11月は畑仕事にシタリカハマティ(とても頑張ってという意のウチナーグチ)、21日にはシマラッキョウを植付け、種播きは一段落となった。10月は2畝(1畝約3坪)だったが、11月は6畝立てた。9月に大雑把に草刈りして、大雑把に畝立てした1畝を加えて畝は全部で9つ、9つの畝が並んだ畑はいかにも畑の姿となった。
植付けた作物は、大雑把に植付けた9月のニンニク、畝の余った個所に植えたレタス、ブロッコリー、キャベツ、ニラなどを加え全部で13種となった。普通、種を播いた後や苗を植付けた後は水かけを必要とするが、13種のどれも水かけをしていない。
13種全てが植付けた翌日は雨となった。天気予報がそう予報しており、それを私は狙っていた。その後も、13種の全て、乾燥に弱そうなホウレンソウも含め、まだ一度も水かけをしていない。ちょうど上手い具合に雨が降ってくれているのだ。
水かけをやっていない理由はもう一つある。もう20年以上も前のこと、農業を覚えたいと思って教えを乞うた人が自然農法の実践者で、彼女から「明日雨が降るという日に種を播けばあとは水かけの必要は無い。植物の根は自ら水を求め、地中深く根を伸ばし、丈夫に育つ」と習い、「さもありなん」と納得しているからだ。
ということで、今後も水かけはしないつもりである。ただし、日照りが続いて作物が枯れそうになったら水はやる。植物に水は必要だ。水かけすると自然農法とは言えなくなるが、耕して畝立てしていることで既に自然農法では無いのだから、それでいいのだ。
植物に水は必要だが、争いの種に水は要らない。争いの種とは、ここでは尖閣諸島のことを言っているが、互いに知恵を出し合って、争いが「戦う争い」にならぬようにして欲しいと願う。争いの種が仲良く交流できる種に育つことが最上だが、それができなければ無視した方が良い。つまり、棚上げということ。戦うよりははるかに増し。
ウチナーンチュの私が主張すれば、尖閣諸島は沖縄のものである。島がどこのものかの判断が「最初にその島を認識していた」のであれば、「明時代には既に認識していた」という中国の主張はその証拠もあり正しい。ところが、明の冊報使を送り迎えしたのはウチナーンチュの船乗り達だ。彼らは尖閣諸島を既に認識しており、福建沖縄往来の際、航海の目印としている。したがって、尖閣諸島は沖縄のものとなる。
まあ、それはしかし、一先ず置いておく。ウチナーンチュは喧嘩したくない。喧嘩したら勝ち目は無いからでもあるが、できるだけ平和に楽しく生きていきたいからだ。仲良くとまでは言わない、喧嘩する位なら「無いもの」にしたいと思う。
個人的な話に代わるが、実家を売却することにした。父の遺言に「三年忌が済んだら家土地を売却してよい」とある。もう三年忌から半年以上過ぎた。財産は、法定相続通りでも兄弟三人で三等分だが、父の遺言でもそうなっている。
売却して得た金を三人で分けてサッパリしたいと私は思うが、姉にとっては沖縄に家があると便利、それが無くなるのは嫌、で、売却に反対している。私にとっては実家の管理は手間と時間がかかるので、それが面倒。で、実家は姉と私の争いの種になっている。争いの種はさっさと無くした方が良かろう、と説得したいのだが、納得するかなぁ。
記:2012.11.30 島乃ガジ丸