ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版050 却下されるケダマン

2008年02月08日 | ユクレー瓦版

 旧正月のユクレー屋に、ユクレー島でしか知られていない絵本作家の片割れ、文章担当であるマミナ先生も来た。夜の宴会で、絵本の第2弾の話となった。
 「動物の大好きな動物学者がいてね、・・・」とマミナは話を切り出す。
 「おー、ちょっと待て、それは、動物の嫌いな動物学者もいるってことか?」とケダマンが茶茶を入れる。私もケダマンと同じことを思った。が、マミナは、
 「そんなの知らないよ。いるんじゃないのそういうのも稀には。あのさあ、話の腰を折らないでよ。とにかく、そういう人がいるの。」と答え、話を続ける。

 動物好きの動物学者は野生の動物が特に大好きで、アフリカのサバンナ近くの村に住んで、野生動物の研究をしていた。
 その学者には男の子が一人いた。男の子は、学校が休みの日にはほぼ決まって父親のところへやってきて、父親の仕事を手伝っていた。彼もまた、父親にも増して動物大好きなのであった。動物大好きという少年の気分は動物にも伝わった。彼は周りにいる野生の動物たちと仲良しになった。それは父親にもできないことであった。
 そんなある日のこと、一匹のサイが全速力で少年に向かっていた。それに気付いた動物学者は、サイが少年に襲い掛かろうとしていると思った。で、少年を助けるべく、ライフルの引き金を引いた。サイは倒れた。それと同時に、サイとは反対側の茂みから一匹のヒョウがライフルの音に驚いたのか、慌てて向こうへ逃げていった。サイは、少年を狙っていたのでは無く、少年を狙っているヒョウに向かっていたのであった。
 そのサイは、少年が「サイのオジサン」と呼んで、特に親しくしていた動物だった。少年は叫びながらサイに駆け寄った。すると、サイが瀕死の中で言った。
 「私の角を切り取って、それでサイコロを作って、君のお守りにしなさい。サイコロの6つの面には何も書かなくていい。君が悲しい時、辛い時、悩んだ時、困った時、そのサイコロを振りなさい。きっと君の助けになる答えがサイコロの目に現れるはずだ。」とサイは言って、そのまま静かに死んでいった。

 「というような内容の物語よ。」とマミナは話を終えた。
 「ほうほう、このあいだは『かばのかばん屋』だったな。で、今回はきっと『さいのさいころ』ってことだな。そういうことなら、俺も思いついたぜ。トラのトラックなんてのはどうだ?」とケダマンが言う。
 「ふーん、それ、どんな話になるの?」(マミナ)
 「ダンプトラックの運転手は車体を自分の好きな模様にペイントするだろ、その中にトラの模様をしたトラックがあるわけだ。」
  「それがどんな物語になるの?」(マナ)
 「どんな物語って、そのトラックの運転手が大阪の人間で、野球好きってことだ。どうだい。これをマミナ先生の絵本第3弾にしちゃあ。」
 「却下!」、「却下!」、「却下!」と間髪を入れず、マミナ、ガジ丸、マナが口々に叫ぶ。その後、「きゃっか」と眠そうな声で、シバイサー博士も続いた。

 「それじゃあよ、トラのトランクスはどうだ?」
 「トラ柄のパンツってことでしょ。既にあるじゃない。雷様も穿いてるし。」
 「んじゃあよ。トラのトランペ・・・」とケダマンが言い終わらない内に、
 「却下!」、「却下!」、「却下!」とマミナ、ガジ丸、マナが口を揃えた。博士の声が今回は無い。見ると、博士はもう既に眠っていた。
     

 マミナとガジ丸共作の絵本第2弾は、近日公開の予定。ケダマンが提案したトラのトラック、トラのトランクスなどが作品になることは、たぶん無いと思う。

 記:ゑんちゅ小僧 2008.2.1


オジサンVS猫

2008年02月08日 | 通信-その他・雑感

 中国産冷凍食品がどーのこーのと世間が騒いでいる頃、元々さぬきうどんを除く冷凍食品をあまり利用しない、利用する場合も、できるだけ地産地消を心掛けている私は、「俺には関係無ぇ」と鼻毛を抜いたり、屁をこいたりして、いつもの日常であった。
          

 年明けから、オジサンには気になることが一つ別にあった。新顔の野良猫がたびたびベランダにやってきているということである。見たのは1回だけであったが、夜、がさごそ音を立てているのは何度も聞いていた。
 1月20日頃だったか、昼間、そのがさごそという音を聞く。音はベランダに置いてあるプラスティック製の波型屋根を歩く音である。前に見た新顔の野良猫がそこにいた。
 ガラス窓と網戸と簾を通して私は猫を見ている。なので、彼、もしくは彼女は私に気付いていない。観察していると、彼女(ということにしておく)は、波型屋根の縁とベランダの塀との僅か5センチほどの隙間を抜けて、屋根の下、ベランダの床へ下りた。
 波型屋根の下は木製の棚になっている。ベランダの床から20センチほどの高さに棚の1段目があり、さらに20センチ上に2段目があって、その上40センチに屋根がある。棚の1段目にはベランダで使う七輪用の網があり、2段目には炭が置いてある。
 炭は大きな箱の中に入っていて、したがって、2段目に隙間は少ない。1段目にある網は薄っぺらなものである。したがって、1段目は幅40センチ、奥行き60センチ、高さ20センチほどの空間となっている。野良猫はそこに入っていった。

  しばらく(15分くらい)経ってから、野良猫の様子を見る。奴はスヤスヤと寝ていやがった。寒い冬、雨風を凌げるその空間は、猫にとっては手ごろな広さで、最適な居住空間となっているのであろう。
 スヤスヤと寝ているところを申し訳ないが、私は窓を開け、猫が休んでいる近くの壁を叩いて、猫を追い出した。猫は5センチの隙間から出て行った。恐るべき柔軟性、と感心しつつ、何とかせねばと対応策を考える。

 猫好きの人から見れば、「追い出すなんて可哀想じゃない。猫の棲家にしてあげたっていいじゃない。」と思うかもしれないが、私は想像するのだ。彼女はそこを棲家にして、そこで子供を生むに違いない。子供が生まれたらニャーニャーと煩いに違いない。糞や小便を垂れて臭くなるに違いない。私が食卓にしている場所から1メートルしか離れていない場所が臭くなったら、毎日の食事が不味くなるに違いない。などなどと。

  波型屋根の上には、数年前から猫侵入防止のために、20メートルの長さの有刺鉄線をモジャモジャと広げて置いてある。モジャモジャの隙間は、人間にとっては小さな隙間だが、猫にとっては、ちょっと注意すれば何とか足を踏み入れることのできる隙間だったようだ。よって、私の考えた対応策は、注意すれば何とか足を踏み入れることのできる隙間を、注意しても足を踏み入れることのできない隙間にするということであった。
 20メートルの有刺鉄線をもう1巻買い、モジャモジャと広げ、古い有刺鉄線の上に重ねた。その結果、猫は姿を見せなくなった。オジサンVS猫の戦いは、かくして、オジサンの勝利に終わったのであった。めでたしめでたし。
          

 記:2008.2.8 島乃ガジ丸


百か日の説教

2008年02月01日 | 通信-社会・生活

 先週金曜日は母の百か日であった。葬式後のナンカナンカ(周忌)が四十九日で終わって、その後に来る法事である。ナンカナンカと同じように朝、墓へ行き、お茶とお菓子と花を供え、線香をた立てる。これは男の仕事なので私が行く。
  沖縄にも落葉樹は多くある。この時期は落ち葉が溜まる。前回、四十九日で墓を訪れたとき、それに気付いて、次は箒を持って行かなくちゃ、と思っていたのだが忘れた。草抜き用のヘラを持っていたので、それを使って、落ち葉は大雑把に墓の片隅に集めた。が、それを素手で掴んでごみ収集場所に運ぶ気にはならなかった。大量なので「手で掴んで」だと時間がかかるのと、落ち葉が小便臭かったからである。
 我が家の墓の、隣の隣は無人墓となっているみたいで、そこには今、小さなあばら屋があって、自由人が1人、生活している。その人がどこで大便をしているのか知らないが、小便はおそらく、その辺りでやっている。我が家の墓も彼の小便場所なのであろう。

  供えた菓子を「ウサンデー」と言って食べる。ウサンデーは「おさがり」のこと。供えたものを「おさがり」として頂くのである。叔父から聞いた話であるが、ウサンデーする時間は、火を点けた線香が三分の一か四分の一残る頃となっている。あまり早いと、神仏が食べ終わらない内に横取りしたみたいになるとのことであった。
 で、その日も、私は線香が三分の一に短くなるまで待っていた。待っている間、こういった儀式もHPで紹介しようと、墓や供え物の写真を撮り、そのついでに墓の周囲にある草木の写真を撮っていた。その時、自由人に話しかけられた。
 彼と話すのは3度目である。彼は自分の生活道具である鍋や茶碗を我が家の墓の、囲いの塀の上に置いてある。去年だったか一昨年だったか、七夕の掃除の時に、彼の鍋や茶碗が邪魔だったので、どけてもらうようちょっと声を交わした。
 母の告別式の時に、同じことで声を交わした。その時、彼は、
 「そうやって言ってくれれば、きれいにしておくよ。」と紳士的であった。というわけで、私はその自由人に悪い印象は持っていない。で、百か日の日に話しかけられた時も驚くことは無く、しばらく会話しても良いかとまで思っていた。

 「そんな、木の写真だったら、ヤンバルへ行けばいいじゃないか。」と言う。
 「いや、ちょっと忙しくて、ヤンバルまでは。」という私の応え、その「忙しくて」が暇だと思われていると思っている彼の癇に障ったのかもしれない。表情が変わった。で、その後、10分ほど説教された。「お前のやっていることは偽善だ。墓に手を合わせて、それで良い事をしたと思っているのだろうが、心からそうしたいと思っているわけじゃないだろう。今の世の中の人間はみんなお前と一緒だ。」といった内容を長々と。
  百か日はそう大きな法事では無い。客が手を合わせに訪ねることは無くて、たいてい家族、親族だけで行う。坊さんを呼んでお経を唱えてもらうこともしない。ではあるがその日、私は坊さんでも無い人に説教されてしまった。
          
          

 自由人は空き缶や瓶拾いで少しの収入を得ているらしい。彼は筋骨隆々としていて、肌浅黒く健康的に見える。食べ物は飲食店のゴミ箱などから得ているのかもしれない。話もしっかりしている。友人のHに比べれば遥かに語彙も豊富である。
 「こう見えてもな、琉球大学法文学部を出てるんだ。」とのこと。それが何故?
 「オームに入って、周りから疎まれたんだ。」とのこと。あー、ここにも浅墓焼香の犠牲者がいたかと、焼香の終わった私は思ったのであった。
          

 記:2008.2.1 島乃ガジ丸