私は子供には好かれる方である。年寄りにも好かれる方である。それはたぶん、私が彼らに対し優しさオーラを発しているからだと思われる。
人の優しさを必要とする者を私は無意識に順位付けている。一に子供、二に年寄りとなっている。ということで、子供や年寄りには優しく接するが、オジサンオバサンにはあまり優しくない。オジサンオバサンは自分の責任で一人で食い物を得ることができ、他人の優しさは、あってもいいが、無くても一人で生きていける種類と思うからだ。
オジサンオバサンでも男女に差はある。女は、特に美人だと優しくしたいと思う。男の場合は優しくしようなどとはちっとも思わない。同じ男、同じオジサン、何も言わずとも互いに適当な距離感を保って付き合えるであろうと思うからだ。
さて、妙齢の美女にはあまり好かれないが、年寄りには概ね好かれる私、数年前のある日、宜野湾の畑で作業をしていると、散歩途中らしき婆様に声を掛けられ、以後、友人となった。彼女は近くに住むZ婆様、70代後半なので婆様と呼んでもいいのだが、本人は自分がそうであるとちっとも思っていない。「そうは全然見えないでしょう?」と言うけれど、私には十分そう見えている、口にはしないが。ただ、その元気さに関しては口ほどの若さはある。声は大きいし言葉もはっきりしている。そして、よく歩く。
ほどなくして、彼女は私を家に招いてくれた。彼女は2DKの小さな一軒家の借家に住んでいた。彼女には同居人がいて、その時紹介された。同居人はH爺様。2人に婚姻関係は無い。詳しくは聞いていないが、婆様は元公務員であったH爺様の年金を頼って、爺様は婆様がやってくれる炊事洗濯といった家事を頼ってのことだと思われた。
先日、夫婦別姓の最高裁判断がどうのこうのとラジオのニュースで聞いた。私は夫婦別姓に賛成である。別姓でも互いを思いやり、互いに優しさがあれば夫婦は夫婦だと思っている。ついでに言えば、家族制度が無くても、つまり、戸籍上の家族でなくても、互いを思いやり、互いに優しさがあれば家族は家族、夫婦は夫婦と思っている。
家族制度というものはむしろ、庶民より官僚にとって都合の良い制度であろう。庶民を管理する上での都合だ。「この人と一緒にいたい」という心の問題は自由にして欲しいと思う。嫌になったらいつでも自由に別れることができた方が良いと思う。夫婦別姓だからといって婚姻関係という縛りが無くなるわけではないだろうが、1つの姓という縛りが無くなるだけでも少しは自由な気分になれる。夫婦別姓については、家族の絆が薄れるという意見もあるが、逆に家族の縛りが薄れると考えれば良い制度だと私は思う。
3週間ほど前、H爺様から「引っ越した、彼女とは別れた」との電話があった。先週土曜日、引っ越し先を訪ね、H爺様から詳しい話を聞いた。一方の当事者だけからの話なので真実であると断定はできないが、別れた理由は、爺様の言葉だと少々きついので、解りやすく言うと「金遣いが荒いから」とのこと。金に対する価値観が違ったようだ。
結果的に別れても、それはそれで私は良いと思う。Z婆様とH爺様の関係は自由なのである。嫌だと思ったら「もうこれ以上一緒には暮らしたくない」と言える。私もいつかはこういった「自由な関係で良し」とする女性に巡り合いたいと願う。
記:2015.12.25 島乃ガジ丸
夏場は暑くて寝苦しくてぐっすり睡眠はできないが、今の時期(12月下旬)は布団1枚掛けてぐっすり寝て、深い眠り、浅い眠りを繰り返し、朝さっぱり目が覚める。
浅い睡眠の時に夢を見ている。この頃見る夢は濃い。濃いので細かいところまで覚えている夢も多くある。夢の話は他人が聞いてもつまらないと思うが、今週のガジ丸通信『家族の縛り』のテーマ、夫婦別姓について考えている時に見た夢を1つだけ。
場所は映画館から始まる。寝そべって観ることのできる広い映画館。上映している映画は邦画の刑事もの。私が知っている有名俳優が何人も出演しているが、岸部一徳を除いては名前が思い出せない。岸部一徳は主人公ではなく警部。主人公は追われる方の犯人、演じているのは、刑事ドラマで活躍していた人、何とかトオル、姓は思い出せない。
映画の場面、旅館の一室で30歳くらいの女が首をくくる練習をしている。女の後ろには布団が敷いてあり、そこには2歳くらいの女児が眠っている。場面は部屋の出入口の障子戸に移り、そこには障子の破れを補修している仲居さんがいる。この仲居さんは有名な女優。30歳くらいの人、私好みの美人だが名前は思い出せない。彼女は、映画の中では主人公の恋人になるヒロイン、主人公もその旅館にいて、出会い、恋に落ちる。
夢の中の映画の話も進むが、夢の中の私も動いている。寝そべって映画を観ている私の傍には女の子、14、5歳くらいが私に寄り添って、私に抱き着いている。
映画は数年の時が流れ、主人公はアメリカに逃亡したが、当地の警察に捕まって取り調べ室にいる。そこに日本から来た警部、岸部一徳がいる。室内には日本人の刑事がもう1人と弁護士が2人いて、そして、主人公にしがみついている5、6歳の女の子がいる。
「戸籍がそれほど大事ですか?この子は私を父と思い、頼りにしている。私はこの子を愛し、大切にしている。それだけで十分じゃないですか、親子じゃないですか。」と主人公が言い、心優しい警部は困った顔をし・・・、ここで映画の場面は終わり。
映画は終わりだが夢は続いている。映画を観ながら、私と私に抱き着いている女子は囁き声でいろいろと話を交わしている。女子は親がおらず、身寄りもなくて養護施設で生活している中学3年生。何で知らないオッサンに抱き着いているのかというのが、この夢の核心。「私、亜沙子(仮名)の生まれ変わりなんです。あなたに会うために生まれ変わったんです。もう私を放さないでください。」と少女は言うのである。
夢の中の私はいつものことだが、とてもモテる。モテるだけでなく世間からも一目置かれ尊敬される人間である。現実の私とは大きくかけ離れているので、私は、夢の中の私を現実の私とは違う別人格の者と捉え、彼に真迦哉(まかや)と名付けている。しかし、今回女子中学生に「もう私を放さないで」と言われているのは真迦哉では無く私。
亜沙子とは、私が若い頃好きだった人。何度かデートはしているが、深い関係にはならないまま、いつのまにか連絡を取り合うこともなくなった人。彼女であれば、相手が真迦哉では無く私であっても、ちっとも不思議ではない。・・・夢は続く。
「亜沙子の生まれ変わりって、亜沙子は死んだの?」
「15年前に病気で・・・そして、すぐに生まれ変わって今、裕美って名前です。」
それは全く信じられな話とは、私は思わなかった。何故なら、彼女の言葉使いが、14歳の少女のそれでは無く大人のそれであったから、さらに言えば、最後に会ったある夏の日の、当時27歳の亜沙子の口調にそっくりだったから。
夢はそこから養護施設へ場面が変わり、施設の担当者との話し合いとなる。
「裕美は私を頼ってくれています。私は裕美を養女にしたいと思っています」と私が言うと、正面の担当者では無く、隣に座っている裕美が声をあげた。
「養女はダメです。私はあなたの妻になりたいんです。」と言う。彼女が亜沙子の生まれ変わりだと信じかけている私は「さもありなん」と思ったが、担当者は驚いて、
「まだ中学生じゃないか、結婚なんて。」と呆れた顔をする。
「あと1年とちょっとで私は16歳になります。それなら良いでしょう?」
「良くないよ、君の人生はこれからだ、私の人生はたぶん、その四分の一もない。私が君にしてあげられることは、君に良い相手が見つかるまで見守るだけなんだ。」と、真面目な(たぶん、自他共にそう認めている)私は、いかにも真面目なことを言う。
「養女でなくてもいいんです。結婚しなくてもいいんです。私はただ、あなたの傍にいたいだけなんです。」と、夢は裕美のセリフで終わった。あー、何と羨ましい夢の中の私であることよ。人にこれだけ愛されるなんて、まるで夢・・・夢なんだよ、やはり。
今週のガジ丸通信『家族の縛り』を書き始めた日に見た夢、夫婦は婚姻届けが証明するものでは無い、互いに愛情を持っていることが証明となる。ついでに言えば、家族は血の繋がりが証明するものでは無い、互いに優しさを与えられるかどうかが証明となる。と、私の頭は考えていたに違いない。良い夢だった。続きが見たいものだ。
記:2015.12.22 島乃ガジ丸 →ガジ丸のお話目次
ウチナーンチュとは沖縄語で、ウチナー(沖縄)、ン(の)、チュ(人)という意。ヤマトゥンチュも同様に大和の人の意となる。ということで、アメリカンチュという言い方も成り立つと思われるが、アメリカ人のことは通常アメリカーとよぶ。
アメリカーは「アメリカの人」を表すが、「アメリカの物」という意にもなる。語尾を伸ばして「~する人」を表すのは英語のERと似ている。英語だとシンガー、ライターなどが浮かぶ。沖縄語ではハルサー、ウミアッチャー、シバイサーなどがある。
ハルサーはハル(畑)サー(する人)で農夫のこと。ウミアッチャーはウミ(海)アッチャー(歩く人)ということだが、歩く人=通う人=海が仕事場の人ということで漁師のこと。シバイサーはシバイ(芝居)サー(する人)で役者のこととなる。
倭人のことをヤマトゥンチュともいうが、ナイチャーともいう。ナイチャーは内地の人という意。日常会話ではヤマトゥンチュよりもナイチャーの方をよく使う。ナイチャーにはシマナイチャーという言い方もある。島の内地人ということで、沖縄に住んでいる倭人のことを指すが、単に住んでいるというだけでなく、「沖縄が好きで住んでいる」というその「好き」に感謝を込めての親しい呼び名というニュアンスもある。
大学生の頃の1年弱、姉と一緒に住んでいたことがある。ある日、沖縄と日本(他府県)の文化の違い、ウチナーンチュとナイチャーの気質の違いなどを語っていたら、
「そんなこと言うから沖縄は差別されるのよ、沖縄は日本と一緒よ」と姉が怒った。
「差別じゃない、区別だ」と私は言い返したが、「故郷に誇りを持たない、沖縄人であることに誇りを持たない奴」と姉に失望もしていた。
シマーという沖縄語もある。島という意だが、ERがついて語尾が伸びると「島の」という意になる。これが指すものはいくつも想定できるが、よく聞かれるのは島の人=ウチナーンチュと、島の酒=泡盛。「あの人眉毛が薄いけどシマーなの?」のシマーはウチナーンチュで、飲み屋で「今日はシマーにしよう」のシマーは泡盛となる。
高校生の頃、一般的には、シマーは蔑視されていた。我々が飲む酒は概ねウィスキーであった。ところが、卒業した先輩たちに誘われて飲みに行くと、彼らはたいていシマーを飲んだ。「ウチナーンチュがシマーを愛さないでどうする」と先輩たちは言った。沖縄が本土復帰した頃、先輩たちは復帰運動に参加し、沖縄を愛する大学生たちであった。
先日、沖縄県議会で、自民党の議員が「先住民族の自己決定権という誤解を与えることに懸念を表明する。これ以上、差別表現などをやめてほしい」と述べた、ということをラジオのニュースで聞いた。後日、ネットでそれに関する新聞の記事を読んだ。上記の「」内はその新聞記事からのコピー。「先住民族」が差別表現ということみたいだ。
「先住民族の自己決定権」というのは翁長知事が述べたことらしいが、先住民族を差別と感じる自民党議員の感性には「まだこんな人がいる」という驚きが私にあった。あれから40年後の姉も今は、たぶん、ずっと前から沖縄大好き人間になっている。
先住民族については私も違和感がある。差別的違和感ではなく、「沖縄に後住民族(多数派として))はいない」という違和感。沖縄に昔から住んでいるウチナーンチュを指すのなら原住民でいいし、私は土着民という言葉が好きである。土着民はちっとも差別ではない、区別だ。
記:2015.12.18 島乃ガジ丸
泥棒蛾
「お魚咥えたドラネコ追ーかけーて」とサザエさんも被害にあっている泥棒ネコは、私の畑にも時に顔を見せ、私も去年の5月に被害にあっている。サザエさんは毎週「追ーかけーて」いたようだが、私は、記憶している限りでは被害はそれ1回きりだ。
泥棒ネコの被害には滅多にあわないが、畑にはネコより厄介な泥棒がいる。
畑の厄介な泥棒、先ずは人間、隣のTさんは去年、キャベツを600玉盗まれた。私も3度被害にあっている。私の場合は野菜では無く畑の備品。大きな脚立が盗まれ、大きな鍋(水溜用)が盗まれ、最近になって小さな脚立が盗まれた。大きな脚立が盗まれた時、小さな脚立は残されていたので「ちょっと優しい泥棒だな」と思っていたのだが、盗んだのは別の泥棒かもしれないが、小さな脚立まで持っていかれた。世の中甘くはない。
もう一つ、畑にはさらに厄介な泥棒がいる。
隣のTさんは冬場キャベツを栽培している。Tさんは普通栽培だ。普通とは農薬を使い化学肥料を使うってこと。去年、Tさんからキャベツの苗を数株頂いた。キャベツ類(カリフラワーもブロッコリーも)を露地栽培するとモンシロチョウの幼虫に食われ、ほとんど収穫できないこともある。なので、私はネットを張っているのだが、
「ネットを張っても虫には食われるぞ」とTさんが言う。「モンシロチョウ以外に害虫がいるんですか?」と訊くと、
「ヨトウムシがいる」とのこと。
ヨトウムシ、漢字で書くと夜盗虫だ。昼間は地中にいて、夜になると這い出してきて畑の作物を食い荒らす奴、なので夜盗虫と名前がついている。それが私の畑にもいる。成虫を何度か目撃しているが、たぶん、地中には幼虫がたくさんいる。
ハスモンヨトウ(斜紋夜盗):鱗翅目の昆虫
ヤガ科 本州~琉球列島、台湾、インド、ヨーロッパ、他に分布 方言名:ハベル
名前の由来、ヨトウについては広辞苑にヨトウガがあり、夜盗蛾と漢字表記され「幼虫は夜盗虫」とのこと。「夜盗虫」を引くと、「ヨトウガの類の幼虫・・・夜出て野菜類を食害する」とあり、夜、野菜を盗みに来るから夜盗となる。ハスモンは資料が無く正確には不明。『沖縄昆虫野外観察図鑑』に「翅は黒褐色で白色の太い白条がある」とあり、写真を見るとその白筋が斜めに走っている。ということで、斜紋と思われる。
ヨトウと名が付く通りヨトウガの一種。幼虫のいもむしは夜、地面から這い出てきて農作物を食い荒らす。『沖縄昆虫野外観察図鑑』に「弱齢幼虫は群れで野菜などの葉を食害し、3齢以後は分散して葉、茎、果実などを食害する」とあった。農夫の大敵だ。
前翅長17~20ミリ。成虫の出現は3~11月。幼虫の食草は「タイモ、トマト、ハクサイ、タバコ類など多くの植物」とのこと。タバコまで食う。愛煙家の敵だ。
成虫雄
成虫雌
幼虫
図鑑の写真にそっくりだったので本種と判断したが、夜では無く朝9時に発見。
記:ガジ丸 2015.12.14 →沖縄の動物目次
参考文献
『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
『いちむし』アクアコーラル企画発行
静岡の才色兼備K女史から写真付きのメール(シャメとか言うの?)がきた。「書と活け花のコラボ展があって、私も出品しました」とあり、写真は彼女の作品。
K女史の才は、仕事は公務員、公務員試験に楽々合格できるほど勉強ができる。仕事とは関係のない語学にも秀でている。英語ペラペラ、中国語とスペイン語もできる。さらにその上、和の伝統文化にも才を発揮している。茶道は若い頃から続けており、着付けもできる。それだけでも「すげぇ女」と思っていたのに活け花もする。
私も20年ほど前、茶道教室に半年ほど通っていたので、茶道に活け花はつきものと知ってはいたのだが、何しろ20年前なのですっかり忘れていた。彼女の作品は、そんな素人の私が見ても「見事」と感じるものであった。
そんな「すげぇ女」の「見事」な作品に感心しながらも、私は私の身の回りにある「見事」を頭に浮かべていた。私は花を活けないけれど、私の周りで花は勝手に活きている。ちゃんと確認したわけではないが、雑草も含めれば私の畑に花が活きていない日はたぶん無い。K女史の作品が人為の芸術であるとするならば、畑に咲く花は自然の芸術。両者、土俵が異なるので比べるものではないが、私は自然の芸術にたぶん、癒されている。
そう、癒されているのだ。普段はそんなことちっとも感じていなかった。そうなんだ、よーく考えれば癒されている。花だけでは無い。作物が成長するのにも、実りを得た時にも私は喜びを感じ、癒されているはず。植物だけでは無い。畑にいる、あるいは、やってくる動物にも癒されているはず。鳥にもネズミにもカエルにも、チョウにもトンボにもバッタにも、生きるエネルギーを感じ、癒されているはずなのだ。
畑の作物に関していえば、種を播けば芽が出るのは当たり前、芽が出れば成長するのは当たり前、成長すれば実るのは当たり前などと私は思っていた。
ここで言う「当たり前」は大多数がそうであるということであり、100粒の種を播けば90粒は芽が出るみたいなこと。実際に、市販の種を播けばその程度の確率で芽は出てくる。ただ、それが自然の恵みであるということを私は忘れていた。
そんなこと書くと、いかにも私が謙虚で真面目な人間みたいに見えるが、真面目とは言えるかもしれないが、実際はあんまり謙虚では無い。基本的に、生きることに対して「何とかなるさ」といったテーゲー(テキトーといった意のウチナーグチ)気分で日々過ごしている。「テーゲーでも生きてはいけるさ」と傲慢かもしれないが、思っている。そんな私が、「自然の恵みを感じている」って、私をよく知っている友人たちから見ると、「孤独に暮らしすぎて頭がちょっと変になったか?」と思うかもしれない。
たとえ頭が変だとしても、それは元々からのもので最近から急におかしくなったのでは無い。300坪の畑なっぴばるを始めて3年余、虫にやられ、長雨にやられ、干ばつにやられ、毎年の台風にはこっぴどくやられなどして、今年もまた夏場に作物ができず、収入が全く無かった時、それまで感謝知らずの私であったが、ふと悟ったのである。
「自然には勝てねぇ、勝てねぇけど、虫がいるから土が育ち、花も受粉する。雨が降るから陽が照るから作物は育つ。自然にはむしろ、俺はたくさん助けられている。それに、台風に襲われても畑に食い物はあるじゃねぇか。」と気付いた。感謝しなきゃ。
記:2015.12.4 島乃ガジ丸