私が子供の頃、台風銀座という言葉をよく耳にした。沖縄が台風銀座と呼ばれていた。台風が多いという意味だ。その通り、私が子供の頃、少なくとも高校生の頃までは沖縄島を襲う台風は多かった。1年に1、2個はやってきたと思う。
その頃、というか、復帰前まで、台風には名前が付いていた。今でも1号、2号と呼んでいるが、そういう番号では無く、人の名前、しかも、キャサリンとかメアリーとかいった女性の名前。名付けているのは沖縄在留のアメリカ軍だったと思う。
「今度の台風は随分と勢力が強いな。」
「そうか、それならエルマーと名付けようぜ。」
「ん、誰だそれ?」
「俺の女房だよ。つえーんだよ。」
なんて具合だったかもしれない。むろん、私の想像である。
在留米軍では現在でも台風に女性の名前をつけているのかと思って調べると、ウィキペディアに「1979年に男女の名前を交互につける方法に改められた。」とあり、また、「2000年からは国際的な呼称としてアジア名が使用されている。」とあった。
年中行事であった台風、家の中にはローソク、懐中電灯、トランジスタラジオがその準備怠りなく、家族の誰もが分かる場所に置かれてあった。
台風が登校日にやってくるとなれば、沖縄の子供たちの概ねは大喜びだった。何しろ学校が休みになるのである。沖縄の概ねの子供たちは勉強嫌いだったと私は思う、なので大喜びする。勉強が大嫌いだった私はこれ以上の幸せは無いという位喜んだ。
中学生になると映画館へ出かけたりした。台風の日、昨今はビデオ屋さんが大忙しとのことだが、その頃はビデオが普及しておらず、映画館が稼ぎ時であった。
そんなこんなの懐かしい想い出のある台風だが、去年までの10年間で沖縄島を直撃した台風は、私が記憶している限りでは2個しか無い。アジア最大の米軍基地から戦闘機が飛べない状況になっては困ると、米軍の科学者たちが台風コントロール機なるものをこさえて、沖縄島に台風が来ないようにしているのではないかと疑った。台風はそれまでと変わらず発生しており、宮古八重山は襲われているのである。なので、そういうこともあるのかもしれないと思ったわけ。イラク戦争も始まっていたし。
もう一つ、地球温暖化の影響で台風の発生位置が段々高緯度に移り、沖縄近海ではまだ発達途上で、九州辺りで最大勢力になる台風が増えつつあるのではないかとも想像している。さらに温暖化が進めば、台風は沖縄近海で発生し、沖縄にはまったく被害を与えること無く発達しながら北上し、関東で勢力を強めるかもしれない。
今年はしかし、沖縄島も台風の当たり年となった。2個の台風に襲われた。お陰で、私の畑のゴーヤー、ナーベーラー、モーウイは全滅した。シークヮーサーもほとんどの実が落ちて、収穫できるのは数個となっている。それでも、だ。畑の芋(甘藷)は無事。芋は台風にやられることは無い。だから、昔の沖縄の主食であったわけ。
記:2011.9.29 ガジ丸 →沖縄の生活目次