9月初め、水納島を訪れた。私は二度目の訪問である。一度目は15年前のこと。前回も遊びで、今回も遊び。前回も日帰りで、今回も日帰り。半日の滞在。
遊びで行って、しかもたった半日で、それで島の暮らしがどういうものかなんて分るはずも無いが、15年前の水納島は好きだった。その頃は観光客もほとんどいなくて、それを目当ての若者向け今風の店なども無くて、のんびりした田舎の雰囲気で、静かな島であった。時間がゆーーーーーったりと流れていた。
静かにのんびりと暮らすことを、常々私は望んでいる。加齢臭に加え、口臭も発散しているオジサンは今や鼻摘まみ者である。人前に出ることは人迷惑となっている。なので、そういった隠遁生活は、他人のためにも良いことだと思うのである。
9月の中頃、テレビとステレオが同時に壊れた。そのため丸二日ばかり、テレビを観ない、ラジオも音楽も聴かないという生活を送った。小さなガ、アリ、クモ、ヤモリ以外には同居人のいない部屋なので、テレビとステレオが無ければ、人の声は無い。とても静かである。久々にギターを弾き、歌を歌う。良い時間だと思った。
15年前、のんびりした田舎、静かな島、ゆったり流れる時間を好きだと思ったが、そこで暮らしたいなどとは思わなかった。たまに訪れるのはいいが、住むとなると退屈するだろうなと感じたからだ。15年前は、私も若く、欲に満ちていたのである。
今なら、生活できる金があればの話だが、田舎でのんびりと静かに生活し、それを楽しむことができると思う。ただ、テレビは無くてもいいが、これほどパソコンに頼っていると、パソコンは生活に欠かせない。
テレビとステレオが壊れていた間、ギターを弾いたりもしていたが、多くの時間を、私はパソコン作業に費やしていた。文章を書いたり、写真の整理をしたり、作曲したものをデータ化したり、などである。でも、そういったことが私にとって本当に必要なことなのかと、改めて考えると、それらも”我欲”に違いないのである。人生の達人から見れば、私もまだまだ若造なのである。若造は、もうしばらく若造でいようと思う。
「晴耕雨読」とは、「晴れた日は外に出て耕し、雨の日は家にいて書を読むこと。田園に閑居する自適の生活にいう。」(広辞苑)ということだが、今はまだ若造の私ではあるが、いつかは晴耕雨読の生活をしたいと思っている。などと、言うは易しである。
6月下旬からこれまで、私は晴耕をやっていない。私の畑は今、見るも無残な姿となっている。常備のニラの他は、雑草の間からナスが1株立っているだけだ。私の畑がそうなっているのは、忙しかったということもあるが、夏の晴耕は厳しいのである。ほんの30分ほどで参る。クラクラする。晴耕雨読、行うは難しである。
記:2007.9.28 島乃ガジ丸