若い頃、「俺は頭痛持ちなんだ」というのがまるでカッコイイことのように思えて、頭痛薬を常備し、時々飲んでいた。「俺は肝臓が少しやられている」というのもカッコイイことのように思えて、肝臓の薬(ビタミン剤のようなもの)を常備し、それも時々飲んでいた。頭痛も肝臓の不調も全くのウソというわけでは無かった。その頃、浴びるように酒を飲んでいたので肝臓が弱り、二日酔いの頭痛が日常茶飯であったのだ。
若い頃は風邪薬や胃薬もよく飲んだ。病気は薬(薬局で売られているものや病院で処方されるもの)で治すのが当たり前と思っていたので、すぐに薬に頼った。
いつ頃からか、少なくとも20年位前からは私は薬を飲むのを止めた。風邪も腹痛も根性で治すようにした。根性とはつまり、我が身の自然治癒力、免疫力のことだが、それに頼ることにした。薬に頼らなければ自然治癒力が鍛えられる。私はまた、栄養ドリンクはたまに飲むこともあったが、それ以外のサプリメントは全く摂っていない。
私の父と母は沖縄に昔から伝わる薬草を使った何とか酒、何とか茶、何とかの蜂蜜漬けなどを作り、それらを利用していたが、市販のサプリメントのいくつかも常備し、それらもよく飲んでいた。しかし私は、薬草の何とか酒などは稀に(風邪などの時)飲んだが、「これ体にいいよ」と母に勧められても市販のサプリメントは一切飲まなかった。
サプリメントを飲まないのは、「普通に食っていれば栄養は足りるだろう、サプリメントは普通に食えない人のものだろう、俺は普通に飯が食えている、よって、サプリメントを摂る必要は無い。」と思ってのことだが、その頃(20年位前)、ある月の模合(正当な理由のある飲み会)の席で、「サプリメントなんて、普通に飯食っていりゃ不要だろう」といったことを私が言うと、模合仲間の一人が「今の野菜は昔の野菜に比べ栄養が少なくなっている、なので、ビタミン剤などのサプリメントが必要になっている」と反論した。
「そうか、そういうことか」と私は思い、それに対しその場で再反論はできずにいた。しかし、それでもなお、サプリメント摂取に賛同したわけでは無かった。「いやいや、そうはいってもだ]と考えて、後日、「ならば、昔の野菜のようなものを食えばいいんだ」と結論した。昔の野菜、つまり、化学肥料を使わない野菜、有機野菜を食えばいいのだ。
以来私は、できるだけ(財布に相談しつつ)有機野菜を買って食っている。そして、「サプリメントも薬も摂取しない」はずっと続いている。それで私が健康なのかどうかについては明言できない。私はもう30年以上健康診断なるものを受けていないので、私が健康かどうかについては化学的立証ができないのだ。でも今、私はほぼ毎日畑で8時間程度肉体労働をし続けている、それができている。ほぼ毎日酒を飲んで、煙草も吸っている。それらによる体の不具合は今のところ無い。一応、表面的には健康であり続けている。
ラジオを聴いていると、「痩せるサプリ」、「骨を強くするサプリ」などサプリメントのコマーシャルがいくつも流れる。「食事制限は要りません。飲むだけで痩せます。」とかいうやつ。痩せたいんだったら食事制限すれば良かろう、必要以上に食わなけりゃ良かろう、そうすれば食費も浮くし、サプリメントを買う金も浮く、経済的にも良いじゃないかと私は思うが、そういうコマーシャルが多いということは、それを望む人が多くいるのだと認識できる。欲望を過剰に満たして、そのケアをサプリメントに頼っているわけだ。
記:2013.4.26 島乃ガジ丸