ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

浦添運動公園

2010年11月26日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 友人Hの店の近くには浦添運動公園と浦添大公園があり、浦添大公園は時々、浦添運動公園はたまに散歩している。数年前までは、その散歩のついでにHの店に寄ることが多かったが、ここ2、3年は、Hの店に行ったついでにそれらの公園に寄ることが多かった。そしてごく最近は、Hの店に行っても、散歩はしていない。
 Hの店に行くのは、インターネットを利用するために私自らの都合で行くことが多いのだが、稀には、H、またはHの女房E子に呼ばれて行くこともある。彼らの用件は概ねパソコンSOSだ。その稀な事が9月の初めに4日連続して起こった。4日連続Hの店に行ったにもかかわらず、散歩は一度もやっていない。この間、雨の日が多かったということもあるが、時間に余裕がなかったせいでもある。
 「時間に余裕が無いから」ということは正当な理由だ・・・とは思うが、逆に、そんな時こそ、野山を散歩すれば、心に余裕を取り戻すことができるのではないかと、涼しくなって、扇風機も要らなくなった秋の夜、ふと思った。
 ということで、9月早々、久々に散歩、浦添運動公園を歩いた。

 浦添運動公園(うらそえうんどうこうえん)
 所在地:浦添市仲間
 面積:146,000 ㎡
 運動施設:陸上競技場、野球場、体育館、屋内運動場、屋外運動場、プール
 その他、園内には駐車場、休憩施設、遊具施設、売店などもある。 

 浦添運動公園へは、平均して年に2回ほど、私は訪れている。Hの店に行ったついでだったり、沖展を観に行ったついでだったりだ。沖展とは、沖縄の美術展で、毎年、公園内の施設の一つ、浦添市民体育館で開催されている。
 野球好きな人には、東京ヤクルトスワローズのキャンプ地として有名で、野球場、サブグランド、体育館などの施設が利用されているとのこと。キャンプの頃には見学客で賑わうそうだ。私は見に行ったことは無い。野球好きでは無いので。
 園内には樹木も多く植えられている。特に珍しい ものは見えないが、クロヨナ、ハクチョウゲの生垣などガジ丸写真館の写真はここで撮ったもの。
 浦添のこの辺りは、浦添カルチャーパークと名付けられ、北隣に以前紹介した浦添大公園があり、東隣には浦添美術館がある。また、一帯は琉球の歴史上重要な場所であり、浦添城跡、浦添ようどれ(王の墓)などの重要な文化遺産も近くにある。
     
     
     

 記:2010.10.23 ガジ丸 →沖縄の生活目次


疲労感だけの一週間

2010年11月26日 | 通信-その他・雑感

 日曜日(11月21日)、美女Sさんの家でパーティーがあり、私は飲み過ぎて酔ってしまった。帰る頃からの記憶が無い。同席した友人のHによると、「俺も酔っていてよく覚えてないが、お前がタクシー呼んで、それでみんな一緒に帰ったと思う」とのこと。酔って乱れるようなことは無かったようだが、飲み過ぎの報いは翌日現れた。
 目覚めると、酷い二日酔いだった。頭痛を抱えたまま実家へ行き、仏壇にお茶を供え、一服して郵便局へ行き、父の残した貯金の受取り手続きをし、受け取った現金を持って銀行へ行き、新たな口座を作ってその金を振り込む。その後、相続手続きの担当者とその日予定していた相続の最終処理の話をした。すると、「書類がまだできていないので、今日手続きはできません」と平然とした顔で言う。少し収まっていた頭痛がぶり返した。

  その日の夕方、前日Sさんの家に忘れたカメラを取るためSさんに会う。会って、カメラを受け取って、その後少し話をする。その時、その程度は親しくなったであろうと勝手な思いでちょっと不躾な質問をし、彼女を怒らせてしまった。にもかかわらず帰り際に、「今度は二人だけで飲みに行きましょう」とノーテンキなことを言ってしまう。
 Sさん、笑顔ではあったが、目が笑っていない。「それは絶対あり得ないです」ときつく言われた。「絶対あり得ない」なんて、そんなきつく言わなくてもと思いつつ、「オジサンの恋も終わったな」と寅さんの気分になる。収まっていた頭痛がぶり返した。 
          

 翌火曜日の朝、出勤すると会社に誰もいない。事務所のカギも閉まっている。社長に電話する。「今日は勤労感謝の日だから休みです」とのこと。零細建設業の概ねがそうであるように、我が社も祭日は休みとなっていない。だけど、子供の日と勤労感謝の日は休みにしていた。週に二日しか出ないということもあって、そんなこともすっかり忘れていたのだ。昨夜、焼け酒を飲んで、朝寝坊して、慌てて支度して、コーヒー飲まず、雲子中途半端で何とかやっと時間に間に合っただけに、何てこった!と力が抜ける。

  自産自消イモ生活計画が大幅に遅れている。1月に芋を植付け、4月には第二段、7月には第三段、10月には第四段の植付を行う予定であったが、第二段の植付が延期され続けていた。先週になってやっと、植付個所の準備(除草、堆肥撹拌)を終えた。
 会社が休みとなった火曜日に植付を行う。八ヶ月遅れたことになる。植付の前に、1月に植えた芋を一部収穫する。一月の芋は水腐れしていた。そこから枝分かれした個所に芋はできていたが、それらはまだ小さかった。「芋の収穫もダメか」とガックリ。

 昨日、相続手続きの最終処理に銀行へ行く。「今日で全てが終わるぞ」と思っていたのだが、銀行からの書類を受け取って法務局へ行くと、承認されるのは来週の月曜日だとのこと。「まだ続くのか」と思いつつ、登記移転受領書を持って、銀行へ行く。
 「月曜日でやっと終了できますね。後は、お父さんの通帳が使えなくなるので、自動引き落としされてるものの変更手続きですね」と仰る。どこが引き落としているか調べて、自分でそれらの手続きしろって仰る。やい、若造、「やっと終了」しねぇじゃないか!と怒鳴る前に、「ウー、あ、頭が・・・」と頭痛がし、疲れがどっと出た。
          

 記:2010.11.26 島乃ガジ丸


不感の達観

2010年11月19日 | 通信-社会・生活

 表題は「四十にして不惑」の不惑では無い。不感症の不感、「感覚が鈍かったり慣れてしまったりして感じないこと」(広辞苑)のこと。達観は「何事にも動じない心境に到ること」(〃)のこと。不感の達観はつまり、「感じないから動じない」となる。

 銀行の、父が残した債務の相続手続きで、銀行側に長い期間(もう半年だ)振り回されている。銀行から要求された書類の全てを出し終え、これで終わったと思って、「はーーーれたそらーーー」なんて歌う気分になって、そんな気分を一文にして、このガジ丸通信に書いたのは10月22日。その後、「書類に足りないものがありました」と銀行の担当者から連絡があり、それから4週間、なおも振り回され続けている。

 「抵当権の名義もお父さんからあなたと弟さんへ変更する必要があります。それが済んだという証拠になる登記謄本がなければ、債務相続の承認がおりません。」という。で、法務局へ行き、相談係に相談して、抵当権変更のための資料を貰い、資料を読み、登記申請書と登記原因証明情報なる書面を作成する。時々、どう書いていいのか判断に悩むと、ちょっとイラっとして、煙草に手が伸びる。お陰で煙草の量が増えてしまった。
  「これで、肺癌にでもなったら銀行のせいだからな」などと思いながら書き進めていたのだが、その途中、登記原因証明情報なる書面を書いている時に大きな矛盾に気付いた。で、すぐに銀行へ電話し、矛盾点(具体的に書くと長くなるので省略)について説明を求める。答えは、「よくわからないので、もう一度調べてみます。」であった。
 その日(先々週月曜日)、上記の銀行との電話は昼過ぎで、その後、友人Hの店へ出かけた。そこにたまたま大学の大先輩(15、6年先輩)のAKさんがやってきた。
 AKさんは誰もが知っている倭国の大手銀行、その東京の本店に長く勤め、幹部までなった人。銀行の仕事に関してはプロ中のプロだ。で、「怒ったり怒鳴ったりしないから舐められているのか、貧乏人だからと侮られているのかしらないけど、銀行の若造に振り回されて難儀しているんですよ。」などと愚痴を聞いて貰う。
 「債務相続や登記移転などの相談は銀行の業務として普通にあること、そのやり方についてお客へ適切な助言ができないなんて、それは銀行マン失格だ。」とのこと。やい、聞いたか若造、・・・なんて言ったって、若造がこのブログを読むことはあるまい。
          

 先週月曜日、銀行へ行き、若造と協議する。その前に法務局で「債権者の住所が変わっている。その変更手続きも別途やらなければならない。」と言われていたので、その旨報告すると、「あっ、そうですか、それも必要なんですか。」なんて仰る。
 債権者は沖縄振興開発金融公庫だ。ウチナーンチュのほとんどが家を建てる時には世話になっている所だ。「銀行員ならそこの住所が変わっており、債務相続手続きの際にはその変更が必要なんてことは当然知っておくべきことだろう!それを、あーそうですかで済ますつもりか!」なんて普通は怒鳴るところかもしれないが、私は怒鳴らない。
 私は怒鳴らない。法務大臣がバカ発言しても怒らない。怒るのが面倒なのだ。面倒は楽しくない。楽しくない事はやりたくない。そうやっていつのまにか、私の心は不感症になっているのかもしれない。感じないから怒らない。これがつまり、不感の達観。 
          

 記:2010.11.19 島乃ガジ丸


晴耕雨パソコン

2010年11月12日 | 通信-その他・雑感

 長引く建設業不況で、私の勤める会社は仕事が減り、変則雇用(日給制正社員)の私は時短となって、去年(2009年)8月から週休4日となった。金は無いけど時間はある身分となったので、翌9月から土地を借りて(地代は只だが)、自給自足を目指して農作業を始めた。今年3月から時短はさらに進んで週休5日となり、「金が無いなら食い物を作ればいいのだ、よっしゃ、本格的に畑をやるぞ!」と決意した、のだが、
 翌4月に父が動けなくなって、入院して、葬式があって、アパートに白蟻が発生して、実家へ一時避難の引っ越し作業、住む人のいなくなった実家の掃除、物の整理、その後修理の終わったアパートへ2度目の引っ越し作業、そして、相続手続きにも難渋(まだ終わっていない)して煩雑多忙が続き、畑仕事をやっている余裕がなかった。

 食っていけるか不安な経済状況にある私は、食物を得る畑仕事が日常生活の「やるべきこと」の上位に来る。遠方の友が訪ねてきてくれての飲み食いはそれより上になるが、いつも会っている近方の友に「新都心に昼ごはん食べに行くけど、一緒にどう?」と誘われたら、断る。休みの日に、美女にデートに誘われても、それが晴れた日の昼間であったならば、断る。もっとも、美女がデートに誘うことはないので、これは要らぬ心配だ。
 日常生活の「やるべきこと」の上位に来る畑仕事だが、6月に一度草抜き作業をやって以降は放ったらかしであった。畑は荒れてしまっていた。上述のように多忙であったことの他に、今年は雨が多かったということも畑に入れなかった理由の一つであった。その日が雨ということだけでなく、その日晴れていても前日まで雨だった場合は、畑がぬかるんでいて作業ができない。8月まではそんなことが続いていた。
 9月になってやっと晴れる日が多くなって、9月は5回、畑の草抜き作業を行った。9月といえど、沖縄の太陽は鬼のように暑い、1日2時間でバテていた。なので、作業時間は合計10時間にしかならない。10時間では荒れ果てた畑の草抜きは終わらない。10月も草抜き作業が続き、10月末になって、除草作業もやっと終わりそうになった。ところが、相続手続きに問題が生じて、今なお、畑は草抜き作業の中途のまま。

 最近ちょっと(とてもでは無いのがとても残念だが)親しくさせて貰っている美女のSさんは、とても美女なので、飲みに行ったり食べに行ったりした時に、自分でお金を支払う経験はあまり無いと思われる。のであるが、私と私の友人達(Sさんと二人っきりで飲み食いに行ったことは無い)と飲み食いした場合は割り勘となる。「Sさんはいいよ、俺がその分払うよ」なんて言えた筋合いでもないのだが、できれば言いたい。できれば言いたいのだが、言えない。私の経済事情から「できない」のである。
 でも、まあ、そんなことはいいのだ。金は水が流れるが如く、高いところから低いところに流れればいいのだ。「金が無い」のは私の個性ということにして貰って、その上でそれなりの付き合いをしていただければ十分というもの。
 私には私の目指す生き方がある。晴耕雨読ならぬ晴耕雨パソコン。晴れた日には畑を耕し、雨の日にはパソコンに向かいガジ丸HPの記事を書いたりすること。将来、それも数年後という近い将来、それを実現させたいと望んでいる。たまに友が訪ねてきてくれたら言うこと無し。美女が訪ねてきてくれたら果報というもの。高望みはしない。
          
          

 記:2010.11.12 島乃ガジ丸


ソーメン生活

2010年11月12日 | 通信-社会・生活

 一年忌とか三年忌とかに包むお金も香典と言うのかどうか知らないが、まあ、そうだとして、その時お返しに頂くものを香典返しということにしておく。
  その香典返しに、沖縄ではソーメンを頂くことがある。その場合に頂くソーメンはだいたい1袋5束ほどのもの。昨年、法事がいくつかあって、そのいくつかの内、3件で5束のソーメンを頂いた。今年の初めには、「お歳暮で貰ったソーメンがあるから持って行けよ。」と父に言われ、20束入りのソーメンを実家から持ち帰った。
 実家からソーメンを持ち帰るのは、お歳暮かお中元の後、年に1回くらいはある。そんなこんなで、私はソーメンをスーパーなどで買った記憶が無い。買わなくても一人住まいのアパートにはソーメンがいつでもあり、時には大量にある。

 父が死んで、住む人のいなくなった実家の掃除、整理をしている際、台所にあった消費期限切れ、あるいは賞味期限切れの食い物を処分した。消費期限切れ、あるいは賞味期限切れで無いものは持ち帰った。持ち帰った物の中に、封が開けられ、3束は使われ、17束が残されたソーメンもあった。箱には賞味期限2010年9月とあった。時は既に9月のなかば、「しばらくは毎日ソーメンだな」と覚悟する。
 その時、私の部屋には15束入りの未開封の箱1つ、法事で貰った5束入りの袋1つのソーメンがあり、さらに、実家にはもう1箱(たぶん15束入り)のソーメンがある。というわけで、「しばらくソーメンだな」の「しばらく」はきっと長期になる。
          

 私の、私が良しとしている食生活は、週16食(5日間は1日2食なので)の内、4食が玄米、5食が酒と肴、4~5食が芋、2~3食がパンまたは麺類なのだが、実家にはソーメンの他、大量(5キロ)の白米も残されていて、それも持ち帰り食べている。で、9月以降は玄米食ができず、そして、ソーメンのお陰で芋食もできずにいる。
  芋の代わりのソーメン、週に6~7食のソーメン、ソーミン汁やソーミンチャンプルーの塩味、醤油味、味噌味の他、冷し中華風、スパゲッティーサラダ風などといろいろ工夫して食っているが、さすがに飽きる。2週目が終わったところで飽きた。
 同じ麺類だが、カップ麺のラーメンとか蕎麦とか、冷凍のうどんとか、沖縄ソバとかスパゲッティーとかを間に入れる。でも、そのうち麺類に飽きてしまい、パンとかヒラヤーチー(お好み焼きのごく薄いもの)とかを間に入れる。そんなこんなでも、週に2、3食はソーメンを食べていたので、10月15日には実家から持ち帰った賞味期限が9月の17束を食い終えた。「やっと終わった」という思いがした。

 それでもなお、ソーメン生活は続いている。15束入りの箱を開け、週に2、3食は食っている。ソーメンや白米が面倒なのは、それらが副食(オカズ)を要するというところだ。玄米や蕎麦(蕎麦粉10割とか8割なら)は、副食が無くてもビタミンやらミネラルは概ね足りる。白米やソーメンだけでは生きるに必要な栄養が不足する。
 最近、肩凝りが酷くなった時期があったが、それを私は酒のせいにしていたのだが、もしかしたら、ソーメン生活のせいかもしれない。元より少食なので、白米やソーメンを主食にしていたら、ビタミンやらミネラルが足りなくなるのかもしれない。
          

 記:2010.11.12 島乃ガジ丸