父の一年忌で、姉、弟、従姉(子供の頃一緒に暮らしていた)らと、子供の頃の、近所に住んでいた同級生の話になった。向かいのIさんとこの長男は誰の同級生、三軒隣のSさんとこの二男は誰の同級生、などといった話。みんなで昔、40年以上も昔を思い出す。実家のある通りには14世帯ほどあったが、その中に姉の同級生が3人いて、私と従姉の同級生は0人で、弟の同級生は「たぶん2人」とのことであった。
弟の「たぶん2人」の内一人は、私も名前を覚えていた。ミンルーという愛称であった。当時、実家のある通りの14世帯ほどには、2学年上の姉から4学年下の弟の年代までの子供が、私が覚えているだけで、私たち3人を含め15人はいた。その内、私が名前を覚えているのは、両隣りの3人の他にはミンルーとその兄と、あと2人位しかいない。
その頃、普段の日は、学校のクラスや、近くに住む同級生たちと遊ぶことが多かったが、休みの日などは隣近所の子供たちの何人かともよく遊んでいた。よく遊んでいた子供は名前を覚えているわけだ。しかし、ミンルーとその兄は同学年でも無く、よく遊ぶ仲間でも無かった。なのに、名前を覚えている。何故?・・・理由はある。
ミンルーと弟は仲良しで、二人でよく遊んでいた。「沖縄に来て、誰か会いたい人はいるか?」と弟に訊くと、「一人だけいる。ミンルー。」と答えるくらいだ。弟とミンルーが一緒に遊んでいて、家にもよく来ていて、で、私は彼のことを覚えているのだ。
ミンルーの家は向かいの家の2軒隣で、そこは銭湯であった。その頃、実家に風呂はあったのだが、小学校低学年までは銭湯に行くことが多かった。すぐ近くだし、銭湯は楽しかったからだ。銭湯に行くと、同級生たちに会うこともあったし、何より、湯船が大きいので泳ぐことができた。まあ、つまり、銭湯で体を洗うというより、遊んでいたわけである。
銭湯のことを、ウチナーグチではユーフルヤーと言う。湯風呂屋という意味だ。湯風呂はちなみに、「湯槽(ゆぶね)に湯をわかして入浴する風呂」のこと。もう一つちなみに、銭湯は「料金を取って入浴させる公衆浴場」(同)のこと。私が小学校低学年までは行っていた銭湯、祖父母も、両親も、友人たちも銭湯とは言わず、風呂屋とも言わず、ユーフルヤーと言っていた。銭湯が消えて久しい。今となっては懐かしい響きだ。
沖縄の銭湯がいつ頃まであったのか、資料が無く不明だが、ミンルーとこは早くに、たぶん私が中学になる頃には無かったと記憶している。大学生活で東京に住んでいた頃、3年間は銭湯に通っていた。30年以上前の話だが、その頃、東京には銭湯がいくつもあった。風呂付で無いアパートが多くあり、銭湯も十分の需要があったのだろう。
沖縄のアパートで湯風呂の無いアパートは多い。現に、私が今住んでいるアパートも湯風呂は付いていない。だが、瞬間湯沸かし器とシャワーは付いている。東京に風呂付で無いアパートが多くあった頃も、沖縄のアパートには概ねシャワーが付いていたと思う。なので、東京に比べ、沖縄の銭湯の需要は少なく、街から消える日も早かったのであろう。
記:ガジ丸 2011.5.16 →沖縄の生活目次