ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

積極的防衛戦略

2015年09月25日 | 通信-政治・経済

 去年の夏、部屋にアリが大発生して、数日間格闘し、殺虫剤とアリの巣コロリを使って根絶した。と思っていたが、今年の6月、またも部屋の中にアリが大発生、またもアリとの格闘になる。今回はアリの巣コロリが効かない、殺虫剤を使って大量の蟻を殺す。しかし、翌日になるとアリは湧いて来た、またも殺虫剤、というのを一ヶ月ほど繰り返してやっと根絶、と思っていたら、9月になってまたまた大発生、室内に巣があるみたいでわんさか出てくる。私はほとんど毎日のように殺虫剤を撒いて彼らを殺戮する。一日50匹は殺していると思う。そうやって一ヶ月近く経っているがまだ勝利していない。
 アリが室内にいる、彼らが直接私を攻撃してくることはまだ無い。まだ無いけれど、そのうち寝ている私の体にアリがわんさかたかっているという図を想像するとおぞましい。そんなおぞましい経験はしたくないので、攻撃してこないアリだが、私は彼らを大量殺戮している。おぞましい経験を避けるための、いわゆる積極的防衛ってやつだ。
          
 
 貧乏農夫の私もニュースは毎日聞いている。荒れ心臓総理が強引に成立させた「安全保障関連法」、国民に十分説明して国民の理解を得てからでも遅くないと思うのだが、総理は「何が何でも」と急いだ。その点に関して私は不満があるが、法律そのものに関しては、平和を愛する多くの国民と私は同じでは無い。つまり、「何が何でも」反対というわけでは無い。その道のプロたちが、国際情勢は近い内に危険な状況になる可能性が高いと判断し、それに対処する法律が必要だと判断したのであれば「それも良し」である。実害があるかもしれないと判断し、アリを大量殺戮している自分自身を顧みれば、日本国が危ないと判断したならば遠地での武力行使も選択肢にあるぞという総理の考えはまだ優しい。
 私の願いは、政権交代である。今の野党が政権を握り、前の政権の国際情勢分析を精査し、その判断は間違いであると判れば、「安全保障関連法」を修正すれば良い。民主主義なのだ、主権は国民の手にある。もしも「安全保障関連法案」が現実に「戦争する法案」になったとしたら、自民党に圧倒的多数を与えた国民の責任と言える。

 今週、「安全保障関連法案強行採決」より気になったのは辺野古の座り込み現場が20名ほどの暴漢に襲われたというニュース。「基地が無くなると中国に襲われるから」という理由で襲ったらしい。思慮の足りない集団だと思う。一旦戦争になれば「基地があるから真っ先に攻撃される」だろうし、沖縄を守るためなら嘉手納基地があるだけで十分抑止力となる。それにしても、どこの宗教団体か知らないが、考えが違うからといって殴り込みとは暴力団のようである。むやみに暴力を振るう輩がいるから警察が必要となり、専守防衛に徹したとしても、戦争することを厭わない国があるから軍隊も必要となる。
 ちなみに、私は平和主義者である。「アリを大量殺戮している自分自身を顧みれば、・・・武力行使も選択肢にあるぞという総理の考えはまだ優しい」と上記したが、総理と私には大きな違いがある。私の敵は対話のできない昆虫だが、総理の敵は人間である。

 今週はまた、気分の良くなるニュースもあった。翁長知事が国連で沖縄の差別的現状を世界に発信したというニュース。世界中の差別を嫌う人々が沖縄の味方をしてくれることを願う。日本を守るための抑止力なら東京に新基地を持って行けば良いのだ。
          

 記:2015.9.25 島乃ガジ丸


燻製

2015年09月25日 | 飲食:飲物・嗜好品

 残り少ない人生を貧乏なりに楽しんでやろうとあれこれ画策している。ホームページを作り、どうでもいいような話を毎週ブログしているのも楽しみの1つ。畑仕事も、肉体的にはとても疲れるのだが、作物の収穫は楽しみで、食べるのはもっと楽しみ。
 私は毎日の食事をほとんど自分で料理する。料理は高校生の頃からやっていて、自分で言うのも何だが、まあまあ上手。最近は煮物中心だが、中でも酒の肴は大得意。自分で作る肴が美味いものだから酒も美味い。毎日の晩酌が楽しくてしょうがない。

 酒の肴の楽しみをもっと増やすために今年の夏、燻製箱を作った。燻製箱はだいぶ前、25年ほども前に1度作って、何度か使っている。作った燻製が旨かったかどうかはよく覚えていない。茹で玉子を薫製にしたことをおぼろげに覚えている。
 「燻製とは何だ?」と改めて広辞苑で確認すると、「魚介・獣肉などを塩漬にし、ナラ・カシなどの樹脂の少ない木材の煙でいぶした食品。特有の香味があり、保存性が増す」とのこと。漢字表記は燻製の他に薫製ともあった。薫は「かおる」と読み「かおる」という意味だが「いぶす」という意味も持つ。燻は「いぶす」と読み、その通りの意味。
 「樹脂の少ない木材」というのはおそらくヤニが出ない→ヤニ臭くならないからであろう。「特有の香味」はナラやカシなどのチップに良い香りがあるのだろう。燻製チップと言えばサクラがすぐ浮かぶ。サクラのチップで思い出した。十数年前、その頃住んでいたアパートのサクラの枝が台風だったかでいくつも折れて、それを鉈でコツコツとチップにして、それを使ってダッチオーブンで燻製を作ったことがある。作った燻製が旨かったかどうかはよく覚えていない。茹で玉子を薫製にしたのはこの時だったかもしれない。

 近所の先輩農夫Nさんの情報によると、畑でものを燃やすと役場の人が来て、止めるよう注意されるそうだ。ダイオキシンがどうのこうのらしい。役場が休みの日は大丈夫ということなので、畑で枯れ木枯れ草などを燃やすのは日曜日と決めている。
 25年ぶりの燻製箱、完成したのは8月5日、9日の日曜日に試運転することにして前日には薫製用の桜チップ、燻製材料の鮭や鶏肉も購入し、鮭と鶏肉の下拵えも済ませ、準備万端整う。が、9日は雨(予報では曇りだったのに)となり、燻製作りは延期。準備した材料はフライパンで焼いてその夜の酒の肴となった。
 その後、日曜日は雨が続いて燻製作りはできず、9月に入って2週目の日曜(13日)になってやっと挑戦することができた。もしも失敗したら勿体無いと思い、先ずは試作として価格の安い鶏手羽元だけの燻製作りとした。結果は、燻製ができたかどうかという意味では成功。味も不味くは無い。が、燻製にした手羽元は硬かった。肉質が燻製に向かなかったのかもしれない。ササミが良かろうとこの時判断した。
     
     
     

 翌週20日に第二回目の挑戦。ほぼ成功すると自信があったので材料をたくさん準備する。鶏のササミ、豚レバー、豚三枚肉、サーモン、マグロ、アジ、イカ、タコ、変わり種として魚肉ソーセージ、ニンジン、豆腐の以上11種を購入し、鶏のササミ、豚レバー、豚三枚肉、サーモンにはコショウ、ニンニクパウダーを振りかけ、その他は何も振らずに塩を溶かした泡盛に漬け込む、ニンジンは塩を軽く振っただけ。1晩置く。
 燻す時、ダッチオーブンの蓋に載せていた桜チップに火が点くというミスもあったが、あれこれ試行錯誤して、2時間ほど燻して出来上がり。
 結果、豆腐、ソーセージ、ニンジンの3種は「燻製にしなくても良い」という評価。ササミ、サーモン、マグロは旨い、レバー、イカ、タコは火が通り過ぎのせいか硬かったけれど、味はすごく良い。豚三枚肉はほとんど脂の塊みたいなもので、燻すだけでは脂は落ちない様であった。焼いて脂を落として食った。不味くは無かったが硬かった。
 自作燻製、一応成功と言える。作ったその日から酒の肴になり、お昼の弁当にもなっている。酒の肴としては申し分ない。自家醸造のグヮバ酒のアテにし、最近完成した自家醸造のキャッサバ酒にもよく合う。次回は野菜をもう少し試してみたい。
     
     
     
     
     

 記:2015.9.16 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


幸せ寿命

2015年09月18日 | 通信-社会・生活

 友人の脱サラ農夫Tの父親は、私の畑なっぴばるの近くで畑をやっている。私の家からなっぴばるまで車で10分、Tの家からだとそれよりほんの少し近く、Tと同居のTの父親は歩いて畑へ行き来している。片道1時間くらいかかるのではないだろうか。
 先日、Tに訊いたら、親父さんは87歳になるとのこと。とてもその歳には見えない。元気だ。出勤途中の親父さんをたまに見るが、リュックを背に、時には他の荷物をかついでひょこひょこ歩いている。小柄だが筋肉質であることが後ろ姿から判る。
 Tも小柄だが筋肉質の体をしている。若い頃は筋肉質であることが見た目で判った。今はしかし残念ながらメタボである。ブヨブヨしたお腹をしている。小柄であったが、Tは女にモテた。高校の頃から彼女がいて、以降ずっと彼の周りに女がいないという状況は無かったはず。あれこれ相手が代わって結婚し、結婚後は浮気をしていない、はず。

 Tは浮気をしたことがない、という話ではなかった。メタボのT、その大腸に癌が見つかった。早期発見の癌はまだ小さく摘出手術をすれば治るとのことで、「近い内に手術する予定」とのこと。「治る」とのことで私も一安心したが、後日、そのことを共通の友人Oに話したところ、「手術は命を縮めるだけ」とOは言い、そういった内容が詳しく書かれている本を「Tに読ませよう」となって、数日後、その本がTに渡った。
 さらにその数日後、Tに会うと、「開腹手術は止めることにした。Oから借りた本の内容は俺の考えと一致するところが多かったよ」とのこと。
 「長生きの家系なんだから、手術しなければあと5~6年は元気だろう」
 「あと1年半元気でいられればいいんだ、末娘達が高校を卒業するまでだ」
 「それは楽勝だろう。双子の娘2人が成人するまで3、4年だろう?それだって十分いけると思うよ」と私は言い、口にはしなかったが、「元気で楽しく生きて、幸せを感じていたら、癌も自然消滅するかもしれないぜ」と思っていた。科学的根拠は無いが、私の考えは、「癌は頻繁に発生しているが体の免疫細胞達がそれをやっつけてくれている。体の免疫細胞達が元気であれば多少の癌は怖くない、彼らが治してくれる。元気で楽しく生きて、幸せをたくさん感じていれば免疫細胞達は元気でいられる」である。
          

 「幸せを感じる」はまた、別の意義もある。私は、肉体的寿命の他に「幸せ寿命」というものが人にはあると思っている。子供が生まれた時、我が子に願うのは、「金持ちになれ」、「偉い人になれ」という人もいるだろうが、多くは「幸せになれ」だと思う。
 Tは親の願い通り幸せになった。「あと1年半でいい」と言うTの言葉は「今まで十分幸せだったよ」という思いの表れだと思う。まあ、Tの顔を見るとあと20年は生きそうなのであるが、彼はもう既に「あなたの幸せ寿命は長命でしたね」と評価されるはず。
 幸せ寿命は肉体の寿命とは別である。太ったオバサンが「痩せたい」と言いつつケーキを食う。顔色の悪いオジサンが「肝臓が不安」と思いつつ酒を飲む。それらは肉体寿命に悪影響を与えることであっても、そこには「幸せ時間」が存在する。
 そういえば、Tは親父さんが家の中で煙草を吸うことを禁じているらしい。「煙草くらい家の中でゆっくり吸わせろよ、リラックスが煙草の効能だ、それで親父さんの幸せ寿命が長くなるのであれば、多少の煙草臭さは我慢しても良かろう」と私はTに言いたい。
          

 記:2015.9.18 島乃ガジ丸


キミノバンジロウ

2015年09月18日 | 飲食:果物・菓子

 ストロベリーグヮバはイチゴの香りがすることからその名があるらしい。果実の色も熟すると赤紫色になり、大きさも径3~4センチとイチゴに近い。
 ストロベリーグヮバは和名をテリハバンジロウと言い、その仲間には「実は熟すると赤紫色」にならない品種もある。私の畑にあるテリハバンジロウは、実は熟すると黄色になる品種。文献によると、和名はキミノバンジロウとなっている。「私のバンジロウ、君のバンジロウ」の「君の」では無く、黄色い実のバンジロウという意味。
 学名は、
 バンジロウPsidium guajava L.
 テリハバンジロウPsidium cattleianum Sabine
 キミノバンジロウPsidium cattleianum Sabine f. lucidum Degener
となっていて、テリハバンジロウとキミノバンジロウはほぼ一緒。

 本家のテリハバンジロウは以前勤めていた職場にあった。実は赤紫色になったと記憶しているが、私は食べたことないのでその味も香りも知らない。
 私が借りている300坪の畑ナッピバルには、以前の借主である友人Tが植えたキミノバンジロウがある。借りた年(2012年)に、借りたのは8月でちょうど実が着いていたのでさっそく味見した。種の多いのが気になったが、普通のバンジロウよりずっとジューシーで甘みも強く、普通のバンジロウよりは美味いと感じた。
 キミノバンジロウ、美味いけれど小さいので、1個だけでは食い応えが無い。でも、種が煩いのでたくさん食べる気はしない。種が無ければ売れると思うのだが。

 種が煩くて売り物にはならないであろうキミノバンジロウ、1本しかないが毎年40~50個は収穫できている。何に使っているかと言うと、自給自足の好きな私、及び飲兵衛でもある私なので、言うまでも無く自家醸造果実酒に使っている。

 
 キミノバンジロウ(黄実蕃石榴)
 フトモモ科の常緑中木 ブラジル原産 方言名:なし
 テリハバンジロウの1種。バンジロウは別名のグヮバで有名。テリハバンジロウの別名もイチゴグァバ、またはストロベリーグァバという。
 ストロベリーグヮバの果実は熟すと赤紫色だが、本種は黄色。径3~4センチと小さいが、甘く、水分が多い。種が多く食べ辛いのはバンジロウと一緒。生食の他、ジャムやゼリーなどに利用される。収穫期は夏から秋。花はは白~淡黄色、開花期は夏。

 記:2015.9.14 ガジ丸 →沖縄の飲食目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


見聞録013 猛鳥物語3

2015年09月11日 | ケダマン見聞録

 すっかり忘れていたが、猛鳥物語の続き。前回、「この続きはまたいつか」と話してから1ヶ月ほどが過ぎて、マナも、もう興味を無くしたようだが、強引に話す。
 その前にちょっと前回のあらすじ。
 恐竜人は好戦的な性格をしており、彼らの世界では戦争が絶えなかった。が、定住農耕生活をするようになって、戦争が減った。戦争が減ると人口が増えた。恐竜人の人口が増えると、他の生き物たちの生存が脅かされた。そこで、他の生き物たちはその星に住む最も強い鳥人に助けを求めた。鳥人は彼らの願いを聞き入れた。
 そしてついに、恐竜人対鳥人の戦いが始まる。

 鳥人は、強力な爪と嘴を武器として、素早い動きと空中からの攻撃で、1対1で戦う限りにおいては恐竜人に不覚を取ることは無かった。だが、相手が複数だと不利になる。人口においては圧倒的に恐竜人が多く、その割合は1000人対1人である。全面戦争となれば、負ける恐れもあった。よって、肉弾戦を避け、飛び道具を用いることにした。
 彼らが用いたのは弓矢、鳥人はそういった武器を発明する頭脳を持ち、そういった武器を作れる手先の器用さも持っていた。弓矢を大量に生産し、戦いに備えた。
 恐竜人を殺すことが目的では無い。恐竜人の人口が増えないようにしたいのである。よって、鳥人の矢は概ね恐竜人のキンタマを狙った。生殖不能にするためである。鳥人はこれを「恐竜人不妊化作戦」と呼んだ。そして、ついに開戦する。

 鳥人は空を飛び、空中から弓矢を放った。恐竜人の戦士の全ては男である。男の一番痛い所に矢は突き刺さった。鳥人の放つ矢は強力で、その激しい痛みを恐れて一番痛い所をかばったとしても、矢は恐竜人の体を突き刺した。離れた場所から矢が飛んでくるのである。恐竜人たちは成す術も無くバタバタと倒れていった。
 恐竜人対鳥人の戦いは圧倒的に鳥人の優勢で進んでいった。ただ、人口では恐竜人の方がはるかに多い。戦いは短期で終わるものではなかった。日が経つうちに、恐竜人も鳥人の使う弓矢を真似て、作って、反撃した。上から攻撃する鳥人の優位に変わりは無かったが、そのうち、恐竜人は戦士以外の農夫が戦いに参加し、また、多くの女も参加するようになり、鳥人に向かって矢を放った。情勢は一進一退となり、戦争は泥沼化した。
 1年が経った。恐竜人の死者は開戦前の人口を半減するほど膨大な数であったが、鳥人の死者数も日を追うごとに増え、開戦前人口の2割を失っていた。

 鳥人は作戦を変更せざるを得なくなった。このまま進めば、数においてはるかに勝る恐竜人がどんどん優勢となり、鳥人の敗北になりかねない。
 「キンタマを射抜いて、これからの人口を減らす作戦だけではダメです。今現在の人口を激減させなくてなならないでしょう。」と幹部の一人が言う。
 「その通りだな。」と長老が肯き、
 「で、その方法は何かあるか?」と周りを見渡す。
 「火矢を使いましょう。彼らの住処を焼き討ちにしましょう。」と別の幹部が言う。
 「火矢か。うーん、しかし、それもすぐに真似られるな。」
 「今日のような風の強い日に、各地でいっせいに火を放ちましょう。火は瞬く間に広がって、彼らに反撃する暇を与えないでしょう。」
 「皆殺し作戦となるな。・・・しょうがないか。やるか。」

 その後、その作戦の細かい打ち合わせが行われた。失敗の許されない作戦であった。熱心に時間をかけて会議が成された。その時誰も、自分たちの住む島のあちらこちらに火矢が放たれたことに気付かずにいた。「ギャー!」と叫び声が聞こえてきた時にはもう、彼らの周りは火に包まれていた。鳥人の羽は水を弾くよう油分を含んでいた。燃え易くできていたのである。風の強い日であった。逃げる暇は無かった。
 その強さから、多少鷹揚な性質である鳥人よりも先に、好戦的な性質である恐竜人が焼き討ち皆殺し作戦を思い付き、それを実行したのであった。鳥人の住む島は、焼けた死体で埋め尽くされた。多くの生き物たちがやってきて、ご馳走を味わった。
 そして、猛鳥物語は、一部の地域では焼け鳥物語として伝わったのであった。
     

 場面はユクレー屋に変わる。初め興味無さそうに聞いていたマナであったが、
 「ふーん、その焼き鳥、美味しかったのかな?」と訊く。感想はそれだけであった。どうやら、最後まで興味無く聞いていたようだ。まあ、マナの感想はともかく、猛鳥物語のお話はこれでお終い。強さを過信してはいけないという教訓話である。

 語り:ケダマン 2007.11.9