概ね週に1~2回しか剃らないのでたいていは灰色の無精ひげを生やし、破れたTシャツに、泥(畑の土)で汚れたズボン、同じく泥で汚れた靴を履いている私の姿を見て、友人のM子は「浮浪者みたい」と言う。主食に芋を食い、副食は畑の野菜という食事が多いということも知っている従姉たちからは「貧乏臭い」などとも言われる。
「浮浪者みたい」については、私は浮浪者ではないのでそう言われるのは心外。あまりに酷く破れたTシャツは着ないということで解消することにした。
「貧乏臭い」については、確かに加齢臭がして体臭は臭いかもしれないが、貧乏臭いと言われるのは心外。「俺は貧乏臭いのでは無ぇよ、貧乏なんだよ」と反論したい。威張って言うほどのことじゃないので、今のところ心の中だけで叫んでいる。
そう言えば、と昔のことを思い出した。私は大学時代にも友人から「貧乏臭い」と言われたことがある。親からの仕送りで質素倹約生活をしている頃のことだ。
質素倹約は今でもやっている。例えば、これは普通のことなのかもしれないが、詰め替え用シャンプーを買い、ボトルに移して、ほぼ空になった詰め替え用の袋に水を入れ、よく振っておく。そのシャンプー水溶液で5~6回は髪を洗うことができる。
もう1つ、シャワーで使う石鹸が小さくなると、洗面台の傍に置き、顔洗い手洗い用とする。これがさらにちびて、掴むことさえ困難になったら捨てている。
その掴むことさえ困難になった石鹸、それが数個溜まるとお湯で溶かして石鹸水溶液なるものを大学時代の私は作っていた。石鹸水溶液は手洗い用に、また、拭き掃除にも使っていた。それを見た友人が「貧乏臭い奴だなぁ」と言ったのであった。
去った8月17日は旧暦の7月15日で、旧盆のウークイ(御送り)の日であった。旧盆は、沖縄では大きな行事の1つで、その1週間ほど前の旧暦7月7日に墓掃除をし、お茶などを供え、「13日にはぜひいらしてください」と祈る。ご先祖様はグソー(後生)から先ずは墓へ下りて、それからトートーメー(位牌)のある家に来るらしい。なので、予め墓をきれいにしておき、ご先祖様へ失礼の無いようにするらしい。
あの世からこの世にやってきたご先祖様は食欲も復活するらしく、この世にいる子孫たちはご先祖様への食べ物も準備しなければならない。ウンケー(御迎え)の日には仏壇を灯篭などで飾り付け、果物やお菓子も飾りの一つとして供える。
母が生きている頃、母の手によって飾り付けられた我が家の仏壇は豪勢であった。母があの世に行った後も父が生きている間は、父の号令によって私や従姉達によって仏壇は飾り付けられた。母の頃ほどではなかったが、それでも豪勢であった。
旧盆行事を私が仕切るようになって今年が6回目、トートーメー(位牌)が寺に移ってからは3回目となる。私が貧乏だからということもあるが、寺の仏壇が狭いということもあって飾り付けも供え物も質素になる。供える果物も買うことは無い、畑から採れるもので間に合わせている。従姉たちから「貧乏臭い」と非難されそうな果物飾り。しかし、そう言われた時の反論が私にはある。「俺が育てた果物だ、御先祖もきっと喜ぶ」と。
徳川家康から400年以上経った今でも、質素倹約は美徳であると私は信じている。
記:2016.8.26 島乃ガジ丸
雨が多く、太陽が雲に隠れる時間が長かったお陰だと思うが、8月上旬から中旬にかけて酷暑がいくぶん和らいだ。夜もいくらか涼しくなって、先週月曜日から土曜日にかけては私もぐっすり眠ることができた。しかし、翌日曜日(14日)からは酷暑が戻り、私のグダグダ睡眠も戻り、今日まで寝不足の日々が続いている。
酷暑の中、本来ならお昼前には畑仕事を切り上げるのだが、雨が多かったせいで作業が遅れているので、少々無理して午後1時とか2時頃までやっている。陽が照っていなくても汗が滴り落ち、「くそっ!うんこ!ばか!」などと悪態をつきながらなんとかやっている。陽が照っているととても辛い作業となる。その時はもう声を出す元気もない。
畑仕事を終えて家に帰ると、後期オジサン(私のこと)はしばらく死んだようになっている。何かする元気は微塵も残っていない。ただ、ただ、ベッドで横になっているだけ。2時間ほど死んだ状態になってから料理、炊事、洗濯などに取り掛かる。
今週のガジ丸の日常『料理三昧の日々』にある「日々」は、先週の、ぐっすり睡眠ができていた日々、畑仕事を終えた後も元気が残っていた日々のことで、今週、グダグダ睡眠に戻ってからは、料理も簡単に済ませ、急いでいるはずのアパート探しも怠けている。
今、新居となるアパート探しをしているが、ネットで調べて、いくつか候補があって、それらを自分で探して見に行ったりして(先週まで)いる。不動産屋を呼んでいないので室内を見ることはできない。建物周辺の環境を見に行っている。隣に公園があったり畑があったり、あるいは原野とか墓地とかがあって、空間ができるだけ広々としていること。つまり、建物が密集していないことも、私の新居選びの条件の1つになっている。
建物が密集していると、夏、クーラーの室外機から熱風が吐き出され、夜の風は自然の風より暑くなる。それは私の実家に夏泊った時に経験している。建物の密集する都会の夏の夜は、おそらく同じ理由で気象庁の計測値よりも高いに違いない。
素人の私が考えることなので間違っているかもしれないが、自然の状態で気温30度だとし、クーラーが使用されている室内が25度だとすると、都会の、夥しい数のクーラーが吐き出す熱風は、夥しい数とはいえ熱風の量そのものは大気の量に比べると僅かなのだが、それでも地表面の空気を2~3度は上げているのではないだろうか?
ラジオの天気予報ではこのところ、というか、2ヶ月ほども前からほぼ毎日「熱中症に気を付けてください」とアナウンスされる。「水分を摂り、冷房を使うなどして熱中症を予防しましょう」とも言う。熱中症を予防するには、クーラーは必要らしい。
素人の私が考えることなので間違っているかもしれないが、クーラーに慣らされると人間の身体が本来持っている体温調整能力が弱まる。体温調整能力が弱まると熱中症に罹りやすくなる。なので、ちょっとした暑さでもクーラーを使うようになる。そうなると、彼らの体温調整能力は益々弱まって行く。これを熱中症スパイラルと言う、かも。
という私も、まだ一度も使ったことのない、プラグをコンセントに挿してもいない部屋のクーラーを「今日は使ってみようか」と、この夏は何度か思った。窓の外に畑があり、樹木も茂っている私の部屋でさえそうなのだ。クーラーをガンガン使っている建物の密集した都会の中では、クーラー無しで過ごすのは困難かもしれない。
記:2016.8.19 島乃ガジ丸
先週のこと、ラジオ番組のパーソナリティーとレポーターとの会話、
「夕方になって涼しい風が吹いてきましたよ。」
「そうですか、立秋も過ぎたので秋が近付いたのかな。」といった内容。確かに、8月に入って雨の日が多く、雨雲が太陽を隠す時間が長かったお陰だと思うが、立秋(7日の日曜日)の翌日辺りから、それまでの酷暑が少し和らいでいた。
夜もまた、お陰でこれまでの暑苦しさは少し和らいで、先週月曜から金曜にかけては私もぐっすり眠れた。ぐっすり眠れて久々に濃い夢も多く見ている。例えば、火曜日には20代前半のヤンキー娘と結婚し、水曜日には2人の若い美女に迫られ、夢の中の私は逞しく、2人まとめて夜の面倒を見てあげた。などと、私1人が楽しい夢。
ぐっすり眠れても私はしかし、「秋が近付いた」と仰るラジオ番組のパーソナリティーほど浅はかでは無い。フォローしておくが、そのパーソナリティーは美女のはず。見たことは無いが、その声としゃべり方でそう想像できる。その声としゃべり方から、賢くて品が良いことも判る。ただ、クーラーの中にいることが多く、自然の中に身を置くことが少ないので、レポーターの報告に「秋が近付いた」と勘違いしたものと思われる。
その放送の翌日だったか、翌々日だったかの11日(木曜日)、朝6時半から午後1時まで畑仕事をし、長袖Tシャツ2枚を汗でびっしょり濡らし、2時からは順延していた墓掃除に行った。最も暑い時間帯、20分で長袖Tシャツはびっしょり濡れた。ぐっすり眠れて元気はあると思っていたのだが、家に帰ると後期オジサンはグッタリだった。
雨の多かった8月上旬、その日もまた、ところにより雷雨の予報であったが、結果、日中は一滴も降らなかった。雲も少なくギラギラの太陽がガンガン照っていた。墓掃除をしている間、ラジオの「立秋も過ぎたので秋が近付いたのかな」を思い出して、クーラーの中で涼しげな顔をしている美人を想像しながら、「自然の暑さを知らないのかよ!」と思い、「バーカ、バーカ、バーカ、バーカ、バーカ」と呟きながらの掃除だった。
私のぐっすり睡眠は土曜日まで続いた。ぐっすり眠れるので目覚めも早い、4時半には目覚め、5時までにはきっぱり起きている。土曜日も6時半には出勤し、何と午後2時まで働いた。ぐっすり睡眠はやはり身体が元気になるようだ。それでも、2時以降のギラギラ太陽には勝てそうもなかった。その日も日中は雨が降らず、暑かった。
夜中、または未明には雨が降っている。朝、アパートの駐車場が濡れているし、通勤途中の道も濡れていることで、まあまあ降ったことが判る。しかし、金曜土曜と日中は太陽がガンガン照りつけていたので土曜の夜は暑かった。明け方まで暑く、私の睡眠もダラダラ睡眠へ戻り、日曜日はグダグダ起床、元気の出ない身体で出勤となる。
8月上旬は雨が多かったせいで畑仕事が遅れている。9月に植える作物が多くあり、その畝の準備をしなければならないが、まだ1つも終わっていない。耕す前の除草に追われている。なので土曜日は午後2時まで頑張った。日曜日も頑張るつもりだったが、太陽がガンガン照りつける中、体力がそれを許さなかった。お昼過ぎにはギブアップ。
ラジオの美人(であろう)パーソナリティーに盾突くようで申し訳ないが、私の身体が感じるところでは、沖縄の夏はまだまだ続く。むしろ、これからが真っ盛り。
記:2016.8.19 島乃ガジ丸
あんあんあん、ドラえもんの歌ではない。あん❤あん❤あん❤と書くと、女性のあの時の声になるがそれでもない。安杏餡と漢字表記して安全な杏の餡という意でもない。
先日、別件で過去の日記を見ていたら、2013年8月8日に、今住んでいるアパートを管理している不動産屋へ行き、引っ越しについて相談している。その頃から私は引っ越しを考え、たぶん、「引っ越したいなぁ」という緩い決意でいたのだろう。私好みの厳しい条件、家賃が安く駐車場付き、部屋はワンルームか1Kのフローリングで、1階か2階の角部屋(窓が2方向に1つずつ)、畑から徒歩圏内といった条件を付けていた。しかしながら、そういった好条件のアパートは2年半近く探しても見つからなかった。
そういった厳しい条件を全てクリアしたもので無ければ引っ越さなくていいや、という緩い決意は、しかし、今年になって「何としても引っ越さなければ」という強い決意となって、条件を大幅に緩和して、本気モードで新居となるアパート探しをしている。
これまでに1軒の部屋を不動産会社に案内してもらい、3軒のアパートをその環境を知るために、自分で探して見に行った。その内の1軒は、家賃は3万6千円、畑からの距離が直線で1キロメートルほど、間取りは2DKで1部屋は和室だが他はフローリング、ということで、初め「ここにしようか」とまで一旦は思ったのだが、今は迷っている。
後の2軒は、間取りはワンルームと1Kで満足なのだが、畑からの距離が直線で1キロメートルを少し超えるのと、何より家賃が4万1千円と4万2千円といことで躊躇している。それでもまだ却下の断定をせず、3軒共に迷っているのには理由がある。今度越す先は長くて5~6年、短ければ2~3年の仮住まいでいい、2~3年なら多少の不都合は構わぬと思っているから。向こう10年は、仮住まいの生活が続くと思っているから。
生きていればの話だが、10年後、あるいはもう少し後、私は終の棲家を求めるつもりでいる。なので、それまでの私の住処はどこであれ仮住まいとなる。
24坪ほどの土地に6坪ほどの小屋を建てそこに住む。残る18坪は駐車場や庭とし、建物の面積の割には広い(約2坪半)デッキを設けている。門から、あるいは駐車場からスロープを通ってデッキに上り、デッキから玄関に入る。車椅子でも家の中に入ることができるバリアフリーである。デッキに面して掃き出し窓もあり、部屋からの出入りもしやすい。気候の良い日、部屋にある長火鉢をデッキに出し、干物でも焼きながら酒を飲むためのデッキであり、夕暮れ時、椅子に座ってボンヤリ過ごすためのデッキ。また、人を呼んでバーベキューなどをする時にも使われる。なので、割と広くなっている。
小屋はできるだけ庵の風情とし、名前を付け小さな看板を掲げる。看板に刻まれる文字は「安暗庵」。表題の「あんあんあん」とはこれのこと。
安暗庵とは、広さ6坪程の木造トタン屋根ということで安っぽいという意の安、暗は、建物の周りには樹木が茂っていて陽があまり当らないという意の暗でもあるが、独居老人は社会的に暗いというイメージがあるのでその暗の意もある。そこで静かに暮らし、畑の野菜を肴に自家醸造の酒を飲む。そしていつか、1人静かに死ぬ。それが私の夢。
記:2016.8.12 島乃ガジ丸
おやつになる穀物
今年(2016年)3月4日、40株ほどのトウモロコシの種を畑に播いた。肥料を与えない私の畑では成長はゆっくりである。ゆっくりとだが順調に生育し、5月になると雄花が咲き、雌花も着け、雌花は受粉し、果穂は太って行き、5月下旬には、あと2、3日経てば1、2本、1週間も経てば5、6本は収穫できそうなほどになっていた。であったが、1週間が経っても実の着いたトウモロコシは1本も収穫できなかった。
その前、5月20日、私は未熟のトウモロコシを何本か収穫していた。「1本の果穂を十分に太らせるには1株に1~2本でいいはず」と友人の脱サラ農夫Tから助言を貰っていたので、その通り1株に2本を残してそれ以上の果穂は摘果した。摘果したものはベビーコーンとして食えると先輩農夫Nさんから聞いていたのでその通りにする。
摘果したものの内、大きめのものは表面だけを削り取って、中くらいのものは縦横に切って、小さいものは丸ごとスープに入れて食す。中くらいのもので芯の残っているものがあり、それは噛み砕くことができなかったが、概ねは美味しく頂けた。
ところで、「実の着いたトウモロコシは1本も収穫できなかった」訳は、2016年6月3日付のガジ丸のお話『トウモロコシ泥棒』に詳しく書いているが、かいつまんで言えば、マングースか犬か、ネズミかカラスか犯人ははっきりと確定できていない(たぶんマングースと思われる)が、何者かに食われ、その食い痕にカタツムリやヤスデなどが集って、それで、トウモロコシは十分に成長できなかったものと思われる。
その後、十分成長したトウモロコシは1本か2本収穫しただけだったが、半分だけ実の付いたもの、もっと少なく実の付いたものなども含め、実が十分に成長したものは普通に焼いて食った。美味しかった。でも、40株から数本分の収穫でしかなかった。
トウモロコシを広辞苑で引くと、「世界各地に栽培され、小麦・稲に次ぎ食用作物で3位」とあった。「そうか、トウモロコシはおやつでは無く穀物であったか、そういえばトルティーヤなんてのもあるしな」と納得。納得はしたが、次に「穀物って何を指しているんだ」と疑問に思い、それも広辞苑、「種子を食用とする作物で、多くは人類の主食となるもの。すなわち、米・大麦・小麦・燕麦・粟・稗・黍・玉蜀黍・豆など」とある。確かに、トウモロコシ(玉蜀黍)も含まれているが、豆も入っている。
豆は野菜とばかり思っていたので、次に野菜を調べる。これも広辞苑、「生食または調理して、主に副食用とする草本作物の総称。食べる部位により、葉菜あるいは葉茎菜・果菜・根菜・花菜に大別。芋類・豆類はふつう含めない」とのこと。豆は野菜ではなかったのだ。じゃあ、豆とは何だ?と広辞苑、「マメ科に属する植物のうち、ダイズ・アズキ・ソラマメ・エンドウなど実を食用とするものの総称」とのこと。
芋類も野菜と思っていたので芋も調べる。同じく広辞苑、「植物の地下茎または根の発達したもの」とのこと。芋も豆も植物的には野菜なのかもしれないが、食料としては野菜ではなく、穀物扱いのようである。芋類も確かに「人類の主食」に違いない。
トウモロコシついでに良い勉強になった。ところで、そのトウモロコシ、本頁の主題であるトウモロコシ、主食となる穀物であることは認めるが、現実の私の生活では、トウモロコシが米のご飯やパンや麺類などの代わりに主食として食卓に上ることはなかった。トウモロコシはおやつに齧っていたもの、お菓子のポップコーンでしかなかった。
私の畑に芋(甘藷:サツマイモ)は今、4種栽培されているが、その内の2種はあまり甘くない品種である。甘みの少ない方が主食に適していると私の胃袋は感じている。「トウモロコシは穀物」とするならば、トウモロコシも甘みの少ない品種の方が主食に適するであろうと想像する。今年栽培したトウモロコシは甘みの強い品種であった。
今年、トウモロコシ栽培に失敗し、根性無しの農夫は「来年からトウモロコシを植えるのは止めよう」と決めていたのだが、「甘みが強いから虫に食われやすかったのだ」と、もしかしたらという希望の下、来年は甘みの少ないのを植えてみたいと思う。
トウモロコシ(玉蜀黍):穀物
イネ科の一年生作物 ペルー原産 方言名:グスントウジン、トーフームン
食べて美味しいトウモロコシだが、果実は品種によって色や大きさ味に違いがある。美味しいのもあれば、そうでないものもある。美味しいものは主食となったり、スープになったり、おやつになったりする。そうでないものは油やデンプンの原料になったり、家畜の飼料になったりする。最近ではバイオエタノールの原料としての需要も多いらしい。ちなみに、ポップコーンにするものはポップコーンという品種とのこと。
記:2016.8.6 ガジ丸 →沖縄の飲食目次