ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

体のリセット

2010年02月26日 | 通信-社会・生活

 職場で内勤の時、私は2台のパソコン、正面に新パソコン7、右手に旧パソコンXPを置き、概ね同時に使っている。で、旧パソコンXPもまあまあ役に立っている。ただ、このパソコンXPは世話のやける奴で、7年前に購入して以来たびたび不具合を起こし、危篤状態に陥ったことが五度もある。そのたびに、ウィンドウズXPの再インストールやハードディスクのフォーマットなどという大手術を行って復活させた。
 四度目の危篤は昨年の12月にあった。三度目の時と同じようにハードディスクのフォーマット後、ウィンドウズXPの再インストールを行ったが、それでもダメ。「もはやこれまでか」と思ったのだが、試にと、外せる部品の全てを外して、再びつけ直すという作業を行った上で、XPの再インストールを行った。復活した。
 五度目の危篤はつい先週のこと。「もうダメだろうな」と思いつつ、使っていない古い98のパソコンからハードディスクを取り外し、危篤のXPのハードディスクと取り換えた。古いハードディスクは20ギガしかないが、エクセルやワードを使うだけならその程度でも問題は無かろう。ウィンドウズXPを再インストールし、復活した。
 ウィンドウズXPの再インストールも、ハードディスクのフォーマットも、部品を外して再びつけ直す作業も、ハードディスクの交換も、いわば大そうなリセットである。人間の体で言えば、心臓移植とか骨髄移植とかのようなものではないかと思う。そのような大きなリセット、人間の場合はそう滅多にあるものではない。ただ、パソコンでいうところのエラーチェックやシステムの復元などといった小リセットはしばしばある。

 先週日曜日(14日)、深酒して、酔っぱらって、雨に濡れて、濡れたまま寝た。おそらくそのせいで風邪を引いてしまった。今回の風邪は症状が軽かったので、木曜日の夜までは禁酒禁煙し、いつもより多めに睡眠をとったが、あとは普段通りの生活。しかし、それが油断だったようで、復活は今朝(26日)となってしまった。
 風邪を引いた時、私は病院へ行って注射を打つなんてことをしない。注射が苦手っていうわけではない。風邪薬さえ飲まない。薬が苦手ってわけでもない。体の中に風邪を治そうとする免疫細胞があるなら、彼らに力を発揮してもらおうという考えである。
 免疫細胞たちは暑いのを好むそうである。逆に病気の元となる雑菌たちは寒いのを好むそうである。ということを経験的に私は知っていたので、風邪を引いた際は、熱いのを食べて、飲んで、体を温かくして寝て、たっぷり汗をかいて、翌朝には復活ということをやっていた。今回はそれを怠った。たっぷり汗をかくことが無かった。で、長引いた。

  体を熱くして、風邪を治すついでに体に溜まっていたその他の雑菌どもを撲滅する。これが喩えて言う体の小リセットになっていると思う。
 それよりもっと小さな体のリセットを、動物は日常的にもたぶんやっている。それは睡眠時に行われる。ウィンドウズは電源を落とし、再び立ち上げる際はシステムやら何やら(詳しくは知らない)をリセットしているらしい。それと同じように、人間は睡眠を取ることで、日常の様々な体の不具合をリセットしている、と私は思う。ただし、そのリセットは大雑把なものなので、老化を遅らせても、それを止めるまでには至らない。
 何はともあれ、健康のために睡眠は大事、というお話でした。医者でも無いけど。
          

 記:2010.2.26 島乃ガジ丸


とことん世代

2010年02月19日 | 通信-社会・生活

 先週土曜日、模合(相互扶助的飲み会)があった。7時半から飲み始め、10時には終わった。オジサンたちは誰も二次会へ行かない。さっさと帰った。
 若い頃はそうではなかった。模合のたんびに二次会があり、三次会まであった。二次会三次会はたいていお姉ちゃんのいるカラオケスナックであった。私も二十代までは時々それに付き合っていたが、三十過ぎるとほとんど行かなくなった。
 私は歌は上手い方だと思う。若い頃、お姉ちゃんたちによく褒められた。でも、カラオケが嫌いである。カラオケは煩いのである。煩くて話ができないのである。他人が歌うのを聞きたくないので、自分が歌うのも控えているのである。
 さらに、飲み屋の、可愛いお姉ちゃんたちは大好きだが、彼女たちとお話をするためだけに500円の泡盛に4000円支払うような情熱は無いのである。ということで、私は二次会へ行かない。四十過ぎてからは、二次会がカラオケスナックではなくても滅多に行かなくなった。模合での約3時間、旨い酒を飲み、美味い肴を食い、仲間たちとおしゃべりできただけで概ね満足する。これ以上は無くてもいいのだ。

  翌日の日曜日、友人Hの店で飲み会があった。会には若者も三人いたが、後はオジサンオバサンで、Hの友人Aさんは既に爺さんという年齢から数年過ぎている。整体師のFも参加していて、彼の小学校2年生になる双子の息子たちも来ていた。
 オジサン3人、オバサン1人、爺さん1人、さらに、小2の子供が2人いる。このメンバーだと早い時間に宴会はお開きになるであろうと私は予想した。そして、予想より少し遅れたが、11時にはお開きとなった。ところが帰りの車、同乗していAさんが「もう一軒行きましょう」と言う。そう、Aさんはハシゴ酒の世代、とことん飲む世代なのであった。私が思うにこの世代は、戦中戦後の貧しい時代に生まれ、今日飲める時に飲まなければ、明日飲めるかどうか分からない人たちなのだ。とことん楽しむ世代なのだ。

 Aさんと行った二次会の店はカラオケスナックでは無く、串焼き屋さん。若者二人、Hの息子とその恋人が一緒。恋人は可愛いお嬢さんで、彼女が運転手。1時間ばかりそこにいただろうか、たくさん話をしたと思うが、よく覚えていない。なにしろ、それまで私はたっぷりとアルコールを摂取していて、もう十分に酔っていた。
 その日、Hの家に来ていたもう一人の若者は、Aさんの知人であるKさん。Kさんは三十代の女性で、彼女の座った辺りが美人オーラで輝くほどの美人。そんな美人がいたせいで、私はいつもより上機嫌になり、いつもより酒が進んでいた。
 二次会が終わって家に着いたのはまだ12時をちょっと過ぎた頃だったと思うが、部屋に入ってからベッドまでの記憶が無い。翌朝起きると、玄関をちょっと上がったところに上着、最初の畳間にズボン、ベッドの傍に靴下が脱ぎ去られていた。

 AさんもHの家では私と同じくらい飲んでいたはず。とことん世代は内臓の鍛え方が私たちとは違うようだ。とことん世代は恋愛もまた私たちとは鍛え方が違う。爺さんになってもオーラ輝く美女と付き合えるのだ。強いし、偉いと思う。何が違うのか?と今考えると、Aさんは懐が深いという印象を受ける。とことん世代はどっしりしている。
          

 記:2010.2.19 島乃ガジ丸


海老を得て鯛を失う

2010年02月12日 | 通信-社会・生活

 「海老を得て鯛を失う」、略せずに書くと「海老を得んがために鯛を失う」となる。小さなもの(価値の低いもの)を得ようとしたばかりに、大きなもの(価値の高いもの)を失ってしまったという故事による戒めの言葉。広辞苑には載っていない。
 海老で鯛を釣った男が、釣ったばかりの、まだ生きている鯛を手に渚を歩いていると、潮溜まりで海老を見つけた。欲を出し、その海老も捕まえようとしたら、海老は潮溜まりから飛び跳ねて、海へ逃げようとした。慌てた男は、鯛を握っていた手で海老を掴んだ。その時、思わず鯛を放してしまった。鯛は元気よく海を泳いでいった。
 という故事。時と場所は、「むかし、むかし、あるところで」ということで不明。

 民主党は、幹事長続投で「海老を得て鯛を失う」にならないだろうかと思う。辞めた朝青龍は逆に、「海老を失い鯛を得る」ことになるかもしれない。

 倭国には「木を見て森を見ず」という諺がある。これは広辞苑にも載っている。「細かい点に注意し過ぎて大きく全体をつかまない」ということ。沖縄には「キラマー見ーシガ、マチゲー見ーラン」という諺がある。和語にすると「遠く海に浮かぶ慶良間諸島は見えるが、自分の睫毛は見えない」ということになる。つまり、「遠くのことばかり慮って、身近なことに思いが及ばない」こと、またはそういう人を戒める諺である。
 それぞれそういう諺があるということは、倭人には「木を見て森を見ず」の人が多くいて、ウチナーンチュには「キラマー見ーシガ、マチゲー見ーラン」の人が多くいるということなのかもしれない。確かに、ウチナーンチュはボーっとしている人が多い。

 私は正当なウチナーンチュで、子供の頃からよくボーっとしていた。で、家族親戚からは「トゥルバヤー」と呼ばれていた。トゥルバヤーとはぼんやりした人という意。
 大学生の頃、宮崎出身の友人たちからは「ぺーしちょる」とよく言われた。「ぺーしちょる」もぼんやりする意とのこと。その頃、香川県出身の友人と二人で井の頭公園のベンチに座り、池を眺めていたら、しばらくしてその友人が「あんた、よくそんなボーっとしてられるね。」と呆れ顔で言われたこともある。
 そんな私だが今は、これまで生きてきた時間より、この先残された時間が半分以下となってしまった今は、そんなにボーっとしてはいられない。何しろ、やりたいことが山のようにある。ボーっとしている暇は無いのだ。・・・が、

  「三つ子の魂百まで」という諺がある。「幼い時の性質は老年まで変わらない。」(広辞苑)のこと。ボーっとしている暇は無く、ボーっとしているつもりの無い私だが、無意識にボーっとしているらしく、うっかりミスが日常に多い。
 先週、金曜日の職場に水筒を忘れた。水筒は火曜日からの職場で必需品なので、月曜日に取りに行った。行ったついでにHPの修正をちょっとやった。HPのデータは全てUSBメモリにある。そのUSBメモリを使って作業を行い、作業を終え、忘れた水筒を忘れずに持ち帰った。家に帰ってから気付いた。今度は、これが無ければHPの記事書きができないというとても大事なUSBメモリを忘れていた。海老を得て鯛を失っていた。
          
 
 記:2010.2.12 島乃ガジ丸


帰らない青春

2010年02月05日 | 通信-社会・生活

 一人で飯を作り、一人で食い、一人で洗い物をし、一人で飲み、一人で寝る。職場でも一人のことが多く、畑仕事も一人で黙々とやっている。毎日が一人で過ぎていく。
 他人との会話は一週間のうち、金曜日の職場で少々と、土曜日の友人Hの店で少々あるだけ、その他足しても週に3、4時間程度だ。そして、それに不満は無い。寂しい生活とも思っていない。むしろ、この自由は手放したくないという思いが強い。
 「自由を手放したくない」は、私の結婚しない理由の一つになっているが、他に、貧乏であるという経済的理由と、雄としての生殖能力が弱いという理由もある。

 過日、金曜日の職場に出勤し、いつものようにHPのアップ作業を始めようとしたら、先に来ていた事務員のM女史が、「ねぇ、ちょっと聞いてよ。」と言う。その日の朝、姉とちょっとした諍いがあったらしく、その愚痴。「誰かにしゃべらないと気が収まらないのよ。仕事も手に付かないのよ。」とのことで、十数分間、愚痴を聞かされる。
 「私も姉も更年期でね、ちょっとしたことですぐイライラするさあ、よく考えればどうでもいいことなんだけどね。」とのこと。そのどうでもいいことを私は十数分間聞かされたわけだ。時々相槌を打ちながら、「こんなこと世の亭主たちは日常茶飯にあることなんだろうな、誰かが傍にいてくれることの代償なんだろうな」と思いながら。

 先週金曜日、いつものようにHPアップ作業をしていると、「豆、食べる?」とM女史が訊く。そういえばさっきからボリボリという音が聞こえていた。その1時間ほど前にはシュークリームを食べていた。シュークリームは仕事の手を休めての休憩時間だったが、豆は仕事をしながら食っている。「要らない」と答えると、「何で?」と訊く。
 「さっきシュークリームを食べたばっかりだし、もの食いながら仕事はし辛い。」彼女もパソコン作業だ、両手を使っているはず。「そっちだって同じだろう?」
 「決算の書類作りが難しくてさあ、イライラするのよ。何か食べていないとやってられないのよ。」とのたまう。更年期はしょっちゅうイライラするみたいである。

 友人の整体師Sによると、更年期障害はホルモンのバランスが崩れることによって起こり、さまざまな症状が現れるとのこと。イライラもその一つだ。バランスの崩れは、女性の場合は閉経の頃となる。その年齢は人によって異なるようで、友人のKY子は40歳頃にあり、別の友人KI子は「私今でも子供産めるわよ」と、このあいだ話していた。
  更年期障害は男にもある。私は既に経験済み。KY子から少し遅れた40歳過ぎにあった。以来、雄としての能力が弱くなった。先日、整体師Sに診てもらった時もそれは指摘された。脳下垂体のその能力を司る部分が弱くなっているとのこと。
 その時の治療は痛めた腿の筋肉に対してだったが、その数日後から、私の体の別の部分に変化があった。そういえば、治療の効果は全身にも及ぶとSは言っていた。「週に一回あるか無いかだった朝立ちが、週に数回となったが、これも効果か?」と訊くと、「それは俺も知らなかったが、そういうこともあるかもしれない」とのこと。「オジサンの青春は復活するのか?」とさらに訊くと、「そんなことは無い、歳相応になるだけだ」とのこと。歳相応なら安心だ。今さら復活しても、相手を探すのが困難なのだ。
          

 記:2010.2.5 島乃ガジ丸