玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

スタニスワフ・レム「ペテン師に囲まれた幻視者」(3)

2017年11月09日 | 読書ノート

 スタニスワフ・レムのアメリカSFに対する批判にはまったく容赦というものがない。ゲットーの内部では評価の基準というものがなく、批評の言語に対してまったく無知であるから、作品として優れているかどうかではなく、出版部数の多さが唯一の基準になってしまっていると、レムはアメリカのSFを徹底して批判する。

「SFにおいては、現代の問題をごまかしたり、単純化したり、あるいは単なる娯楽読物風に扱わないで正面から取り組もうとするような作品のための場所はほとんどない。」

 このようにレムが言って、続いて次のように述べているのを読むと、アメリカSFの通俗性に抗して、SFの本当のテーマをレムが指し示しているのだということが理解できる。

「本格的に現代の問題に取り組むというのは、たとえば、宇宙において理性が占めることができる位置について、あるいは地球でつくられた概念が認識のための道具として通用する範囲の境界について考察することであり、さらにはSFのどうしようもなく原始的なアイデアのレパートリーとは一線を画すような形で、地球外の生命との接触の結果について考察することである。」

 このような指針はレム自身が『ソラリスの陽のもとに』という作品によって追求してきたことであり、特に「地球外の生命との接触の結果について考察する」という言葉は、人間の想像力をはるかに超えたと思えるほどの形で地球外生命体を創造してみせた、『ソラリスの陽のもとに』を書いたレムにしか書けない言葉だと思う。
 このようにしてレムは次第にフィリップ・K・ディックの世界に近づいていくための準備作業を整えていく。「ペテン師に囲まれた幻視者」とは、劣悪なアメリカSFの環境下におかれたディック=幻視者のことを言っているのであるから。
 しかし、最初にレムはディックの作品と他のアメリカSF作品との「違いを把握することは難しい」と書いている。なぜなら「ディックが用いているのは、他のアメリカの作家と同じ小道具、同じプロットだからである」と。
『ユービック』の書き出しは以下のようなものである。

「一九九二年六月五日の夜、午前三時三十分、ニューヨーク市にあるランシター合作社のオフィスの大地図から、太陽系のテレパスが足跡をくらました。たちまち英話が鳴りづめに鳴り出す。ここ2ヶ月、ホリス異能プロダクション所属のエスパーの中で、ランシター合作社がその行方を失った相手は、あまりにも多い。」

 確かにこんなあまりにもアメリカSF的な書き出しを読まされると、文学の読者としては辛いものがある。テレパス(読心能力者)だのエスパー(超能力者)だの、いい加減にしてくれと言いたくなるのをしばらく我慢して読み進んでいくと、フィリップ・K・ディックという作家の本当の独創性が見えてくるだろう。
 レムが評価するのもそこのところである。『ユービック』では世界それ自体が奇怪な変貌を遂げていくのだが、その理由が明示されない。一般のSFでは世界の破滅は戦争などの社会的な要因か、自然の力に由来する要因かに特定されて示されるが、ディックの場合にはそれが示されない。
 だから読者は登場人物と同じ立場で、世界の奇怪な変化に付き合わされ、現実の崩壊を体験させられることになる。レムはそのことを次のような的確な言葉で表現している。

「この要因の様々な特徴は目に見えるが、その源は見ることができず、世界はあたかも悪性の癌に倒れ、その転移によって生命のいろいろな部位を次々に蝕まれていくかのような振る舞いを見せる。」

『ユービック』では、月面上のエスパー同士の戦いで爆弾を仕掛けられ、負傷した主人公たちが地球に戻ると、いつしか時間退行現象が起きてくる。レムはその場面のことを言っているのである。