ケチャップと言えば
琉球王朝時代は唐(中国全般を指す)の影響が強かった沖縄だが、戦後は、長らくアメリカ施政下にあったことでアメリカの影響が強くある。唐の影響やアメリカの影響は食文化にも当然現れていて、唐の影響は琉球王朝伝統料理に、アメリカの影響は戦後の家庭の食卓やハンバーガー、フライドチキンなどのファーストフードに現れた。
フライドチキンやA&W(マクドナルドのようなハンバーガー屋、沖縄では有名)のハンバーガーを食い、コーラ(後日言及する予定)を飲むのが子供たちのご馳走。ブルーシールアイスクリーム(沖縄で最も有名なアイスクリーム)があり、ピザがあり、タコスがあり、沖縄の子供たちの舌はアメリカ色に染まって行った。
家庭の食卓にもアメリカの食文化はズカズカと入ってきた。母の料理はチャンプルーなどの沖縄料理が主であったが、進駐軍伝来の調味料が頻繁に使われた。サラダにマヨネーズ、とんかつにケチャップ、魚のバター焼きなんてのも食卓に出た。
さて、ウチナーンチュ(本土復帰を知らない若い人を除く)にとって、マーガリンと言えばホリデーマーガリン、マヨネーズと言えばエゴーマヨネーズ、などということをこれまでにガジ丸HPに書いてきたが、ケチャップと言えばハンツというのがある。ペプシコーラのような形をしたガラス瓶に詰められた トマトケチャップ。私が子供の頃(今から四十年ほど前、復帰前)は、カゴメなど倭国産のケチャップは無かったのではないか。少なくとも我が家や親戚の家に現れたことは無く、知人友人の家でも見た記憶が無い。
今もあるのかどうか知らないが、中学高校前の食堂にはケチャップ味の焼きそばがあった。我が家では、卵焼きやとんかつにケチャップをかけ、鶏肉や野菜のケチャップ煮なんてのも母は作ってくれた。フライドポテトにはもちろんケチャップであった。
ハンツケチャップはカゴメやデルモンテに比べて酸味が強いように感じる。私はその方が好きである。好きではあるが、ガラスの瓶というのが使いづらい。中身が瓶の中にへばりついて最後まで使い切れないのだ。勿体ないと思う。で、大人になってからはほとんど買ったことが無い。母もいつかしらビニール容器のものに代えていた。
記:ガジ丸 2009.3.30 →沖縄の飲食目次