テレビはもう2年前から観ていない。新聞はもう何年も前から取っていない。参院選の結果はラジオから聴く。時代は流れるように流れるので言うべき感想は特に無い。
そんなことより雨が降らない。沖縄気象台の資料によると那覇は6月18日にまとまった雨があって以降は降っていない。私の日記による西原町のなっぴばるは、同じく18日は大雨とあり、7月2日に1時間ほどスコールの土砂降りとあったが、それ以外は無い。
なっぴばるには雨水を溜める水タンクが2個あり、合わせて3tの容量があるが、まだ半分近くは残っている。毎日水やりをしてもあと2週間分は十分あると思う。しかし、2週間過ぎてもなお雨が降らなければアウト。じつは、畑小屋の裏に沼というか、直径2mほ どなので水溜りと言った方いいかもしれないが、そこはいつでも水が張っていて、「湧水から流れ来て溜まっているのだろう、枯れることは無いだろう」と思っていた。が、しかし、その沼の水も枯れた。湧水も雨が降らなければ湧いてこないということだ、たぶん。
畑の野菜たちの内、ビート、ニラなどは最初から水をやらない育て方をしているが、キュウリ、モーウイ、ピーマン、ナス、オクラなどは過保護にしてきたせいで水をやらなければ枯れてしまう可能性が高い。実際、キュウリ数株、スイカ、ピーマン等はおそらく水不足で枯れてしまっている。「乾燥にも負けない丈夫な育て方をしなければ」と思った。
一ヶ月ほど前、畑小屋で一服していると、なっぴばるの南隣の畑から爺様が一人やってきて、話しかけてきた。爺様は名前をHさんといい、歳は80歳。その畑の持ち主とのこと。そこで実際にハルサー(農夫という意のウチナーグチ)をやっている人はTさんという。Tさんに畑地を貸している地主さんということだ。Hさんは他にも畑があり、そこは自分でやっているとのこと。「年寄には広い面積の畑をやるのは難しいさぁ」とのこと。
H爺様は1時間近くいて、素人農夫の私に役に立つ話をいろいろしてくれた。その中で一つ、「これは実行してみよう」と思ったのがナンクルミー野菜作り。「作物は野菜でも果物でも一つ二つは熟させて、それをそのまま畑に投げ捨てたらいい。それらの種は時期が来たら勝手に芽生えてくる。勝手に芽生えたものは美味しいさぁ」と爺様は言う。
ナンクルミーは沖縄語辞典にも載っている由緒正しい言葉で、「自生、野生」という意。H爺様によると「ナンクルミーの植物は丈夫でもある」とのこと。そういえば、ナンクルミーしている雑草たちは日照りが続いても枯れることは無い。ということで、なっぴばるの一部、約15坪ばかりはナンクルミー野菜のための畑にしようと決めた。一度草刈りして、そのついでに薄く耕して、刈った草で地を覆い、そこに熟したオクラ、ゴーヤー、モーウイ等を丸ごと投げ捨て、また、その他の種をばら撒くことにした。
なんくるみー畑の範囲決定、草刈り、刈草によるマルチング(覆うこと)を昨日までに終え、既に種を着けているサクナ、シュンギク、フダンソウの種をばら撒いた。その範囲一帯の名前も考えた。「なんくるみー畑」ではまずい。それは静岡のまり子さんが既に使っている。なので、「なんくるみばる」とした。「なんくるみー畑」と全く同じ意味。沖縄語では畑をハルと言う。ナンクルミバルは語感が良い。「なんくる芽生える」とも聞こえる。
ナンクルミバルの作物たちは勝手に生えたもの。自然に生えたものを採集して食う縄文人の生活みたいだ。のんびり生きていたらしい縄文人の生活に私は憧れている。
記:2013.7.26 島乃ガジ丸