今週火曜日(1月28日)で実家の片付けがほぼ終了した。私の部屋だった所にベッドと長火鉢とラジカセがあり、台所に冷蔵庫、リビングに小さなオーディオがあり、風呂場に洗面器やシャンプーなどが残っている。それらは私の車に一遍に載る量なので、明日、車に載せ運び出すつもり。それで、引渡し準備完了となる。
実家の片付けは、売却に動き始めた1年以上も前からちょくちょくやっていた。先ずは自分のモノの整理。要るものはアパートへ持ち帰り、要らないものは友人にあげたり、誰も貰わないものはゴミとして処分。私のモノにも本類は多くあったが、父の本、母の本など含めると本類は1000冊ほどあった。公共の施設に寄贈し、友人知人に譲ったり、古本屋へ無償であげ、雑誌類は資源ゴミとして処分した。写真や父母の残した書類等は貴重だと思うものをスキャンしてパソコンに保存し、その後は全て処分した。家具類、食器類、衣類、小物類は、それを欲しい という親戚友人知人に譲った。
そんなこんなで去年までに本類の8割方、家具類の半分など多少は片付いたが、それでもまだ、大きなものではベッド、飾り棚、カウンター風棚2個、応接セット2組、デスクと椅子、食器棚などが残り、食器類と衣類、及び寝具は8割方残った。
今年になって、食器の内の漆器類の多くを友人のI女史が引き取ってくれ、陶磁器、ガラス製品ではその半分ほどを友人のK子が引き取ってくれた。衣類では、着付けをやっていた母の着物のほとんどは従姉Mが預かっているが、祖母の沖縄着物は、中に芭蕉布の高価なものがあるかもしれないと思ったが、それらは従妹のTにあげた。家具類では食器棚と応接セット1組をK子が、扇風機なども知人が持って行った。それでもなお、2tダンプに山積みしたとしても3台分位はありそうな荷物が残っていた。
片付けは当初、不動産売買の件で知り合った本業測量屋、副業に墓造り、登記移転手続き、不動産仲介をやっているFさんが「私が安くやってあげるよ、その代わり、壺や絵画などを譲ってくれ」と言ってくれていたので彼に頼むつもりでいた。ところが、昨年11月に知合った若者Iが「僕たちに任せてください」と言ってくれて、私より年上のFさんより沖縄の未来を背負う若者たちに任せた方が、沖縄のためにはいいかなぁと思って彼らに任せたのだ。しかし、彼らは片付けのプロでは無く、仕事が遅かった。
ある日の午後、若者たち3人と私の4人で 作業をしているとFさんがやってきて、「少し手伝うよ」と言い、家の中にあったゴミ処理施設行きのモノをテキパキと車に載せ、3度往復し、夕方までにはその半分以上を消してくれた。「さすがプロ」であった。
仕事の遅い若者たちに加わって、私も先々週からほぼ毎日実家へ通った。若者たちも彼らの軽トラックで荷物を運び出したが、私も私の車で荷物をあっちに運び、こっちに運びなどし、この3週間でいつもの2ヶ月分程のガソリン代を費やしている。
片付けがほぼ終了して思ったのは、「それにしても、1家族が何たる量の生活物資なんだ!」であった。家族の人数は概ね父母と子供3人の5人だが、この量であれば、100人分くらいあるのではないかと思った。生きるに不要な消費が多すぎる。これが現代の大量消費、荒れ心臓総理の好きな大量消費社会なのか?私は勿体無いと思う。
記:2014.1.31 島乃ガジ丸