飛行機が全面禁煙となったのは1998年辺り(日記を調べれば正確に判ることだが、面倒なので、まあ、だいたいということです)と記憶している。そして、それ以前は分煙であった。飛行機の後ろ側の座席に禁煙席があったと覚えている。分煙がいつごろから始まったかは全く記憶に無い。私が大学生の頃はどの席でも吸い放題だったと思う。私が大学生の頃はまた、映画館の中でもプカプカしていた。あー、懐かしき喫煙天国。
飛行機の座席に座っていると、前方上方に禁煙マークとシートベルトマークが見える。離着陸の時はシートベルトマークのランプが点く。禁煙マークのランプは最初から最後まで点きっ放しである。「電気代が勿体無い」と思い、「そもそも、禁煙マークそのものが不必要ではないか」と思った。機内禁煙はもう周知されているだろう。
札幌から稚内へ向かう列車は4両編成だった。その内の3両が指定席だったことにも驚いたが、喫煙可能な車両が無いということにも驚いた。最初、「まさか!そんな!」と思い、確認するために私は1両目から4両目を1往復した。そういえば、全国の特急列車は全面禁煙になるということを最近耳にしたことがある。でもそれは、まだまだ先のことだと思っていたのだ。禁煙包囲網は猶予期間も与えない厳しいものであったのだ。
鉄道の旅での私の楽しみは、ビールを飲み、旨いものを食うこと。ビール1缶を飲み干す頃にタバコを1服すること。煙を吐きながら車窓の景色を眺めること。酒を飲み、旨いものを食うこと、酒の1合を飲み干す頃にタバコを1服すること。煙を吐きながらボーっとすること。そんな私の楽しみが奪われてしまった。しょうがないことではあるが。
飛行機が禁煙、駅の構内が禁煙、列車が禁煙ということになって、私がタバコを吸えるのはホテルの部屋か、飲み屋でということになった。さらに、最後の夜の飲み屋ではタバコ嫌いの美女が一緒だったので吸えなかった。家を出るときに持っていた箱には17本のタバコが入っていた。その箱は帰る日の朝までポケットにあった。その朝、箱を開けると最後の1本が残っていた。とても美味しい1本となった。
たとえば、ゴキブリが癌の特効薬であったとしても、ゴキブリは多くの人々から嫌われたままであろう。たとえば、タバコが何らかの病気の治療に効果があることが発見されたとしても、タバコは嫌われモノのままなのであろう。それはしょうがないことだと思う。だが、オジサンは決心した。今吸っているタバコは軽いが、今度から強いのに替えうと決めた。ニコチン10倍だ。タール10倍だ。オジサンは、反抗期なのである。
私の住まいから大通りへ出るまでの500m位は狭い道である。電信柱が立っている箇所は行き交う2台がすれ違うことができない。対向する時、私の交通マナーでは電信柱のような障害物のある側が、その障害物の前で停まることとなっている。ところが最近の若い人たちには、そのようなマナーが浸透していない。「そこ退けそこ退け」と言っているような勢いで突っ込んでくる。そんな傍若無人の車に対し、反抗期のオジサンは概ね屈しない。こっちも構わず突っ込む。どっちが先に停まるかのチキンゲームになる。自分が正しいと思っているオジサンであるが、しかし、そんなゲームに半分は負けている。
数ヶ月前にもそのようなことがあった。その時も私は負けた。私の傍を通り過ぎた車の運転手は若い女性であった。突っ込んでくるのは、実はそのような若い女性が多い。彼女らは、私は大事にされて当然と思っているのかもしれない。高ビーなのである。横を通り過ぎる女の顔を見た。銜えタバコをしていた。そして、美人だった。とても。
タバコを吸う色っぽい美人は私の大好物である。その時、私は彼女に一目惚れしてしまったが、すれ違って、過ぎ去って、そのまま。以降、お目にかかっていない。
記:2006.10.27 ガジ丸