ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

美しい映画『中国の植物学者の娘たち』

2008年03月28日 | 通信-音楽・映画

 友人のSに強く勧められて、先週金曜日の午前中、映画を観に行った。その日が最終日で、しかも昼12時が最終上映だったので、午前中の映画となった。あれこれ雑用があって、忙しくて、映画を観に行く時間も作れなかったのだが、確かな感性を持っているSが「ぜひ」と勧めるので、雑用を放って出かけたのであった。
 映画は久しぶりである。去年の11月に『沖縄カウボーイ』を観て以来、約四ヶ月ぶりのこと。桜坂劇場の会員となっているが、会員の特典である招待券なども無駄にしているので、会員費を払っている分の元も取れていないのである。
 
 さて、Sが勧めた映画は、『中国の植物学者の娘たち』。その題名を私は初めて聞く。桜坂劇場から送られてくるチラシを見た。監督はダイ・シージエというが、その名前も、私は全く知らなかった。であるが、Sの「良かった」という言葉を信じる。

 幕が開くと原題らしきものが出た。中国語で『植物園』とあった。『植物園』というと室井佑月の『熱帯植物園』を思い出す。性描写が無遠慮で、鬱陶しくて、食傷してしまって、三分の一も読まないうちに投げ出してしまった。(室井佑月は好きである)。それを思い出し、Sから同性愛の話だと聞いていたので、どうなることかと思った。が、
  『中国の植物学者の娘たち』はとても美しい映画であった。美しい景色が随所にあり、美しい二人の女性が出ている。映画の美しさはしかし、そういうことだけで無く、恋愛の表現にもあった。「好き」であることの表現がとても美しいのであった。
 美しい恋愛であった。美しい愛撫であった。あんなに美しいキスというものを、私は何十年かぶりに見た。二人の美女の、互いに愛を伝えるその言葉もまた美しかった。
 「そうか、好きという感情は美しいものであったか。」と私は、随分前に忘れてしまっていた感覚を思い出した。ただし、映画で表現されていた恋愛の美は、私の経験してきたものをはるかに超えていた。「そうか、好きとはこれほど美しいものであったか。」ということになり、感激して、うるうるしそうになったのであった。
          

  植物学者の娘たちの娘は、一人は実子であり、もう一人は息子の嫁である。二人の娘たちはだから、近親相姦では無い。近親相姦では無いが、同性愛である。同性愛は、中国では許されてなく、忌まわしいものとして扱われ、極刑となるらしい。結局、二人は同性愛が知られて死刑となる。しかし、最後の、ここまでくると私は映画の世界にのめり込んでいて、それが演技であるということもすっかり頭から消えている。最後の、法廷での彼女達の表情も、切なく、そして、とても美しいものであった。

 私に『中国の植物学者の娘たち』を勧めた翌日、Sから再び電話があって、「その監督の前回の作品である『小さな中国のお針子』を、DVDを借りてきて観た。これも最高だった。観た方が良い。」とのこと。「映画を、DVDを借りて家で観る」という習慣が私には無いので、「最高だ」は信じるが、それについては今のところ保留としてある。
          

 記:2008.3.28 島乃ガジ丸


瓦版054 ウミンチュの匂い

2008年03月28日 | ユクレー瓦版

 「春だねぇー。」(マナ)
 「おー、春だなぁー。」(ケダ)
 「気持ちいいねぇー。」(マナ)
 「うん、気持ちいいなぁー。」(私)
 「何だか幸せな気分になるよねぇー。」(マナ)
 「・・・・・・。」ケダマンと私は黙って、マナの顔を覗く。
 「・・・・・・。」マナは黙って、ニタニタしている。
 「お前が幸せ気分なのは春のせいじゃないだろうが、にやけやがってよ。」と、ケダマンが少し声を大きくしたが、マナはニタニタのままだ。ケダマンの話を全然聞いていないみたいだ。ケダマンの言う通り、マナが浮かれているのは春のせいでは無い。実は来週、ジラースーとマナのためのパーティーを開くことが決まっている。二人の間を、島の人々が認め、祝福するというパーティーだ。で、マナは幸せ気分にいる。

 その時、店のドアが開いて、ガジ丸が入ってきた。ユクレー屋にはほとんど夜にしかやってこないガジ丸が、まだ昼下がりといった時間帯にやってきた。
 「あれ、なんだい、今日はずいぶん早いね。」と私が最初に声をかける。
 「ガジ丸、お前まで浮かれ気分なのか?明るいうちから飲むってか?」
 「おう、飲んでもいいが、別に浮かれてはいないぞ。あー、そうか、お前までってことは、マナがそうなっているってことだな。はっ、はっ、はっ。」
 「そう、ご明察の通り。見ろよこの顔。」と三匹で一斉にマナを見る。その視線にはマナも気付いたようで、ゆっくりと目の焦点を我々に合わせた。

 「何よ、あんた達、何見てるのよ。」と言いながら、やっと正気に戻ったようで、
 「あっ、ガジ丸、いらっしゃい。」と、ガジ丸に気付いた。
 「さっきから来ているぜガジ丸は、まったく幸せボケしやがって。」(ケダ)
 「えっ、ホント?ごめんね、ビールにする?」
 「何だよー、俺達には昼間っからどーのこーのと言うくせによ。ガジ丸にはどーぞお飲みなさいってか。たいした贔屓だぜ。」(ケダ)
 「煩いねー、ガジ丸は皆のために働いているのよ。アンタみたいにブラブラしているわけじゃないのさ。労働に対する当然の褒美なのさ。」と言いながらも、マナは我々の分までビールを出してくれた。幸せな女は優しい。

 で、明るいうちから宴会となって、賑やかな時間を過ごす。昨日のこと明日のこと、幸せなこと、とても幸せなことなどのユンタク(おしゃべり)が一段落した後、
 「マナ、俺からのプレゼントだ。」とガジ丸は言って、ギターを手に取った。
 「えっ、なに?歌?作ったの?」
 「あー、お前がこのあいだ話していたのろけ話を唄にした。」
 「のろけ話って何だ?」(ケダ)
 「先週、港の近くでこいつとバッタリ会ったんだ。ジラースーの船にいて、その帰りだったみたいなんだ。で、少し話をしたんだが、ジラースーと一緒にいると楽しいとかなんとか抜かしてたんでな、それを唄にしてみた。」とガジ丸は答えて、そして、歌った。

 歌い終わってから、私が質問する。
 「何だか楽くなる唄だね、タイトルは何ていうの?」
  「歌い出しにある『ぽっかぽかだね』がそのままタイトルだ。」
 「ふんふん、ジラースーの匂いは日向の匂いがして暖かいってことだね。」と、私が納得顔していると、ケダマンが異議を唱える。
 「ジラースーはウミンチュだから潮の匂いがしたということにならないか?」
 「いや、これは、恋人がウミンチュ(漁師)という人だけのための歌じゃない。すごく頼りになる歳の離れた男に惚れた女の歌ということにしている。」
 「んじゃあ、加齢臭がしたということになるな。ヘッ、ヘッ、ヘッ。」(ケダ)
 「加齢臭なんかじゃないよ。ジラースーは・・・やっぱり日向だよ。」とマナが、ちょっとムッとした顔で言う。それをなだめるように、
 「マナ、今の唄、ブラスの伴奏にするとご機嫌なんだ。ブラスの伴奏で歌ったものをCDにしてきたから、これを聞いて、皆で練習しておいてくれ。これを来週のパーティーで合唱しようぜ。楽しいパーティーになると思うぜ。」
 「わー、ありがとう。そうするよ。」ということで、この後しばらく、唄の練習が続いた。その後、村人たちが何人かやってきて、一緒に歌った。賑やかな宴会となった。
 夜になって、ウミンチュの匂いもやってきて、宴会はさらに盛り上がった。ウミンチュの匂いは、初め嫌がっていたが、夜更けには合唱の仲間に加わった。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2008.3.28 →音楽(ぽっかぽかだね)


瓦版053 マミガジの絵本3

2008年03月21日 | ユクレー瓦版

 この頃、春らしい気持ちの良い日が続いている。島のあちらこちらに咲いているユリの花が、甘い匂いを漂わせている。その匂いに浸りながら村の中を一回り散歩して、いつもより早い時間にユクレー屋に向かった。散歩の、ほど好い疲れにはビールが合う。

 道の途中でマナとケダマンに会った。
 「おっ、どこかへ行くの?それとも、どこかからの帰り?」と訊く。
 「うん、天気良いからね、ちょっと山を散歩してきた。」とマナ。
 「それじゃあ、もう帰るんだ。良かったよ。ビールが欲しかったんだ。」
 「おう、俺も同じだ。山歩きで疲れた体がビールを欲しがってるぜ。」

 そして、ほどなくしてユクレー屋に着いた。店に入る前からケダマンが連呼する。
 「ビール、ビール、ビール、・・・」私もそれに乗って、合唱する。ドアを開け、中へ入り、カウンターに座ってからも連呼は続いた。
 「ビール、ビール、ビール、・・・」
 「煩いねぇ、止めな、子供じゃあるまいし。」と言いつつ、マナはジョッキを出してくれた。幸せな女は他人にも優しくなるようである。

 グビグビグビとビールを三口四口飲んで、プハーっと息を吐いた。
 「いやー、気候も良いし、運動の後のビールは格別だなあ。」(私)
 「運動って、何かやってきたの?」(マナ)
 「君らと同じ散歩だよ。村をブラブラしてきた。」
 「村か、そういえば、マミナ先生に会わなかったか?」
 「いや、何で?」
 「前にマミナと話をした時にな、未来から来た虎形ロボットのトラエモンって物語はどうだ?って言ったらな、そんな盗作みたいな話は書けないよって答えだったんだが、だけど、『そのトラエモンって名前は頂き。今書いている絵本の主人公の名前にするよ。』って言ってたんだ。その絵本、もうできたかな、と思ってさ。」
     

 噂をすれば影である。そのすぐ後にマミナ先生がやってきた。その手には新作の絵本があった。タイトルは『すまとらとらとらいだー』で、いつものように絵はガジ丸。ただ今回は、唄は無し。落語みたいな物語なので、唄が思いつかなかったらしい。
 まあ、それはともかく、今回はマミガジの絵本その3の紹介。
 
 記:ゑんちゅ小僧 2008.3.21 →絵本『すまとらとらとらいだー』


少数派にも五分の魂

2008年03月21日 | 通信-政治・経済

 大阪の、恥元弁誤士知事の発言が何かと問題になっている。仕事柄、言葉には敏感であろうと思うのだが、5人も子供がいて、人に対する思いやりもあると思うのだが、少々傲慢だと私も思う。若さから、発言の慎重さを欠いているのかもしれない。

 5、6年前、「来月からは皆、定時の10分前に出勤してくれ、その時間にミーティングをする。」と社長から突然の命令があった。社員は皆驚く。一人が控えめに反対意見を述べた。もちろん、確かめるまでも無く、その一人だけで無く、私も含めて皆が反対である。しかし、社長には怒鳴り癖があって、あまり強く反対すると怒鳴られる。で、他の社員は特に意見を述べず、一人の、控えめな意見も、控えめなままで終わった。
 その日の昼休みに、私は意見書を書き、社長に提出した。
 就業時間とは拘束時間です。午前8時から午後5時半までが拘束されている時間です。それでも、会社の利益は社員の利益にも繋がるので、仕事が上手く運ぶための必要な残業は、社長に言われずとも、我々は自主的にやっています。
 しかし、時間外就業の「強制」は不合理です。強制しなくても10分前に出勤している社員もいますが、その10分は彼の時間です。自分の仕事が上手くできるよう道具の手入れをしたり、または、一服したりするのは彼の自由です。
 というようなことを書いた。翌日、社長に呼ばれた。「来月から出勤は9時でいいですよ。」となった。そして、私を除く社員は皆、10分前出勤となった。
 そんな社長だが、恥元弁誤士知事に比べたらずっと思いやりがある。10時休み、3時休みを無くせとは言わない。夏場は、1時間ごとの休憩も認めてくれている。
 一服する時間の代わりに始業前出勤を求めるなんて、恥元知事は「もっと働け!お前たちに休みは要らない!」と言っているみたいだ。労働者は奴隷じゃ無い。

  恥元知事が共産党議員に言った「多数派になってから発言して欲しい」はもっと大きな問題である。にもかかわらず、報道番組のコメンテーターなどからあまり突っ込まれていない。皆、「若気のいたり」と認識しているのかもしれない。「しょうがない知事だ。経験不足ということだな。」などと思っているのかもしれない。
 多数決は民主主義のルールだが、しかし、「少数派は黙っとけ!」というのは民主主義の否定である。少数派に発言する機会が無かったら議会は要らない。

 一寸の虫にも五分の魂という言葉があ る。「小さく弱いものにもそれ相応の意地があるから侮りがたいの意」(広辞苑)とのこと。恥元知事は、人生は戦いだ、勝たなければ意味が無いといった信条をお持ちなのであろう。そして、選挙に勝って、地位と名誉を手に入れた勝者は、労働者や少数派といった弱者を侮っているのだと思われる。
 大阪府職員の「どれだけサービス残業をしていると思うのですか!」という発言はあっぱれであった。そうだぞ、労働者にも五分の魂があるぞ。また、共産党は、私の支持する党では無いが、今回は「負けるな!」と応援したい。少数派にも五分の魂があるぞ。
 しかし驚いたことに、知事に楯突く職員や議員に苦情殺到らしい。正しいと思うことを発言できない社会は恐ろしい、と私は思うが、大阪人はそう思わないのだろうか。
          
          

 記:2008.3.28 島乃ガジ丸


カード社会

2008年03月14日 | 通信-社会・生活

 近所にスーパーが4店あり、そのうちの3店へは週に1回、残りの1店には月に1回程度買い物に行っている。金曜日の職場の近くにもスーパーが2店あり、そのうちの1店には週に1回、残りの1店には月に1回程度買い物に行っている。
 それら6店舗はそれぞれ違う会社である。しかし、どのスーパーへ行っても、レジで清算する時カードの有無を訊かれる。「○○カードはお持ちですか?」と。この○○にはそれぞれのカードの名前が入る。私はどのカードも持っていない。カードで財布が太るのが嫌(お金で太ったことは無いのにさ)だからだ。出すのも面倒だし。

 私の財布には既に、常時5枚のカードが入っている。銀行のキャッシュカードとクレジットカード、市役所の市民カード、図書館の貸し出しカード、そして電気店のポイントカードである。私は2つの銀行に口座を持っているが、1つの口座はもう10年ばかり利用していない。常時携帯するカードを減らすためである。
 もうしばらくしたら、常時携帯のカードは4枚に減る。電気店のカードを処分することにした。電気店では大きな買い物をすることが多いということからポイントカードを作ったのだが、カードを作って約10年、その間、テレビ、冷蔵庫、ビデオデッキ、オーディオ、洗濯機などなどを買っているが、1度もポイントを利用していない。ポイントがいくら溜まっているのか、いつ消滅するのか、ポイントで何ができるのかずっと不明だったので、使いようがなかったのである。無駄なことをしてきたのである。

 話はちょっと逸れるが、実家を出て今のアパートに越してから14年になる。住所変更を知らせていなかったので、その電気店とクレジットカード会社と出身大学からの私宛の手紙はずっと実家へ届いていた。で、先週、クレジットカード会社と出身大学へはインターネットで、そのHPから住所変更を行った。15分で手続きは終了した。
 電気店もそうしようとそのHPを覗いたが、そういったページが無い。で、メールで問い合わせる。翌日になって返事があった。「店まで来てください」だった。
 そのメールにはついでに、ポイント数を知るにはどうしたらいいかということも訊いていた。これもまた、「店まで来てください」だった。面倒なカードなのである。というわけで、その電気店のカードは処分しようと思ったのである。

  そういうことで、近いうちに私の財布からカードが1枚減る予定だが、7月にはまた、1枚増えることになりそうだ。増えるのは、タスポというカードである。自動販売機で煙草を買う際には、そのカードが無ければ買えなくなるというのだ。
 まったく何でもかんでもカードカードと面倒な社会となってしまった。できれば、1枚のカードで銀行も図書館も電気店やスーパーの買い物も、そして、煙草の自動販売機も使えるようにしてもらえないだろうか。お金を入れるための私の財布だが、お金では太らない財布である。それを、カードで太らせたんでは可哀想だ。財布も私も。
          

 記:2008.3.14 島乃ガジ丸