1ヶ月ほど前、図書館から借りたDVD『わたしはマララ』を観た。先週のガジ丸通信は、西原町図書館から初めて借りたDVD『太陽の子』の話をしたが、DVD『わたしはマララ』は、宜野湾市民図書館から借りた最後のDVDであった。
『わたしはマララ』、2014年、最年少の17歳でノーベル平和賞を受賞した少女マララを主人公としたドキュメンタリー映画である。映画としては私の好みではなく、『太陽の子』は私の興味を惹き見入ったが、本作はたびたび早送りした。
早送りしながらも、タリバンに支配された国に住み、教育が受けられない女性たち、それに抵抗する少女マララの賢さと勇気には感動した。であるが、私の頭は、マララとその国の女性たちに同情し、彼女たちを応援しながら、別の方向へ思考が飛んだ。
女性が教育を受けられない。タリバンによるとそれはイスラムの教えらしい。女性は教育を受ける必要は無いらしい。早送りしているので映画の中で言っていたかどうか不明だが、女性は子供を産み、育て、家事をするものという位置付けなのかもしれない。
そこには男尊女卑の思想がある。封建時代の日本もその傾向があったと思う。参政権は男だけという時代もあった。男尊女卑は世界中のどこにでもあったのだろう。
男尊女卑は野放しの人間なら当然の思想なのかもしれない。それは何故かと考えた。
原始の頃、男は闘っていた。動物と闘い食べ物を得ていた。同じ人間と闘い物を奪っていた。同じ人間と闘い女を奪い合っていた。生きて、女を勝ち取り、子孫を残すことが男の本能だったのであろう。今もその本能は概ね伝えられているはず。なので、
人間は基本的に闘う動物であり、闘って強いものが上に立つことになる。概ねの男と概ねの女が闘えばたいてい男が勝つ。男から見れば女は弱い者、暴力による支配が当たり前の社会では、よって、男尊女卑となる、・・・のではないかと結論した。
もう少し考えた。暴力が社会を制覇していた時代、なんて言っても、今だって根本はそう変わっていないように思うのだが、男尊女卑という意味で言えば、日本でも戦前まではそんな時代だったと思う。「男は女より強い、だから男が偉い」という思想の時代だ。
江戸時代で言えば、侍は偉くて、町民は下賎。明治時代で言えば官尊民卑という思想。闘って強いものが上に立つ。上に立ったものは下の者から富を奪い、時間を奪い、下の者に命令し従わせる。そういうことに大きな満足を得る。そういう価値観が今もまだ残っている。だから、この世から暴力、さらには、戦争が無くならないんだと思う。
とはいえ、人間は社会的動物となり、世界の多くの国や地域では「暴力による支配が当たり前」から卒業している。できるだけ周りとの摩擦を避け、できるだけ平和に生きたいと思うようになっている。ということで、今の世は概ね男女同権となり、さらに、体の不自由な人も健常者と同じく生きられるようにバリアフリーという考えも浸透している。
ならば、そうやって人類が知恵を出し合えば、いつかこの世から戦争が無くなるのではないか?などということまで考えが及んで、そして、沖縄のことも考えた。
暴力による主従関係が現代でも正しいとされるならば、暴力では勝てない日本国相手に沖縄は反抗できない。さらに、富でも勝てない日本国が「金やるから言うことを聞け」と命令したならば、反抗する力も鈍ってしまう。でも、知恵を出せば何とか・・・。
記:2017.5.26 島乃ガジ丸
安い健康食品
5月9日は火曜日、美味しい豆腐屋の池田屋が行商に来る日、その4週間前から行商のお兄さんに、「おからある?」と訊いて、「すみません、売り切れています」という返事を貰っていた。おからは人気があるか、あるいは、近所におから大好きな人がいるのであろう。そんな会話が3回続いた5月2日、「来週は1つ取っておきます」とお兄さんが言い、そしてその来週となった5月9日、ついに池田屋のおからを手に入れた。
せっかく手に入れた新鮮なおからではあったが、翌日は大家さんからの差し入れがあり肴は一杯、木曜日は休肝日、金曜日はおからのことを忘れていて、火曜日に購入したおからを料理したのは4日後の土曜日となった。でも、大丈夫。おからは痛んでいない。
おから料理を、私は1種類しか知らない。それはウカライリチー。ウカラはおからの沖縄語読み、イリチーは料理法の1種で「炒め煮」といったようなもの。居酒屋のメニューにあるおからも、スーパーの総菜のおからも概ねイリチーである。
おから料理を作ってみようと思ったのは、池田屋が行商に来る環境にあるから。今でもたまには、スーパーの惣菜のウカライリチーを買って食べているが、池田屋豆腐がおからも販売していることを知って、「池田屋の豆腐のおからなら、きっと美味いに違いない」と思い、池田屋のおからでウカライリチーを自作してみようと思ったわけ。
ウカライリチーに初挑戦しながら、私はふと、子供の頃(たぶん小学生)のテレビ番組を思い出した。時代劇の『花山大吉』。主人公の花山大吉は酒が好きで、その肴にはおからを大好物としていた。私は『花山大吉』が大好きで番組は欠かさず観ていた。それで、子供ではあったが、日本酒は美味そう、あからは美味そうと思った。
母のウカライリチーは記憶に無い。想像するに、花山大吉が食べるおからは美味そうではあったが、子供の私にその美味さは理解できなかったのかもしれない。私がおからをよく食べるようになったのは日本酒を飲むようになってからだ。花山大吉が仰る通り、おからは日本酒に合う。大学の5年間は東京に住んでいたが、その頃はよく食べた。
そういえば、東京ではおからのことを卯の花なんて呼んでいたことを思い出した。卯の花っていうと「うーのはなーの匂う垣根に ほーととぎーす早やも来鳴きて・・・」と歌が出てくるが、広辞苑を引くと、その通り「ウツギの花」とあり、また、「豆腐のしぼりかす」ともあった。「豆腐のしぼりかす」とはつまり、おからのことだ。
おからを広辞苑で引くと「→豆腐殻」とあり、豆腐殻を引くと「豆腐製造の際、豆汁を漉して搾ったかす。食用のほか餌料・肥料などに用いる」とのこと。
さて、ウカライリチー作りの私の初挑戦、我が人生を振り返ってみればウカライリチーだけでなく、おからを使った料理を私はかつて経験したことが無い。ただ、スーパーで売られている惣菜のウカライリチーを思い描き、「千切りのニンジン、ヒジキ、千切りの蒲鉾などが入っていたなぁ」と思い出し、ニンジンの代わりのピーマンを千切りにし、ヒジキの缶詰を用意し、豚バラ肉を千切りにし、フライパンで作る。
購入したおからは両手一杯ほどの量。5月13日に作ったウカライリチーはその量全部を使い、それにピーマン、ヒジキ、豚肉が加わってフライパンいっぱいの量になってしまった。頑張って一遍にたくさん食っても3食分くらいはある。実際には、そう頑張らずに5回に分けて食って、5月16日には完食。自画自賛ながら美味しかった。
記:2017.5.22 ガジ丸 →沖縄の飲食目次
初めに断っておくが、私は言語学者でも無く、ウチナーグチ(沖縄語)に精通している素人でも無いので、以下のことはちっとも確信は無い。私の思うところに過ぎない。ということを踏まえて、言いたいことを言わせてもらうと、和語のタ行はタ、チ、ツ、テ、トであるが、ウチナーグチのタ行はタ、ティ、トゥ、テ、トとなっている。
ターヤガ(誰か?)、ティマ(手間)、ィヤートゥワン(お前と俺)などとなる。タ行がタ、ティ、トゥ、テ、トとなるのは、口の動きからして自然であると思う。前にもどこかで書いたと思うが、数字の2の英語発音トゥーを、和語はツーと発音したり表記したりする。それに私は子供の頃(英語を習い始めた中学生)から違和感があった。
「ウチナーグチ(沖縄語)に精通している素人」でも無い私がウチナーグチについて長々と語ってもしょうがないので、話を先に進める。というか、これが本題。
4月から通う図書館が替わった。宜野湾市民図書館から西原町立図書館へとなった。宜野湾市民図書館は住まいから徒歩5分ほどの場所にあり、月に何度も通っていたが、西原町立図書館は住まいから遠い、車で10分ほどかかる。ので、そう頻繁には通えない。それ以前にカードを作りに行っているが、初貸出は4月22日であった。
初貸出は宜野湾の時もたびたび借りていた『沖縄昆虫野外観察図鑑』など3冊、同じのが西原町立図書館にもあった。書籍以外にDVDも1本借りた。図書館のAVコーナーを見ていたら1本の映画が目に付いた。『太陽の子 てだのふあ』。
『太陽の子』という映画があることは知っていた。灰谷健次郎原作の同名小説があることも知っていた。小説は読んでいないが、映画は観たのではないかと覚えていた。であるが、その内容が少しも思い出せない。それと、「てだのふあ」という表記が気になった。太陽はティーダだが、ティダでもテダでも正解。だが、「の」の意味で言うなら「ヌ」が正確、子の意味で言うなら「クヮ」が正確。「元々、てだのふあという表記だったっけ?どういうつもりでそうしたのだろう?」と疑問に思って手に取り、借りた。
若い頃観たかもと思っていた『太陽の子 てだのふあ』、記憶に残っているシーンは1つも無かった。ということで、観ていないということが判明した。制作年は1980年、その頃私は大学生で東京に住んでいた。近くでやっていれば観ていたはずだが、近くでやっていなかったのだろう。でも、仲間内で話題になり、それで小説『太陽の子 てだのふあ』を知っており、映画『太陽の子 てだのふあ』の存在も知っていたのだろう。
全編140分の映画、主人公は両親が沖縄出身の娘ふうちゃん、時代は1970年代、ふうちゃんが小学校6年から中学1年に上がる頃、舞台は概ね主人公の住む神戸だが、テーマは沖縄。沖縄戦の悲惨であり、その後遺症、そして、沖縄差別。
もう既にたくさんの沖縄戦関連の映画やドラマを観てきた私にとって、映画の言いたいことは特に目新しいものではなかったからだと思うが、『太陽の子 てだのふあ』の140分間、ずっと魅入ったということはなかった。晩酌の酒を飲みながらののんびり観賞。ただ、その日の肴となった刺身のワサビが辛くてというわけでなく、140分の間に何度かナダウルウルー(涙うるうる)はした。沖縄戦はやはり悲しい。ところで「てだのふあ」の「ふあ」、後日調べて判った。宮古八重山地方の言葉で子をファと言うらしい。
記:2017.5.19 島乃ガジ丸
先週土曜日(13日)、沖縄気象台は沖縄地方の梅雨入りを宣言した。その日はその通りの大雨となり、雨は翌日明け方まで続き、朝は小雨となり午前中まで続いた。その日の午後は降らなかったので、畑へ出掛け、草抜きなどの作業ができた。
月曜日(15日)、天気予報では「夜から雨」だったので、「布団干しのチャンスだ」と車に布団を載せ、畑に持って行く。空は晴れているが、空気が湿っているので「干すのは11時頃から」と決める。ところが、11時頃になると雲が多くなり、「陽が射さないと意味ない」と、布団を干さずにいたのだが、それは大正解だった。昼飯食った12時過ぎから大雨となる。雨は時々小雨になったが、概ねは土砂降りで、夜まで続いた。
雨は「夜」までではなかった。翌日16日の夜中土砂降りの雨音で目が覚めた。未明も時々目が覚めた。雨は朝まで続いた。「朝」までではなかった。その日は昼間もずーーーっと「大雨、時々小雨」となり、今年はその名に恥じぬ梅雨入りとなった。
スーマンボースーとは沖縄語で、漢字で書くと小満芒種。小満も芒種も二十四節季の一つ。小満は「4月の中。太陽暦の5月21日頃に当たる」(広辞苑)で、芒種は小満の次の節で「5月の節。太陽暦の6月5日頃に当たる」(〃)のこと。今年の小満は5月21日で、芒種は6月5日と広辞苑の通りとなっている。
小満芒種は『沖縄大百科事典』に記載があり「梅雨の代名詞」とのこと。私の経験でも小満芒種は「梅雨時のことだな」と認識していた。であるが、梅雨入りの平年値(たぶん最近数年間の平均値)は数年前まで5月5日で、今の平年値は5月9日である。5月21日ではちょっと遅かろうと思うが、だいたいそんなもんということだろう。梅雨明けの平年値は6月23日だ。芒種の終わりは6月20日頃なのでほぼ当たっている。
今年は少雨傾向であった。私としてはそんな傾向を感じていなかったのだが、4月、ラジオからのニュースで「ダムの貯水率が50%を切っている。例年より20%ほど低いらしい」と聞き、「そうか、沖縄は少雨傾向だったのか」と気付かされる。
私の感覚では、雨の日は多かったような気がしたのだが、日記を読み返すと、雨の日だった日数は例年とそう変わらない。だが、沖縄気象台のデータによると、去年10月から今年3月まで雨量が少ない。大雨の日が少なかったようである。
4月10日は「昼前から大雨」の予報であった。素直なオジサンは予報を信じて、畑を早めに切り上げ、あれこれ雑用の日としたのだが、雨はちらちら降っただけ。翌11日も同じく大雨の予報、その日は少し降ったが、大雨と言うには程遠かった。
「何だこの天気予報、ピーターと狼みたいだぞ」と思い、「大雨が降るぞー!」と言って降らないから「ピーターと大雨」でお話でも作ろうかと少し考え、「ビーチャー(トガリネズミ)と大雨」というタイトルも考えたのだが、面白い話は思い付かなかった。
しかし、こちらのピーター(沖縄気象台)は3度目の正直で、4月18日火曜日、大雨の予報があって、その通り朝から土砂降りとなった。久々の大雨だった。
ところがその後しばらく、またも少雨傾向となる。過去5年間(2012~2016)の、4月の月間降雨量平均値は222ミリだが、今年はたったの67ミリ。「沖縄のダム貯水率は大丈夫かいな」と思っていたが、5月13日の梅雨入り以降、一昨日5月17日まで雨はたっぷり降った。沖縄のダムもきっと、もう大丈夫だろう。
記:2017.5.18 ガジ丸 →沖縄の生活目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
シマラッキョウ新料理
私の畑ナッピバル、世間並みだと思うが1ヶ月ほど前からシマラッキョウが収穫できている。世間はどうなのか判らないが、ナッピバルでは5月が収獲の最盛期。
ということで、1ヶ月ほど前からほぼ毎日シマラッキョウを食っている。シマラッキョウは、たぶん子供の頃から食べている。母がシマラッキョウの塩漬けをよく作っていたと覚えている。東京に住んでいた大学生の頃、エシャロットなるものを食べた時、「これって洒落た名前だけどシマラッキョウと同じじゃないか、むしろ、シマラッキョウの方が美味しいんじゃねーか」と思った、ことを思い出して調べてみた。広辞苑。
エシャロット(chalote フランス)
ユリ科の多年草。タマネギに似る。丸ごと焼き、肉料理に添えたり、みじん切りにして香味料として用いたりする。日本産のものはラッキョウの一種で、本種とは別。
とのこと。「だぜ、東京で食ったエシャロットはラッキョウだったぜ」と思い、「ラッキョウって何だ」とも思って、これも調べてみた。同じく広辞苑。
ラッキョウ(薤・辣韭)
ユリ科ネギ属の多年生作物。中国原産。日本でも古くから栽培。葉は細く、秋に花茎を出し、その先に球状に集まった紫色の小花をつける。冬を越して、初夏に地下に生じる白色の短紡錘形の鱗茎は臭気を有し、漬けて食用とする。
とのこと。シマラッキョウについては既に紹介済みなので、私自身の記事も振り返ってみた。何と私は、食い物のシマラッキョウを過去に3度も紹介していた。『シマラッキョウ』では「生で良し、漬けて良し、焼いて良し、揚げて良しの食材」と書いている。
同記事にはまた、「丸々と太った本土のラッキョウとスリムな沖縄のラッキョウとは別種だと思っていたが、どうやら同種らしい。」とも書いてある。しかし、沖縄のスリムなシマラッキョウと本土産の丸々太ったラッキョウは見た目に違い、甘酢漬けに適する本土産ラッキョウに比べ、シマラッキョウは辛みが強い。変種関係かもしれない。
別の記事『脳に良い食い物』では「シマラッキョウの料理というと、塩漬けか天麩羅となる。沖縄の居酒屋で出されるのは概ねその2種類である。だが、シマラッキョウは煮ても焼いても、揚げても炒めても美味しいので、他にもいろいろ使える。細かく刻んでスパゲッティーにも合う。」と書いてある。とにかく、シマラッキョウは美味しい。
その美味しいシマラッキョウ、毎日収穫できているので、「何か別の料理」を考え、試してみた。シマラッキョウの酢味噌和えと、シマラッキョウのピーナッツ和え。どちらも美味しかった。シマラッキョウ、酒飲みには良い食材だと改めて認識する。
ついでに、今、畑は私に餌を与え酒飲めとしきりに勧めている。5月の私の餌。
記:2017.5.18 ガジ丸 →沖縄の飲食目次