分析的記述が会話文の10倍以上はある。ジェイムズが今日読まれなくなっている理由がよく分かる。フランスの心理小説に慣れていない人にとってはこうした分析的記述は読んでいて苦痛以外のものではないだろう。
しかし、私は老眼を乗り越え、8ポ2段組をものともせず、夢中になって読むことが出来た。決して哲学的なわけでもない。必ずしも難解でさえない。ジェイムズは人間のドラマをその行動においてではなく、その心理に於いて描こうとしたのに過ぎない。
そのような作品があってもいいのだし、そうした小説は登場人物の行動のスリルを描くのではなく、心理のスリルをこそ描こうとする。登場人物たちが会話を交わすたびに彼らの心理のスリルが的確に捉えられていく。そのような小説を堪能することもまた可能なことなのである。
小説のクライマックスもまた、行動においてではなく、心理において実現されていく。これはやはり特殊な小説なのだと言わなければならない。哲学的などとは言えないと私は思う。哲学的であるが故に難解なのではなく、登場人物の心理とその変化を執拗なほど微細に描いているからこそ難解と言われるのではないか。だから分析的記述に根気よく付き合っていけばそれほど難解な小説ではない。ただし、大衆的な指示が得られやすい小説でないことは確かである。
フランス心理小説の主流との違いが一つある。フランスの心理小説のほとんどは純粋な恋愛小説である。『クレーヴの奥方』、『アドルフ』、『ドルジェル伯の舞踏会』も純粋な恋愛小説、『赤と黒』は若干違うが、それとても恋愛の占める比重は大きい。
しかし、ジェイムズの『鳩の翼』は純粋な恋愛小説とは言えない。そう言って良ければ“恋愛をめぐる陰謀小説”であって、フランスの心理小説に似たものを探すとすれば、ラクロの『危険な関係』が近いかも知れない。二人の恋人が財産を得て結婚するために、大富豪で不治の病に冒された娘を利用するというストーリーなのだから。
しかし、私は老眼を乗り越え、8ポ2段組をものともせず、夢中になって読むことが出来た。決して哲学的なわけでもない。必ずしも難解でさえない。ジェイムズは人間のドラマをその行動においてではなく、その心理に於いて描こうとしたのに過ぎない。
そのような作品があってもいいのだし、そうした小説は登場人物の行動のスリルを描くのではなく、心理のスリルをこそ描こうとする。登場人物たちが会話を交わすたびに彼らの心理のスリルが的確に捉えられていく。そのような小説を堪能することもまた可能なことなのである。
小説のクライマックスもまた、行動においてではなく、心理において実現されていく。これはやはり特殊な小説なのだと言わなければならない。哲学的などとは言えないと私は思う。哲学的であるが故に難解なのではなく、登場人物の心理とその変化を執拗なほど微細に描いているからこそ難解と言われるのではないか。だから分析的記述に根気よく付き合っていけばそれほど難解な小説ではない。ただし、大衆的な指示が得られやすい小説でないことは確かである。
フランス心理小説の主流との違いが一つある。フランスの心理小説のほとんどは純粋な恋愛小説である。『クレーヴの奥方』、『アドルフ』、『ドルジェル伯の舞踏会』も純粋な恋愛小説、『赤と黒』は若干違うが、それとても恋愛の占める比重は大きい。
しかし、ジェイムズの『鳩の翼』は純粋な恋愛小説とは言えない。そう言って良ければ“恋愛をめぐる陰謀小説”であって、フランスの心理小説に似たものを探すとすれば、ラクロの『危険な関係』が近いかも知れない。二人の恋人が財産を得て結婚するために、大富豪で不治の病に冒された娘を利用するというストーリーなのだから。