先週土曜日、飲み会があって、場所を知らないSとHと駅で待ち合わせる。家を出る前にSから「遅れそうなので携帯に電話する」と連絡があった。家を出るとき、私は忘れ物確認を十分やったつもりなのであったが、バスに乗った後、携帯電話を忘れたことに気付く。Sのことがあるので、これは拙い。はーっと溜息する。私の脳は大丈夫か。
その日、従姉の孫にクリスマスプレゼントを届ける用もあった。幸いにも、その家とSの家はごく近い。で、プレゼントを届けた後、Sの家に寄った。「携帯を忘れたから、電話は他の人間にしてくれ」とSの女房に伝えるつもりであった。ところが、本人が家にいた。用があって遅くなるのかと思っていたので意外だった。
Sの女房は聡明な人である。美人であり、スタイルも良く、穏やかである。今記憶を辿っても、私は彼女の微笑んだ顔しか思い浮かばない。その彼女が、顔には笑みを浮かべていたが、すごく疲れている表情を見せていた。ちょっと驚いた。
Sには4歳くらいの男の子が二人いる。双子なのである。彼らがはしゃぐのである。私がいる間も、ちっともじっとしていない。「止めなさい」と言っても全く聞かない。なるほど、この2匹の野獣を躾けるのは相当疲れるのだと理解した。
女房1人で野獣2匹の面倒を見るのは大変であろう。女房としては少なくとも、野獣2匹が眠りに付くまでは夫に一緒にいて欲しいと思うであろう。もしかしたら、Sが遅れそうだと言ったのは、そういうわけだったのかもしれない。そして、女房が疲れた顔を見せたのは、1人で後2、3時間、子供を見ることへの頭痛があったのかもしれない。
従姉の孫たちへのプレゼントを、私は何にするかとても悩んだ。プレゼントを選ぶのは難しいもんだと感じた。甘いお菓子やロボットなどのおもちゃでは、子供は喜ぶかもしれないが、その親が喜ばない。健康に良いお菓子やぬいぐるみのような大人しいおもちゃでは、子供が喜ばない。さて、どうしたものかと迷って、1日、3軒のおもちゃ屋さんを覗いて、悩んで、結局何も買えなかった。その1週間後に別の1軒へ行って、「えーい、もういいや」とテキトーなおもちゃを買ったのであった。
従姉の孫たちの母親であるMもまた、聡明な人である。彼女は子供たちを厳しく躾けているみたいである。親戚の集まりなどでその子らを何度も見かけているが、2人とも野獣のように暴れたりはしない。男の子にしてはちょっと大人し過ぎるのではないかと思うほどである。Sのところの野獣に比べると、こちらは動物園の動物みたいである。
躾とは元々「礼儀作法を身につけさせること」(広辞苑)とのことだが、今では所作だけでなく、心の礼儀作法という意味も含んでいるのではないだろうか。「思慮分別のある人間に育てる」というようなことである。あるいは、美しい身に対して言えば、美しい心を身に付けさせるということである。しかし、美しい心を身に付けさせるのはなかなか難しいことではないかと、両家の子供たちを見て、私は感じたのであった。
美しい心を持った人間が国民の大半を占める。そんな国こそが「美しい国」なのかもしれないと、子育ての話とは関係ないが、最近、支持率の急速に落ちてきている荒心臓総理の、言い訳ばかりしているニュース映像を見ながら、ふと思った。
記:2006.12.29 ガジ丸