私は高校生の頃、美術クラブに1年半ほど在籍していた。その間、油絵は確か3枚、水彩画は十数枚描いている。美術クラブは部員同士の仲が良く、男女の仲も良く、卒業生達も折々に顔を出し、彼らとの仲も良かった。なので、平日に限らず、休みの日にも部室に集まって、ユンタク(おしゃべり)し、それぞれ絵を描いたりなどしていた。
夏休みには沖縄の風景スケッチを目的として、沖縄島のヤンバル(中北部の通称)や慶良間諸島、久米島などへ合宿をした。春休みも冬休みも部室へ集まった。で、各人、先輩達から教えを請うたり、それぞれが思うがままに美術に取り組んでいた。
一年半もの間、休みの日も部室に通い、合宿にも参加しておいて、それで、油絵3枚、水彩画十数枚しか描いてこなかったのか?と思われるかもしれないが、一年半の製作活動のほとんどを私は土いじりに励んでいた。轆轤(ろくろ)を回し、碗、壺、皿などを作っていた。絵付けして、焼いて、出来上がった楽焼の作品は、記憶は定かでないがたぶん30を超えたと思う。ただ、一つも残っていない。残す程の出来では無かったようだ。そういえば、油絵も水彩画も残っていない。惜しいとも思っていない。
そういった過去(作品の出来が悪いという過去では無く、美術クラブにいて美術製作に励んでいたという過去)もあって、私は美術が好きである。旅に出ると各地の美術館を観て回るのを趣味にしている。東京でピカソ展があると知ると、わざわざそのためだけに東京へ行った(その時は金があった)こともある。好きな芸術家も何人かいる。ピカソの他にはゴヤ、マチスなど。日本人では熊谷守一、・・・以外思い出せない。
いや、もう一人いる、田中一村。ただ、田中一村はその作品の現物を見たことが無い。図書館にある画集を見ただけだ。その画集も偶然手にしたわけでは無い。もう20年以上も前になるか、NHKの『日曜美術館』で紹介されているのを観て興味を持った。その後になると思うが、鹿児島の友人Nも絶賛していたのを覚えている。
テレビで紹介されているのを観て興味を持ったのは、そういえば熊谷守一もその一人である。熊谷守一展があると知って旅をした覚えがある。記録を調べてみると2004年のことであった。ついでに調べると、ピカソ展は2000年のことだ。
さて、田中一村、テレビに映るのを見ただけで興味を持ったのには訳がある。彼の絵には亜熱帯の風景が描かれてあったから。「あっ、沖縄だ」と思ったから。沖縄の絵描きのことをあまり知らないので、これは私の不見識なのかもしれないが、亜熱帯の気分をこれほどしっかり表現した絵を私はそれまでに観たことが無かった。
芭蕉、アダン、ソテツなどといったいかにも亜熱帯の植物たちはきっと、他の絵描きたちも描いているに違いない。しかし、一村のそれらは「だぜ、芭蕉もアダンもソテツもそんな空気だぜ、そんなオーラを発しているぜ」と感じた。テレビに映るのを観ただけでそう感じた。「こりゃあ、いつか実物を見なきゃ」と思った。そう思ってから長い月日が流れて、今年(2012年)になって初めてその作品の実物を鑑賞する。沖縄の県立博物館で田中一村展が開かれている。4月14日、行った。久々の美術観賞となった。
作品は初期の頃より晩年まで並べられてあったが、やはり、晩年の奄美時代の方に私は強く惹かれた。作品数はそう多くは無かったが、3時間観た。それほど良かった。
記:2012.4.27 島乃ガジ丸