多くの時間が使われている。なので、それが主題だと思われる。老人にとって妻は最も愛する人で、大切な人、尊い人ということから、妻は彼にとって貴人といっても良い。探し当てた妻の墓はちゃんとした墓では無く、山の奥深く、棒が1本立っているだけの土の中なので、仮に葬った場所ということが言える。おー、だから『殯の森』であるかと納得する。
墓探しをしている場面を見ていて疑問が湧いた。妻は何故、山中に埋められたか?ということ。さては、殺して埋めたのか、男はそれをずっと後悔していて、以後の人生を無為に生き、などと妄想し、映画にのめり込んで行く、・・・はずだったが、
妻の墓探しをする老人と、その共をする若い女との山歩き場面はドキュメンタリーでは無く、物語である。しかし、その場面はまるでドキュメンタリーのように現実が頻繁に出てきた。「あっ、そこにカメラマンがいる」と感じさせたのだ。画面がたびたびぶれる。一緒に山歩きをしているカメラマンのハンディーカメラがぶれているのだ。画面がぶれるたびに、「なんだい、そこにスタッフがいるじゃんかよー!辛くも苦しくも無いじゃんかよー!」と私は現実に引き戻された。で、映画にのめり込めなかった。残念。
それはさておいて、前に観た『久高島オデッセイ』でも感じたが、この映画からも「生きるということは感謝すること」なのではないかと感じた。土に眠る老人と、オルゴールのねじを回し続ける女は共に「ありがとう」と言っているみたいであった。
『殯の森』は、人間の生と死をテーマにした荘厳な映画でした。
ちなみに、私自身は「生きるということは感謝すること」などと思っているわけでは無い。まだ未熟者の私は、「生きることは食って、糞して、寝る、など生活すること」としか思っていない。それでも、多少は謙虚さを持ち合わせている私は、生活の糧を得られる仕事があることに感謝しているし、親戚友人知人が付き合ってくれていることに感謝しているし、健康な体であることには大いに感謝している。ありがとう。
記:2007.11.30 島乃ガジ丸