島根県津和野町は森鴎外生誕の地として知られ、歴史、伝統、文化の薫り高い風光明媚で静かな盆地だそうである。行ったことはないが、安野光雅の画集等によって、その魅力の一端に触れることはできる。
小京都と言われる津和野はその雅びな発音のためもあってか、多くの作家が小説やエッセイに取り上げている。そんなテーマで書かれた「作家が書いた『津和野の風景』」という一文を掲載した、山口市の文学同人誌「風響樹」が送られてきた。送ってくださったのは、その文の筆者である三浦義之さんという方である。
三浦さんとは数年前から同人雑誌の交換を通して、互いに感想をやりとりさせてもらっている。三浦さんの住所は「山口市宮野西恋路」というので、何と艶っぽい地名なんだろうと、びっくりしたことがある。
三浦さんの文章の冒頭に、タイムス紙にも時々寄稿をいただいている高橋一清さんの名前が出てくる。高橋さんは益田市出身で、平成六年に「ふるさと津和野鴎外塾成人講座」で、津和野を取り上げた文学作品、島崎藤村『山陰土産』、立原正秋『こころのふるさとをゆく』、司馬遼太郎『街道をゆく』などについて講演したという。
三浦さんはさらに、高橋さんが取り上げた以外の文学作品を紹介している。山口瞳『なんじゃもんじゃ』、高井有一「津和野の楓」、伊集院静「二日酔い主義」のほかに、内海隆一郎『静かに雪の降るは好き』という作品が取り上げられている。この作品は、津和野町出身の医学者であり、「ホトトギス派」の俳人でもあった中田瑞穂の生涯を小説にしたものだ。
平成六年に、その中田瑞穂生誕百年を記念して、その生家跡に石碑が建てられた。その発起人は中田の教えを受けた神経病理学者・生田房弘新潟大学名誉教授であることを、三浦さんは記している。三浦さんは生田教授が柏崎出身ということを御存知だろうか。
また、昨年長岡市のイベントホールで開かれた、高橋一清さんの文学講座(その記録は、タイムス六月二十四日号~十一月二十五日号に掲載)で、生田教授が聴講されていたことを御存知だろうか。きっと高橋さんを通して知っておられるとは思うが、感想を含めてお知らせすることにしよう。
小京都と言われる津和野はその雅びな発音のためもあってか、多くの作家が小説やエッセイに取り上げている。そんなテーマで書かれた「作家が書いた『津和野の風景』」という一文を掲載した、山口市の文学同人誌「風響樹」が送られてきた。送ってくださったのは、その文の筆者である三浦義之さんという方である。
三浦さんとは数年前から同人雑誌の交換を通して、互いに感想をやりとりさせてもらっている。三浦さんの住所は「山口市宮野西恋路」というので、何と艶っぽい地名なんだろうと、びっくりしたことがある。
三浦さんの文章の冒頭に、タイムス紙にも時々寄稿をいただいている高橋一清さんの名前が出てくる。高橋さんは益田市出身で、平成六年に「ふるさと津和野鴎外塾成人講座」で、津和野を取り上げた文学作品、島崎藤村『山陰土産』、立原正秋『こころのふるさとをゆく』、司馬遼太郎『街道をゆく』などについて講演したという。
三浦さんはさらに、高橋さんが取り上げた以外の文学作品を紹介している。山口瞳『なんじゃもんじゃ』、高井有一「津和野の楓」、伊集院静「二日酔い主義」のほかに、内海隆一郎『静かに雪の降るは好き』という作品が取り上げられている。この作品は、津和野町出身の医学者であり、「ホトトギス派」の俳人でもあった中田瑞穂の生涯を小説にしたものだ。
平成六年に、その中田瑞穂生誕百年を記念して、その生家跡に石碑が建てられた。その発起人は中田の教えを受けた神経病理学者・生田房弘新潟大学名誉教授であることを、三浦さんは記している。三浦さんは生田教授が柏崎出身ということを御存知だろうか。
また、昨年長岡市のイベントホールで開かれた、高橋一清さんの文学講座(その記録は、タイムス六月二十四日号~十一月二十五日号に掲載)で、生田教授が聴講されていたことを御存知だろうか。きっと高橋さんを通して知っておられるとは思うが、感想を含めてお知らせすることにしよう。
(越後タイムス4月7日「週末点描」より)