ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

貧乏が育む優しさ

2015年11月27日 | 通信-社会・生活

 過日・・・日記を調べると10月31日午前10時頃、いつものようにコツコツ畑仕事をしていると、隣のTさんの畑の前に軽乗用車が停まった。運転手が降りて、私のところへ向かいながら「すみませーん」と声をかけてきた。オバサンだ。お嬢さんならニコニコする私は、でも、オバサンであっても無視したりはしない。立ち上がって、彼女のいる道の傍まで行って、話を聞く。話は、かいつまんで言うとこうだ。
 「津堅島から来た。娘の家に行ったが、娘は留守だった。」
 「携帯電話の電池が切れて電話もできない。」
 「車のガソリンが残り少なく、津堅島まで帰れそうにない。」
 「財布も忘れてしまった。」
 ということで、ガソリン代を貸してくれとのことだった。新手の寸借詐欺か?と疑わないわけでもなかったが、名前も聞かず1000円貸した。

 名前も聞かず、借用書も作らず、証拠となるような写真も取らず1000円貸した。貧乏な私、1000円は2日分の食費となる。でも、「近い内に返しに来ます」という彼女の言葉を信じた。じつは、私には魂胆があった。『走れメロス』みたいなことを期待したのだ。数日後、津堅島名産のお菓子を携えて彼女がお金を返しにくる。いやいや、お菓子を期待していたのではない。「人は信じて良い」という満足感を得たかったのだ。満足感と共に、「信じる」というテーマで話が書けると思ったのだ。残念だが・・・。

 先週土曜日、友人K子とその娘A嬢を誘って昼飯デートをした。その帰り、K子からビール6缶を頂いた。普段発泡酒の私なのでビールはご馳走になる。実は、4月に友人Gからビールを12缶貰っていて、それもまだ半分以上残っている。アタラサー(大事に)しているわけだが、その翌日、同じくアタラサーしていた、これもK子からの頂き物ホタテ貝柱の燻製を肴に久々のビールを飲み、久々の日本酒を飲んだ。幸せを感じた。
 私の幸せは「肴と酒が普段より贅沢で、旨くて満足したから」ということもあるが、頂いたものの向こうにいるK子やGの優しさを感じたからでもある。
 優しさといえば、デートに応じてくれ、2時間もオジサンとユンタクしてくれたA嬢も優しい。母親と同級生のオッサンが誘っている。普通なら年上が年下に、男が女に、誘った方が誘われた方にデート代を奢るのだが、オッサンは割り勘だ。申し訳ない。それでも付き合ってくれるので、A嬢の優しさを強く感じ、私は癒されている。「幸せは金ばかりじゃ無ぇんだよ、優しくされたり優しくしたりなんだよ」と言いたくなる。
          

 昔の人はたいてい貧乏だったから、優しくされたり優しくしたりが人生の大きな幸せだったに違いない。そんな幸せの積み重ねがさらなる優しさを育んだかもしれない。昔の沖縄(伊是名、伊平屋では今でも)では、縁側にお茶とお菓子を用意し、道行く人が誰でもその親切を受けることができた。不特定の他人にも優しさを惜しまない。そんなウチナーンチュの優しさは「みんな貧乏だった」から来ているのかもしれない。
 それに比べ現代は、金と物が満ち溢れているのに不平不満にも満ち溢れている。どうやら幸せを感じるハードルがとても高い位置にあるものと思われる。
          

 記:2015.11.27 島乃ガジ丸


オキナワハツカネズミ

2015年11月27日 | 動物:哺乳類

 可愛いネズミ

 友人Fは小学校、中学校、高校が同じで、家も近くごく親しい友人である。その付き合いからFは私に優しくしてくれる。私が貧乏農夫であることも知っていて、たまにアルバイトを頼まれる。今月初め頃には「家にネズミがいる、進入路を塞いでくれ」といった内容のことを依頼された。11日にドアの隙間埋め、今週火曜日(24日)には天井裏への進入口ではないかとFが疑っているコンクリートの隙間埋めを行った。
 FもFの家族もネズミを直接目撃したわけではないようだが、専門の業者からの知識なのか、屋根裏や台所をウロチョロしているのはクマネズミであろうとのこと。
 クマネズミ、私もまだ見たことがない。動物の写真を撮るのも趣味としている私なのでぜひお目にかかりたいと思っているのだが、彼らは夜行性のようなので、昼行性の農夫としてはこの先も巡り合える可能性は低いであろうと思われる。残念だが。

 クマネズミは主に人家周辺にいるとのことだが、畑には畑のネズミがいる。私は既にビーチャー(リュウキュウジャコウネズミ)を見ている。というか、私はこれまで、ビーチャー以外のネズミと名の付く動物を見たことがない。さらに言えば、ビーチャーはモグラ目なので、私はこれまでネズミ目の動物の実物を見たことがない。いや、なかった。
 今年になって、畑のあちこちでウロチョロするネズミを時々目にしていた。素早く動く彼らを写真に撮ることはなかなかできなかったが、畑の土を掘り返した時に見つけた赤ちゃんネズミや、バケツやタライに溜まった水の中で溺れているネズミの写真が撮れた。
 溺れているネズミを見たのは去年2014年の8月、調べると、それはハツカネズミという種であった。私がネズミ目の動物を見た最初となった。その後、畑小屋のベンチ傍、私の座る足元で昼寝するハツカネズミにも出会った。彼らはとても小さく、人を恐れぬ無邪気さも感じて私には可愛く見えた。Fの嫌うクマネズミは可愛くないのかな?

 
 オキナワハツカネズミ(沖縄二十日鼠):齧歯目の野生動物
 ネズミ科の哺乳類 ハツカネズミの亜種で沖縄島の固有種 方言名:ハルヱンチュ
 名前の由来、ネズミは『動物名の由来』に一説として「根に住んでいるもの」という意味とあった。根は暗い所という意味を持つらしい。ハツカは広辞苑のハツカネズミの項に「名は成長が早いからといわれる」とあった。オキナワは沖縄島に生息するから。
 本土産のハツカネズミの亜種で、沖縄島のみに生息する。さらに、亜種関係にある良く似たヨナクニハツカネズミという種もあり、これも沖縄島に分布し、「沖縄島南部ではこれら2種が同じ環境に混生している」とのこと。両者の違いは「(ヨナクニハツカネズミは)小型で多少褐色がかり、尾は頭胴長より短く、下面は淡褐色」とのこと。
 本種は頭胴長7センチ内外、尾はそれより少し長く8センチ内外ということで尾の方が長い。「尾の方が長い」、また、「尾は上面が肉桂色で下面は白い(ヨナクニハツカネズミは全体に褐色)」。ということで写真のものはオキナワハツカネズミと判断した。
 尾だけでなく、体全体も「背面は暗褐色、腹面は純白で背腹両面の境界が明瞭」とのこと。畑や草原に住むネズミで、雑食性で植物質や昆虫を食べている。
 
 オキナワハツカネズミ腹側
 腹面は純白で背腹両面の境界が明瞭とあったが、境界が明瞭には肯くが、純白には?
 
 オキナワハツカネズミ大きさ
 頭胴長7センチ内外とのこと。私の小指の長さは65ミリなので、まあその程度。
 
 ネズミの赤ちゃん
 これは頭胴長より尾が短いので、ヨナグニハツカネズミかもしれない。
 
 オキナワハツカネズミ溺死体
 溺れているハツカネズミを私は3度見ている。その内の2度は7月と8月で助けたが、残る1度は1月で、見つけた時は既に死んでいた。凍えたのであろう。
  

 記:2015.11.21 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行


生活の普通

2015年11月20日 | 通信-社会・生活

 基本ソフトがウィンドウズ8の新パソコンを購入したのは10月16日。そのパソコンのセットアップをしたのは4日後の20日。私は家にインターネットを引いていない。セットアップはネットに繋いでからの方が良いらしい。というわけで、20日に従姉の事務所に行ってネットを使わせてもらいセットアップを行った。
 ネットに繋ぐとウィンドウズの認証やらオフィスの認証やらができる。それらも含めセットアップを完了するのに1時間近くかかった。作業しながら思った。「科学は発達しているのに何で以前より時間がかかるんだ?」と。たぶん、ネットでデータのやり取りをしなければならないことが多くなったのだろう。パソコンを使う人は当然インターネットも利用しているという前提であろう。でも以前は、ネットは普通ではなかった。

 ラジオのコマーシャルで「詳しくはウェブで○○と検索」というコメントをよく聞く。企業のコマーシャルだ。商品名とその特徴(効能とか価格とか)を述べ、「買ってね」といった内容のことを言えばコマーシャルの効果は必要十分。以前はそうであった。昨今はしかし、それだけでは十分でないようで、「詳しくはウェブで」と販売促進する。家庭にインターネットは普通だと想定しているのか?と思ったが、そうではないらしい。
 家にインターネットを引いていない私はまた、携帯電話は電話機能とちょっとしたメールができれば良いという考えからガラ系を使い続けている。画面の小さな携帯電話でネットなどする気はまったく無い。スマホはガラ系に比べネットがしやすいらしい。今はスマホを持っている人が多数で、スマホでネットを利用しているのが普通のようだ。

 NHKの受信料集金人との会話、
 「ワンセグの観られる携帯電話を所持していれば受信料を払う必要があります」
 「そんなことドコモでは何の説明もなかったぞ」
 「普通、家にはテレビがあるのでドコモは敢えて説明しなかったのでしょう」

 「普通の家にはテレビがある」ということのようだが、彼の言う「普通」は「国民の多く」ということで「多数派」を指している。しかし、この世には様々な「少数派」が存在する。目の不自由な人も足の不自由な人も少数派だ。「少数派は普通の人間では無いのかよー!」と、口には出さなかったが、心の中で私は怒っていた。
 「家にテレビのあることが生活の普通だ」とNHKの集金人が言うのと同じように、昨今はスマホも含めインターネットのできる環境にいることが生活の普通であるようだ。ところが、テレビ観るのも金がかかるが、ネット環境にいるためにも費用を要する。
          

 畑からの収入がほとんど無い私は、生活費をできるだけ削減しなければならない。「人生は楽しくなければ」と思っている私なので、楽しむために必要なことについては費用の削減を最小限にし、楽しむために不要だと思うことについては費用を大幅削減している。テレビもスマホも、私にとっては人生を楽しむために必要なものではない。
 生活の普通は、金をたっぷり使うことではないと私は思う。成長戦略に突き進む国は大量消費を国民に望んでいるようだが、それが本当に人間の幸せか?と私は問いたい。
          

 記:2015.11.20 島乃ガジ丸


反骨の婆さまたち

2015年11月06日 | 通信-音楽・映画

 私が会員となっている桜坂劇場、1年に1度の会員更新時に2枚の招待券を頂くが、誕生月にも1枚送られてくる。更新時の2枚のうち1枚は自分で使い、もう1枚は友人のK子にあげ、誕生日の1枚を「さてどうする?いつ観る?何を観る?」と考える。
 貧乏農夫は一つの用事だけで那覇へ行くのを時間的にも金銭的(ガソリン代とかバス賃とか)にも勿体ないと思うので、映画だけで那覇へは行きたくない。「そうだ、車の点検があった」と思い出す。自動車整備場は那覇との境界近くの浦添市勢理客、そこへ車を預け、点検をしてもらっている間に映画鑑賞をするという計画を立てた。
 もう一つ予定を考えた。整備場へ12時前に行き、そこに勤めている友人Zと昼飯、も考えたのだが、彼に電話すると「9月に辞職した」とのことであった。辞職の理由は「母の介護」で、「仕事を続けながら介護は体がきつくてな、年だな」と彼は言う。

 「年だな」とZが言う通り、彼と同級生の私も日々年を感じている。その日整備場へ行く前、Zに電話する前、畑仕事を11時に切り上げ、畑小屋の中で着替えた(汚れた作業着で那覇へ出るわけにはいかない)。着替える際、財布やカギ類を作業ズボンから出し、ジーパンに履き替える。財布もカギ類も「忘れちゃいけない」と目立つところに置く。そして、小屋から出て、小屋のドアを閉め、南京錠をかける。荷物を持って車へ。
 ポケットから車のカギを出す・・・無い・・・車のカギは家のカギと畑小屋のカギと一緒にキーホルダーでまとめてある。「あっ、小屋の中だ」と気付く。ズボンのポケットには財布も無い、「あっ、財布も小屋の中だ」と気付く。何たるドジ!
 小屋に戻って南京錠を見て「あっ、小屋のカギも小屋の中だ」と気付く。合鍵を車の中に置いていたはずと思い出し車に戻る。合鍵は無い。「あっ、この間車の掃除をした時、合鍵を部屋に置いたままだ」と思い出す。まったく!何て不運。その後、小屋の窓をこじ開けようとあれこれ試行錯誤して、腕がやっと入るほどの隙間を開けて、手を伸ばして腕に擦り傷を負いつつカギを何とかゲット。ゲットするまでに30分かかった。
 財布もカギ類も「忘れちゃいけない」と目立つところに置いたのに、それでも忘れた。脳味噌がふと空白になるのだろう。それはこの先年取るにつれて増えるのだろう。
 
 話が逸れてしまった。自動車整備場へ車を預け、点検している間に映画鑑賞という計画は10月26日となった。その日観た映画は『シャーリー&ヒンダ』。90歳前後の婆さまシャーリーとヒンダ2人が「経済成長ってホントに必要なの?」と疑問に思い、その疑問を解くためにあれこれ行動するというお話。反骨の婆さまたちの物語。
 「経済成長って必要なの?」は私も常々疑問に思っていたこと。生きるに十分の食い物があり、雨風凌げる家があり、大事な個所を隠し寒さを凌げる衣服があれば人は幸せに生きていけるのではないかと思っている。常に上を目指して走り続けなければならない社会は、もしかしたらそれこそ発展途上なのであって、完成された社会というのは、「平坦な道を傍の人と語りながら歩いていく、それで幸せとなる社会」ではないだろうか。
 映画は環境保護の思想も垣間見えたが、経済成長しなければ社会は成り立たないと政財界のお偉方が言うことに「何で?」と疑問を持ち行動する婆さまたちが主役。その反骨精神は、この先ジジイになって脳味噌も頼りなくなるだろうが、私も見習いたい。
          

 記:2015.11.6 島乃ガジ丸


アタラサー

2015年11月06日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 「家に泡盛がある。俺は家飲みしないから貰いに来ないか」と友人Mから有難い話のあったのが5月10日、畑のパッションフルーツを収穫し、Mの泡盛と物々交換したのが8月8日、その数日後、頂いた泡盛をぐい飲みに少し次いで味見した。旨い酒だった。
 Mは、沖縄では有名な会社の社長、就任して数年が経つ。彼が就任してからその会社は業績が上がった。「有能な社長である」と、おそらく会社の内外から認められている。そんな彼がくれる泡盛、不味いはずは無いと思っていたが、その通りであった。

 表題のアタラサー、30前後の年齢のことをアラサーというようだが、30過ぎた人をア多ラサー、30前の人をア少ラサーと呼んで区別する際に使われるアタラサー・・・という意味ではない。アタラサーは「大切にする」(沖縄語辞典)という意味のウチナーグチ(沖縄語)。和語でも「あたら」には「惜しむ」といった意味がある。
 「くぬめぇ(この前)コ(買)うてぃあぎたるチ(着物、洋服も含む)のーチャーサガ(どうした)?ィヤー(お前)がウリ(それ)チ(着)ちょせー、ワンヤ(俺は)ナーマ(未だに)ィダンシガ(見ないが)。」(モラハラ夫)
 「ウンジュ(貴方)からぬ初みてぃのプレゼントやむぬ、安々とーチ(着)ららん。アタラサー(大事に)し箪笥んかいカジミティ(仕舞って)うん。」(賢い女房)
 「あー、やんなー(そうか)、アタラサーそーるばーい、はっはっはっ。」
 などといった場面でアタラサーは使われる。ちなみに、「はっはっはっ。」とご満悦の夫であるが、「あんなセンスの悪いもの着られるわけないじゃないの、この先あんたが死ぬまで箪笥の中に仕舞われ放しになるはずよ」と賢い女房は心の中で呟いている。
     
 Mから頂いた泡盛、味見した後は今日(11月5日)まで一滴も飲んでいない。アタラサーしているのである。私が普段飲んでいる泡盛はそんじょそこらにある泡盛。紙パック1升入り約1000円のもの。Mの泡盛は高価そうなのでアタラサーしているわけ。
 アタラサーしている泡盛は他にもある。知人のKさんは、沖縄では名の知られた会社の社長で、付き合いであちらこちらから酒を頂くらしい。だけどKさんは酒が飲めない。Kさんと何かの機会で会うことがあった際、たまに「私は飲めないから」と酒を頂く。これまでに泡盛は写真のものを含め数本、10年ほど前に高価そうなブランディーなども頂いている。そのブランディーは既に飲み干したが、泡盛はまだ2本残っている。
 アタラサーしている酒は他にもある。貧乏になってからは発泡酒ばかりで滅多に飲めないビール、4月に友人のGから頂いた12缶、まだ9缶残っている。貰いものばかりではない。給料をまともに貰っている頃買った2千~4千円もするワイン4本、1万円もするウィスキーもまだ1合ほど残っている。今ではとても買えないそれらの酒、滅多にない嬉しいことがあった時に飲むつもりでいる。滅多にない嬉しいことが久しく無い。
     
 食べ物でアタラサーしているものは無いが、アタラサーはしていないが、なかなか減らない食料品はある。賞味期限がとっくに切れているマヨネーズやケチャップなど。後期オジサンの嗜好がそれらを好まなくなった。料理油もなかなか減らない。後期オジサンの嗜好は油を使う料理も少なくなった。フライパンも活躍する機会が減った。
     
 記:2015.11.5 島乃ガジ丸 →沖縄の生活目次