一面に掲載した故阪本芳夫さんの原稿は、タイムス編集発行人への私信である。水戸市で中村彝展が開催された平成十五年の九月から十二月まで、十一回にわたって連載した「“魂”の宿る場所││水戸に中村彝展を観て││」を読んで書かれたものだ。私信といっても、中村彝について真正面から論じた評論文であり、阪本さんが亡くなってしまった今、遺稿として紹介することも意味のあることと思う。
阪本さんとは、折に触れ手紙のやりとりをさせてもらった。私も長文の手紙を書き、阪本さんも長文の手紙をくださった。阪本さんの手紙には、“私的な”要素はほとんどなく、いつも美術や文学、そして哲学について真剣に論じたものばかりだった。
手紙をいただいた時は、どんな本を読む時よりも緊張感が走り、居住まいを正して読ませてもらった。その古今東西の文化芸術に対する深い教養と思考能力には敬服すべきものがあった。抽象的な概念を頭脳の中で展開し、それを文章に構成していく力は、私信の中にも十分示されていると思う。
だから、返事を書く時には、さらなる緊張感を感じてしまい、押しつぶされそうになることさえあった。しかし、返事を書く中で、“ものを考える”ということ、そして、きちんとした文章を書くということの訓練をさせてもらった。大変感謝している。
阪本さんは私にとって、美術批評や文芸批評を書く上での、たった一人の“師”であった。平成十五年から五年間、お会いするチャンスがなかったわけではないのに、特に平成十六年に新潟市美術館で開催された、実弟の故阪本文男さんの回顧展の時に機会はあったのに、結局一度もお会いすることができなかった。
今、そのことが悔やまれてならず、せめて阪本さんの優れた文章を読者の皆さんに紹介するつとめを果たしたいと思うばかりである。
阪本さんとは、折に触れ手紙のやりとりをさせてもらった。私も長文の手紙を書き、阪本さんも長文の手紙をくださった。阪本さんの手紙には、“私的な”要素はほとんどなく、いつも美術や文学、そして哲学について真剣に論じたものばかりだった。
手紙をいただいた時は、どんな本を読む時よりも緊張感が走り、居住まいを正して読ませてもらった。その古今東西の文化芸術に対する深い教養と思考能力には敬服すべきものがあった。抽象的な概念を頭脳の中で展開し、それを文章に構成していく力は、私信の中にも十分示されていると思う。
だから、返事を書く時には、さらなる緊張感を感じてしまい、押しつぶされそうになることさえあった。しかし、返事を書く中で、“ものを考える”ということ、そして、きちんとした文章を書くということの訓練をさせてもらった。大変感謝している。
阪本さんは私にとって、美術批評や文芸批評を書く上での、たった一人の“師”であった。平成十五年から五年間、お会いするチャンスがなかったわけではないのに、特に平成十六年に新潟市美術館で開催された、実弟の故阪本文男さんの回顧展の時に機会はあったのに、結局一度もお会いすることができなかった。
今、そのことが悔やまれてならず、せめて阪本さんの優れた文章を読者の皆さんに紹介するつとめを果たしたいと思うばかりである。
(越後タイムス4月25日「週末点描」より)
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