前々週、猫に狙われているメジロの雛の話をコラムに書いた。その後、その雛がどうなったか、猫の朝飯となったのか、その幼い羽が空を飛ぶ力をつけ、間一髪、難を逃れたのか知らないが、この日曜日、駐車場のネズミモチに親子のメジロが並んでいるのを見つけた。その子供があの日の雛なのであれば、コラムを読んで、心を痛めていた心優しい人たちは喜ぶであろうと思った。報告するために写真を撮る。
撮った写真を見ると、残念ながら、心優しい人たちには申し訳ないが、あの日の雛ではないようである。たぶん、あの日の雛の兄弟であろうと思われる。写真の子メジロは、「おめぇ、よくも弟を見殺しにしてくれたな!」とでも言っているかのように鋭い目付きでこっちを睨んでいたのだ。親メジロは無表情で空を見上げている。おそらくあの日、悲しみにたくさんの涙を流したのであろう。今は「涙も枯ーれてぇー」なのであろう。
「目白の涙」という言葉は無いが、「雀の涙」というのはある。「ごくわずかなもののたとえ」(広辞苑)ということ。たとえば、「私の給料の額など、叶姉妹から見れば雀の涙ほども無い。」などと使われる。私の辞書(世には出ていないので有名では無いが、権威も無いのだが)『迷解・国語大林辞苑』には、「雀の涙」よりもずっと遥かに小さいことを喩える言葉もある。「ミジンコの涙」という。これは、広辞苑には無い。
広辞苑には「微塵(みじん)」という言葉があり、「こまかい塵」という文字通りの意味から「極めてこまかいこと。ごくわずかなこと。また、そのもの」ということになる。ミジンコは沼や池などに普通に見られる甲殻類で、小学校の理科の実験でもお馴染みであるが、漢字で書くと微塵子(水蚤とも)となる。その通りごく小さくて、体長は2ミリほどしかない。そのミジンコの涙は、よって、雀の涙より遥かに小さい。
今、国会で「共謀罪」が論議されているようである。それは、支配者たちが、その地位を保全するための法律であると私は思う。自分の地位だけで無く、自分の子孫の繁栄を脅かしかねない種(たね)があれば、それが芽を出す前に排除しちまえ!という法律。
「お前、あいつらが話し合っているのを聞いていたな。」
「そりゃあ、隣の席に座っていたから聞こえてたさ。」
「逮捕する。」
「まて、あいつらはただ、今の社会は不平等だから何とか変えなくちゃ、といった話をしていただけだ。それが、何で罪なんだ。まして、俺に何の罪があるんだ。」
「あいつらは、騒乱企画罪、お前は共謀罪だ。」
なんてことになりかねない法律。おーコワッ。
人間同士の遺伝子は、その99.9%は同じらしい。それは、それこそミジンコの涙ほどの違いでしか無い。超大国の大統領とイラクの子供たちの遺伝子はほとんど同じであると言っていいのだ。彼らが生き残るということは、大統領の遺伝子の99.9%が未来に残るということである。・・・などということを、日本国の高い地位にいる方々も心に留めて、沖縄の片田舎で、真っ黒に日焼けして、畑を耕している名も無き農夫の、その子供たちの未来を、自分の子供の未来と同じくらい大切に考えてくれないだろうか。せめて、共謀罪などという法律で、芽が出る前に潰すようなことはしないでくだせぇ。
記:2006.4.28 ガジ丸