玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

建築としてのゴシック(6)

2019年01月15日 | ゴシック論

●馬杉宗夫『パリのノートル・ダム』①
 さて、ここからはパリから帰ってからのおさらいの過程について書いていくことにする。パリのノートル=ダム大聖堂に、生まれて初めて建築物の美しさというものを感得した私は、帰ってから多くの関連書を読みあさることになった。
 ざっと挙げておくと、馬杉宗夫『パリのノートル・ダム』、酒井健『ゴシックとは何か』、ジュール・ミシュレ『魔女』、J・K・ユイスマンス「ノートル=ダム・ド・パリにおける象徴表現」、ヴィクトル・ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』、J・K・ユイスマンス『大伽藍』などである。
 ミシュレの『魔女』は直接にゴシックやゴシック大聖堂について書かれた本ではないが、中世の歴史を描いてその時代背景はゴシックの時代と一致しているし、キリスト教の暗部を剔抉して、ゴシックの時代を否定的にみる歴史観について知る必要を感じたから読んだのである。
 馬杉宗夫の『パリのノートル・ダム』はゴシック建築についての入門書と言える。「ノートル・ダム・ド・パリのすべてを描く日本初のガイドブック」と謳っているが、もし本当にこの本が出版された2002年までこのようなガイドブックがなかったのだとしたら、パリの観光名所としてこれほど有名な建物について、日本人は詳しく知る機会がなかったことになるが、本当だろうか。
 この本は建築物としてのノートル=ダムに焦点を絞っているから、分かりやすいだろうと思っていたのは大間違いで、特に彫刻についての分析などは聖書の知識がないととてもついて行けないのである。しかし、当時の建築とは彫刻や図像も含んだトータルなものであり、それらが単なる装飾的な要素に止まるなどということはあり得ない。
 だから無神論者で聖書について何も知らず、キリスト教美術についてもほとんど興味がなく、ルーブルでイタリアの宗教画のコーナーをすっ飛ばすような私には、ノートル=ダム大聖堂について知る資格すらないと言ってもよい。
 しかし、パリのノートル=ダム大聖堂を通して歴史について語っている部分は、不十分ながら基礎的な知識を得るためには役に立つ。ゴシックについて考えるときに、パリの歴史、大聖堂の歴史を踏まえないと何も得るところがないからである。
 第一に知っておかなければならないことは、ノートル=ダムというのは聖母マリアに捧げられた教会の意味であって、それはパリだけでなく他にいくらでもあるということだ。フランスのゴシック大聖堂として有名なラン大聖堂、シャルトル大聖堂、ランス大聖堂、アミアン大聖堂など、みな聖母マリアのための教会であり、ノートル=ダム寺院なのだ。だからパリのそれを言うならこの本のタイトルのように〝パリのノートル・ダム〟と言わなければならないし、ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』もまたパリのそれに限定しているのである。
 またこれらの大聖堂がすべてゴシック建築であることから、ゴシックの時代に建てられた大聖堂のほとんどが聖母マリアに捧げられていること、そして聖母信仰がゴシック中世の中心的な信仰の形であったことが分かる。キリスト教自体にもともと聖母信仰があったわけではなく、むしろそれは異教的な要素であったにも拘わらず、ゴシックの時代には聖母信仰が蔓延していたことになる。
 また大聖堂(cathedral)というのは〝大きな聖堂〟という意味ではなく、〝司教座聖堂〟のことであって、司教座のある都市に建てられた教会を意味している。司教のいないところに大聖堂はないのである。パリもまたそうした司教区の一つであった。
 パリ発祥の地はシテ島である。経済的発展によって12世紀頃から人口の都市集中が進み、大聖堂は都市の庶民のために建てられたものだという。もともとキリスト教徒ではない者もたくさんいて、彼らを一堂に集めて教化するための教会でもあった。だから都市に住んでいるすべての人々を収容する大きさがなければならなかった。
 パリのノートル=ダムも当時の人口10,000人ほどを収容できる大きさを持っていた。また大聖堂はキリスト教の庶民信仰への妥協の歴史とともにあって、マリア信仰もその一つなのである。キリスト教以前のアニミズムの地母神崇拝が、マリア信仰に直結していくという構造は非常に分かりやすいものではないか。
 そして大聖堂の彫像やステンドグラスは、文字を知らない庶民にキリスト教の教えを広めるために作られた絵解きのようなものであって、すべてそこには意味があり、キリスト教布教のための大きな役割を果たしたのである。
 馬杉の本は彫刻や図像を扱うと、聖書の知識を持っていないものにとっては、とたんに分かりづらくなるので、ここまでにしておく。基本的な知識さえ得られればよい。
(この項おわり) 

セーヌ川の船から見るノートル=ダム・ド・パリ

馬杉宗男『パリのノートル・ダム』(2002、八坂書房)


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