玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

オノレ・ド・バルザック『ルイ・ランベール』(1)

2021年01月20日 | 読書ノート

 バルザックの『幻滅』について書いてから、5か月が経過しようとしている。この間、「北方文学」82号の原稿があったり、同人の霜田文子の本『地図への旅』編集作業があったりして忙しかったのだが、相変わらずバルザックはよく読んでいた。

 水声社から出ている『バルザック幻想・怪奇小説選集』の第3巻も読んだ。同じく水声社の『バルザック芸術/狂気小説選集』の第1巻も読んだ。また国書刊行会から昨年秋に出た、本邦初訳の『サンソン回想録』も読んだ。どれも面白く読んだのだが、ブログに書こうという気にならなかったのは、やはり自分の原稿に集中する必要があったからだ。

『バルザック幻想・怪奇小説選集』は「神と和解したメルモス」を読むのが目的だった。『幻滅』について書いたときに、バルザックが創造した最も偉大な登場人物ヴォートランの人物像が、マチューリンの『放浪者メルモス』から大きな影響を受けていることを指摘した関係上、「神と和解したメルモス」はどうしても読まなければならない作品であった。

「神と和解したメルモス」はしかし、『放浪者メルモス』のパロディのような作品で、ヴォートランの人物像につながる何ものもない作品であった。マチューリンのメルモスが悪魔との契約によって不死と超能力を約束されながら、その運命の苦悩に耐えきれず、契約の肩代わりを求めて世界中の不運で不幸な人間たちを唆すのだとすれば、「神と和解したメルモス」のメルモスは、19世紀のパリに出現し、次々にしかも易々と契約を肩代わりしてくれる人物を見つけていく。

 つまりこの作品は、悪魔との契約のインフレーションを描いていて、いかにバルザックが生きた時代が軽佻浮薄であったかということを、作者は言いたかったのである。そこには契約の重みもなければ苦しみもない。当事者たちは深く考えもせず、自分の利害のためにメルモスとの契約に走るのである。だからこの作品に重厚なものは何もないが、パロディとして秀逸な作品なのである。しかし、パロディといっても、原作者のマチューリンに対する悪意のようなものは微塵もない。

『バルザック芸術/狂気小説選集』は短編の傑作「知られざる傑作」がピカ一かな。この作品に読まれるバルザックの芸術論は、ロマン派絵画の神髄を穿っているだけでなく、現代にまで通じる議論だと思うのだがいかがだろう。巻頭の「鞠打つ猫の店」も不思議なおかしさを漂わせたいい作品だと思う。

『サンソン回想録』は実在の死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンの伝記であり、小説ではなくノンフィクションである。こんな貴重な作品が今まで翻訳されなかったのは、それがバルザックとレリティエ・ド・ランという人との共著であり、バルザックの書いた部分が確定できないという理由からだという。

 死刑執行人というのは世襲の職業であって、シャルル=アンリは四代目。ルイ16世やマリー・アントワネット、ロベスピエールなど、フランス革命の主役級の人々のギロチン刑を執行した人物なのだ。シャルル=アンリが若いときから差別に苦しんだ様子が克明に描かれている。それだけでなく彼の父親が、自らの職業を自分の息子に対してひた隠しにして育てていく過程も描かれている。それほどに世の差別と偏見には根強いものがあったのである。

 結婚もまた一般人との間ではあり得ず、同業の執行人の娘とでなければあり得なかったことなどを読むと、国家による汚辱の部分の特定の一族への固定化が、いかに酷いものであったかが理解できる。それによって多大な利益を受けている職業に対して、国家は表面上持ち上げながらも、それが抜きがたい差別を生むことを放置してきたのである。彼等もまた国家の犠牲者であったに過ぎない。

 

 さて『ルイ・ランベール』である。レアリストとしてのバルザックではなくて、神秘思想の影響をもろに受けた作品で、そういう意味では前に取り上げた『セラフィタ』と同系列の作品である。『セラフィタ』のような幻想小説の趣はないが、どちらも思想小説として共通している。どちらの作品も「人間喜劇」の中では哲学的研究に分類されていて、他には『絶対の探究』や『あら皮』、先に言及した「神と和解したメルモス」などもここに分類されている。いずれもわたしが特に好きな作品なので、私にはバルザックの哲学的研究に属する作品が合っているのかも知れない。ちなみにバルザックを愛したヘンリー・ジェイムズの『使者たち』の主人公ランバート・ストレザーのランバートは、ランベールの英語読みで、ジェイムズは主人公の名前をバルザックのこの作品から採っているのである。

 何よりもまず私は、ルイ・ランベールが子供の頃から早熟な才能を見せ、なんとスタール夫人の援助を得て、ヴァンドームの高等中学校に入り、同級生の中で孤立し、教師に対しても反抗的な態度をとり続けながらも、この作品の語り手とたった二人で観念の世界を創り上げていく過程に注目せざるを得なかった。

 当時の高等中学校というものが、いかに突出した才能に対して抑圧的で、当事者を苦しめたかということが手に取るように分かって、身につまされる思いがしたからである。

 

『バルザック幻想・怪奇小説選集』③(2007、水声社)「神と和解したメルモス」は奥田恭士訳

『バルザック芸術/狂気小説選集』①(2010、水声社)「知られざる傑作」は芳川泰久訳

バルザック『ルイ・ランベール』(1975、東京創元社「バルザック全集」㉑収載)水野亮訳

 


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