もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

演義と正史

2023年09月24日 | 憲法

 尊敬する友人が、中国人と三国志に関する会話で「それは演義か正史か」と問われて刮目したと話していた。

 自分の三国時代の知識は三国志演義、それも吉川英二、柴田錬三郎、北方謙三各氏が意訳・再構成した三国志で、正史も魏志中の倭人伝に限っており、魏志・呉志・蜀志には目を通したことも無いが、学者でもない限り大方の人もそうではないだろうか。
 膨大で難解な正史よりも、テーマを絞って平易な語りである演義の方が面白く、それを読むことで「なんとなく解った気分にさせてくれる。中国の三大演義は、三国志・水滸伝・楊家将とされ、毛沢東も楊家将演義を愛読し、折に触れて「楊不敗(主人公楊業の愛称)」を引用したとされる。
 演義は、文盲でも楽しめるように講談や音曲で流布されるうちに多くの脚色が加えられて現在の姿になっているとされるが、日本でも次郎長外伝や義士外伝のように事実とは懸け離れた虚構が独り歩きしている。

 チェコの作家ミラン・クンデラ氏は「一国の人々を抹殺するための最初の段階はその記憶を失わせることである」と書いているそうであるが、現在の日本の混乱にも当てはまるように感じられる。
 欧米の植民地政策を反面教師として日本が戦った大東亜戦争に関して、占領軍は「太平洋戦争」と改称させて東南アジアに存在していた欧米植民地の解放という側面に目が向かないように企図し、さらに東京裁判では遡及的に編み出した「平和に対する罪」をa項に据えて断罪し、日本人のアイデンティティを改廃させることに成功した。先人の行為を悪と信じ込まされて牙を抜かれた我々は、今や「占領政策」と「東京裁判史観」を源流とする「平和憲法演義」という虚構の世界に棲んでいるように思える。
 自分の育った時代には、未だ大東亜戦争を戦った人や陸士・海兵に青年を送り込んだ教師が日教組の主張とは一線を画した「歴史の見方」を教えてくれたので、平和憲法演義も懐疑的に見ることができるが、今にして正さねば平和憲法演義は誤謬の無い正史となって、聖書・コーランの位置に飾られるだろう。
 日本人のアイデンティティを取り戻すためにも憲法を改正することが急務であるが、市井の我々でも禍々しい「A級戦犯」との呼称を「a項戦犯」と改めることくらいはできそうな気がする。


”山粧う”と郭煕

2023年09月22日 | 美術

 TBS番組の「プレバト」で、随分前に「山笑う」が春の季語であることを知ったが、一体何のこと?と思っていた。

 本日の産経抄で、由来は北宋の画家「郭煕の画論『臥遊録』の「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として眠るが如く」であり、春「山笑う」・夏「山滴る」・秋「山粧う」・冬「山眠る」がそれぞれ季語と扱われているらしい。
 郭煕(かくき:1023年-1085年)は、北宋の山水画家で字は淳夫とされている。日本では平安時代中期に当るが、中国では北宋時代で、水滸伝の題材とされる宋江を首領とする36人が実在の梁山泊の近辺で反乱を起こしたのが1121年であるので、北宋文化の爛熟期若しくは退廃初期に当るようである。

 何故に季語の話題かと云えば、現在「歌謡シリーズ第5弾」として、秋の里山「柿の木坂の家」を描こうとしているがイメージに行き詰っている。成る程!!「秋は粧うイメージか」と道が見えてきたが、描くとすれば俳句で表すと同じくらい困難であるように思える。
 これを機会に、郭煕もPC美術館に収集するかと思い立ったが、現在までに発見できたのは1枚(幅)のみである。


早春図(台北国立故宮博物院)

 


大椿裕子議員の公開資産に思う

2023年09月21日 | 野党

 大椿裕子参議院議員(50歳)の公開された資産が、預金105万円とされている。

 大椿議員は、社民党の副党首で先の参院選挙での吉田忠智(立憲民主党)氏の議員辞職に伴っての繰り上げ当選である。
 人様の懐具合を云々するのは慎むべきであり自分でも忸怩たる思いがあるが、大椿議員が「蓄財に頓着しない、清廉な井戸塀政治家」であるとしても、50歳女性の資産が105万円とは頷けない思いがする。
 大方の一般的50歳女性と云えば、既婚者であれば「夫の不意に際しても葬式代くらいの自分名義預貯金を確保」しており、未婚者であれば「老後不安に備えて幾ばくかの預貯金・金融資産を考える時期」であると思う。大椿議員の私生活などは伝えられていないので節税対策や危機管理のために資産を分散されておられるのかも知れないが、公になっている経歴などから見ても105万円の資産とは如何なものであろうか。
 大椿議員の来し方やWikipediaの記事を眺める限りでは、紛うかたなき「残り少ない社民党闘士」とお見受けするので、憲法特に9条堅持は当然のこととするものの、《「日本人の日本人による日本人のための政治をする人を選ぶ」と言うのがそもそも間違いです。国籍にかかわらず、この国で暮らす人々のことを考えるのが政治です。》という主張は再考して頂きたいものである。
 「同化しない異教・異境の民」が移住地の文化と秩序を破壊する現状から、マクロン、メルケル両氏の様な中道左派色の指導者と雖も「節度ある移民政策」に転舵を余儀なくされていることを観れば、大椿議員の主張は明日の日本を独仏米並みの混乱に投げ入れることに繋がるように思える。また将来的な危惧は置いても、既に顕在化している近隣トラブル、医療保険制度の悪用、治安の悪化、不法滞在者の収監・強制送還などに国費を含む多くの資源が浪費されていることなどをも、冷静に学んで欲しいものである。

 公開資産云々とは別であるが、比例名簿4位である大椿議員の繰り上げ当選にも釈然としない思いがする。名簿2、3位が辞退しためとされているが、副代表を議場に送るための忖度は無かったのであろうか。
 自分の様な勘繰りが生まれる素地を持つことを思えば、比例選挙は無くすべきではないだろうか。「地域には密着していないが、全国的に活動する知識人などを議場に送るため」とされている比例選挙であるが、選挙区立候補者の保険であったり、名簿記載者を1年ごとに議員にするという荒業を公言する政党もあったことを思えば、比例制度の目的も色あせて見える。


「別班」を考える

2023年09月17日 | 自衛隊

 陸上自衛隊に「別班」という秘密情報部隊が存在するとされていることを知った。

 脚光を浴びたのは、現在放映中の連続ドラマ「VIVANT(ヴィヴァン)」で、堺雅人氏演じる主役の所属が陸上幕僚監部運用支援・情報部別班(通称:別班)とされていることが契機であるらしいが、実は、2013年11月に共同通信専任編集委員の石井暁氏が、「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班が、冷戦時代から首相や防衛相(防衛庁長官)に知らせず、独断でロシア、中国、韓国、東欧などに拠点を設け、身分を偽装した自衛官に情報活動をさせてきたことが分かった」と報じたことが発端であるらしい。
 「別班」は都市伝説に近いものかと云えば、既に国会での質疑や安倍内閣時の菅義偉官房長官が記者会見で存在を否定しているなど、別班の存在に関してはQアノン好事家のみならず国会議員や官房長官の会見に参加できるレベルの記者も半信半疑ながら無視できないものであるらしい。
 自分の考えを先に述べると、「独立国として情報機関は当然に持つべきで・持って欲しいが、秘密機関については国内法と予算の壁から自衛隊は持っていない」と考える。
 特に重要な点は、若し政府に隠れて自衛隊が独自・隠密に対敵情報・テロ情報などを得たとしても、その情報を生かす・若しくは独自(政府に隠密)に反撃する術を持たないことから、情報入手に危険を冒すメリットが全くないことである。情報が価値を持つのは、その情報に対処できる意志と手段を持っていることが絶対条件であり、例えば「金の価格が高騰している」という情報も、金相場に興味があって資金を持っている人には貴重であるが、興味がなかったり資金を持たない自分には利用価値の無い噂話に過ぎない。
 別班問題に火をつけた石井暁氏は、情報の価値と意義に無知であったために別班と云う格好の噂に飛びついたものであろうし、テレビの逆取材に対して別班OBの証言を得ているとしている点についても慰安婦強制連行の吉田清治氏に近いように思える。

 古来「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と云われるように、戦争・軍備に反対する人は往々にして軍人(自衛官)=悪人と思い込み、挙句には「悪人であるからには良からぬことをしているに違いない」まで発展させる。情報の価値・自衛隊の能力・流用できない予算制度、会計検査制度などを総合的かつ冷静に見れば、別班は荒唐無稽なものと解るはずである。
 何よりも、自衛官はシビリアンコントロールを信奉していることを理解して欲しいものである。


矢田稚子氏が総理補佐官に

2023年09月16日 | 野党

 前参議院議員で国民民主党副代表の経歴を持つ矢田稚子氏が総理補佐官(賃金・雇用担当)に任命された。

 不勉強の所為で矢田氏について知らなかったのでWikipediaにお願いしたが、軟弱化した現在には珍しい「苦学力行」の方とお見受けした。
 矢田氏の総理補佐官受諾に対しては、野党分断の狙い、連合(電機連合)の取り込み、国民民主党の連立参加布石、と喧しいが、矢田氏個人の政治活動の延長線上の必然と見るべきであるように思える。
 先の通常国会の予算委員会では、予算に関する質疑は20%に満たず、それ以外は閣僚・与党議員の資質や不正疑惑の追及で占められていたとされるが、本会議で反対票を投じた立民の公式見解は「審議が尽くされていない」であったとされている。予算審議の場にあって「閣僚の箸の上げ下し」を国家の一大事と攻撃する作戦は、政権運営と内閣支持率維持に苦悩する政府から多くの譲歩と来年度予算の修正を勝ち取ったであろうかと思いきや、政府原案から1円の修正も成し得ていない。
 野党の政治家を大別すれば、空理・空論に近い思想を玉条として意に添わぬ政権・政策を全否定する理想派と理想実現のためには政権の意思決定にも関与する実務派に大別できるのではないだろうか。政治家個人の労度・負担を考えると、理想派は攻撃材料を発見(週刊誌等で十分)して委員会の場で火を点ければ仕事の大半は終わったも同然で、後はメディアや世上の沸騰に委ねることで使命は果たせる。一方、実務派は現状の問題点と原因を調査・考察して改善策を見つけ出すことを出発点とし、法制化に当っては党内・政党間・官僚の根回し・説得が必要となることから、実務派の活動Mhは理想派に数倍するのではないだろうか。

 既に政界から距離を置いている矢田氏であるが、来し方・主張をWikipediaで見る限り、今回の補佐官受諾からは実務家として「主張の一部でも実現したい」、「問題点の一部でも解決したい」、との心情・熱情が窺い知れる。
 外交辞令・永田町言葉であるかもしれないが、矢田氏と行動を共にした経歴を持つ国民民主党の榛葉幹事長の「政局で捉えるのは矢田氏に申し訳ない」とのコメントが一面の真実を伝えるものと思いたい。
 矢田氏にあっては、外野の思惑・中傷に迷うことなく、所掌する賃金・雇用に関して実務経験に根差した提言を期待したい。


上瀬谷通信施設跡地利用

2023年09月15日 | 国政・行政

 2015年6月30日に全面返還された米海軍上瀬谷通信施設跡地の利用計画が漸くに動き出したことが報じられた。

 上瀬谷通信施設は、当初は米海軍の通信(送受信)施設とされていたが、1960年9月に上瀬谷通信施設に勤務していたNSA(国家安全保障局)職員2人がソ連に亡命して、NSAの指揮下で電波傍受・暗号解読・分析・通信保全などを主任務としていることを明かした。それまでアメリカ政府はNSA自体の存在を認めていなかったが、この亡命を機にNSAの存在が明らかとなったという因縁の施設である。
 その後、冷戦の終結や先進国の軍用通信が衛星中心となったことから、上瀬谷の機能は順次三沢や沖縄に移されて、返還時は無人であったとされている。
 そんなこともあってであろうか、パーティーなどで「所属は横浜BASE」という軍人には、それ以上聞かないのが礼儀であったし彼等もさりげなく話題をそらせたものである。
 上瀬谷基地の面積は2.5㎢(250ha:250町歩)と広大であるが、所有者が国有地 45.2%、市有地9.4%、民有地45.4%と複雑であるために跡地の再開発は中々に進展しなかった。返還後には宅地開発が有力視されたがアクセスや将来所要に難があることから頓挫し、USJを模した映画会社とタイアップするテーマパーク構想には乗ってくる会社が無く、漸くに平成9年度に花博会場として使用されることが決まっていた。
 今回の再開発計画は、花博終了後に三菱地所が主導して「テーマパークを核とした複合施設」を整備し、年間入場者数も当初1,200万人、将来的には1,500万人と予測されているが、大勢のリピーターに支えられるミッキーのような突出したキャラクターがいないこともあって、「サぁ!どうだろう」の危惧は拭えないようにも思える。

 上瀬谷跡地の様な首都圏にも近いために変換地には民間ディベロッパーも触手を動かすが、過疎地域の米軍用地が返還された場合にはそうはいかないように思える。基地交付金を減額される自治体、借地料を得ていた地権者は言うに及ばず、基地雇用者や米軍人相手の商売人まで80年続いた生活設計の大幅修正を余儀なくされだろう。土地にしても、人里離れた演習場などは返還後に荒れ果てて放置されることは間違いないだろう。
 さりとて、有効な対策を提示できないが、戦略・戦術・武器の変化に伴って、米軍から返還される用地は今後も増えるように思える。日本国の土地を取り戻すことは慶事とすべきであろうが、そこには悩ましい問題が連れ子として同伴していることを覚悟しておかなければならない。


ルーベンスを眺める-4

2023年09月13日 | 美術

 第2次岸田再改造内閣の顔ぶれが報じられた。
 11人の初入閣と女性5人の登用で、「政権の骨格は維持しつつも刷新感を打ち出す人事」とされているが、初入閣者については余程の国会通でないと知らない人物が多いように思えることから、”大臣待機組の大掃除”と評する意見も多いが、大臣に任じられた諸氏にあっては任期中に「何等かの良き爪痕」を残して欲しいものである。
 金正恩氏がロシアを訪問したが、首脳会談ではウクライナ戦の砲弾等を提供する見返りに衛星・原潜の技術支援を得るのではとのキナ臭い動きも進行中である。
 9月の中旬を迎えた本日も30℃超えの真夏日予想。秋の気配と上記諸々の平穏が訪れることを祈りつつ、ルーベンスを眺めている。


毛皮をまとったエレーヌ・フールマン(ウイーン美術史美術館)


四輪馬車のあるエレーヌ・フールマン(メトロポリタン美術館)


デキウス・ムスの死(リヒテンシュタイン美術館)


パエトンの墜落(ナショナル・ギャラリーDC)


幼児虐殺(英・オンタリオ美術館)


”傘がない”考

2023年09月12日 | 芸能

 井上陽水氏の代表曲を別の歌手がカヴァーする番組で”傘がない”を聴いた。

 ”傘がない”は、1972(昭和47)年に、陽水氏2枚目のシングルとして発表されたもので、当初は注目されなかったが現在では”氷の世界””少年時代”と並んで氏の代表曲となっている。
 テーマは、「指導的な階層(大人)が警鐘を鳴らしている事象よりも、自分では恋人に会いに行かねばならないのに「傘がない」ということの方が重大事である」というものである。
1972(昭和47)年は、
・1月 グアム島で横井庄一氏発見・帰国
・2月 札幌冬季五輪開催、浅間山荘事件
・3月 奈良県明日香村の高松塚古墳で極彩色壁画発見
・6月 佐藤栄作首相退陣
・7月 太陽にほえろ放映開始
・8月 カシオが世界初の電卓発売
・9月 田中角栄首相訪中、日中国交正常化(11月ランラン、カンカン来園)
 となっているように、既に学生を中心とした左派活動は「頑張った割には社会を何一つ変えることができなかった」という虚無感から「ノンポリ層」を生み出していた。
 そんな時代の”傘がない”であることから、自分は陽水氏の自嘲なのだろうかと思っていたが、次第に年齢を重ねることによって「自嘲よりも指導層に対する皮肉なのか」と考えるようになった。
 陽水氏も、一定の影響力を持つようになった中年期にはステージで”傘がない”を封印していたとされているので、「自分で自分を皮肉る」ことに抵抗感を持ったものかも知れないし、陽水氏の対極に位置する松山千春氏が「傘がなければ傘を買え」と檄を飛ばしたのも頷ける思いがする。

 陽水氏は「別にそんなふうに考えて作った歌ではないんですよ。ただ単に、周りが政治の季節であったというだけのことで・・・」と謙虚に語っているとされるが、社会に対する貢献度も低下した今の自分に”傘がない”は、「上滑りな思考で駄文を弄する傍らで現実には頭上の蠅も追えない存在であることを自覚せよ」と諭しているようにも聞き取れる。
 とあれこれ考えると気が滅入って自己嫌悪に陥るばかりであるので、今後は氏の込めたメッセージは置いて歌唱を楽しむだけで平安を保つことにしよう。


インド国名変更?

2023年09月09日 | 歴史

 インドが国名を変更する可能性が取り沙汰されていることが報じられた。

 憶測は、本日開催されるG20の議長国であるインドが、夕食会招待状にホストを「バーラント国大統領」としていることから生まれたものである。本日知ったことであるが、インド憲法ではインド、バーラント双方を国名とすると定めており、現実にはヒンディー語を使用する場合はバーラントと表記し、英語の場合はインドと表記することが定着しているそうである。
 バーラントとは古代インドの有力部族の名に因んでいるそうであるが、インドもインダス川などに由来する捨て難いものらしく、呼称の変更・統一は国論を二分する程のものではないように思える。
 第二次大戦後、多くの植民地や衛星国が独立した。独立に際して多くの国は植民地や衛星国時代の呼称を継承したが、近年の民族アイデンティティ復古に押されたナショナリズムの台頭によって、国名を受難時代や宗主側の呼称から有史初期の古語に回帰することが増えているように思う。
 チトーに率いられ戦後東欧の要ともされたユーゴスラビアは消滅し、日本映画の名作「ビルマの竪琴」と聞いても「どこの?・何の?話」となり、グルジアはジョージアに・キエフはキーウに・・・と目まぐるしい。
 国名もさることながら、歴史や英雄の再評価によって地方自治体や都市の名称についても改称が進んでいるが、愛着有る名称を変更するには確執が生まれるのは当然のようで、ヴォルゴグラードは1925年まではツァリーツィン、1925~ら1961年は官製のスターリングラードとされていたが、ヴォルゴグラード以後もスターリングラードに愛着を持つ住民が多いことから2013年以降は年に数日のみ市名をスターリングラードに戻すという苦肉の策を採っているそうである。そういえば、鳥取県は「梨県」・「砂県」・「蟹取県」・・・と矢継ぎ早に愛称を積み重ねた結果、今や県民ですら「何県」か分からない状態とされている(笑)。

 東洋学園大学の桜田淳教授は、歴史を証明するためには呼称の永続性が不可欠とされている。
 世界中で数百万人の死者を出した新型コロナ肺炎は、当初「中国コロナ」「武漢ウイルス」と呼ばれていたが、WHOの提唱するCOVID19に沿う形で新型肺炎という呼称が一般化した現在、コロナの起源地が中国であるということすら風化しつつあり、おそらく高校生以下では知らない人の方が多いのではないだろうか。
 当初は全世界から相手にもされなかった韓国の「日本海⇒東海」の主張も、アメリカの航空地図に「東海」と誤記されたように、徐々に地歩を固めつつある。


ジャニーズ会見に思う

2023年09月08日 | 報道

 ジャニーズ事務所の出直し会見が行なわれた。

 4時間以上に及ぶ会見をテレビ各局は挙って生中継したので、自分も”ながら視聴”して「性加害の再発防止と被害者保障に関しては今後、新組織で取り組む」ことは分かったが、会見における一部記者の言動に少なからぬ疑問を持った。
 質問者の所属などは聞き取れなかったが、詰問口調での質問は「週刊文春が報じた内容に関して、新社長の所信を問う」ものであった。自社或いは自分の取材した内容に関して問い詰めることは当然であるが、同業他紙の報道内容を追加取材することなく質問する記者の発言は、ジャーナリストとしての適格性や見識に疑問符が付くものではないだろうか。
 他紙の記事をファクト検証することなく付和雷同的に報じた結果、世論がミスリードされた苦い歴史を我々は経験している。
 その最大の事例は、朝日新聞の「半島出身慰安婦の強制連行」事案である。朝日新聞のフェイクにメディアが大々的に提灯を点けた結果、教科書には記載され、国連の正式レポートに掲載され、韓国の最大論拠となり、河野・村山談話に至って国際的には既に歴史の真実と化してしまった。また、やや小ぶりながら、検証すれば容易に偽物・不正確な資料と断定できる立民小西議員の高市総務相攻撃文書の事例もある。
 メディアやジャーナリストと雖も誤報は根絶できないだろうものの、自社或いは他社の報道内容に関して常に「ファクト・チェック」を行うことで誤報局限と訂正報道の自浄作用が働くと思っているが、今回の会見における質問記者の言葉を見る限り、「朝日のような大新聞が報じたから」・「芸能情報に詳しい文春が報じたから」、報道内容は正しく「バスに乗り遅れるな」という付和雷同倫理が垣間見えたように思える。

 総理辞任・ロッキード汚職にまで発展した田中角栄氏の金権政治批判に先鞭を付けたのは立花隆氏であるが、各社が立花氏に追随して角栄氏批判に転じるには相当の長時日が必要であった。そこには、宰相批判には社運を賭ける必要があるために各社が入念な上にも入念な裏付け取材を行って、立花理論は正しいと判断したためであろうと思っている。
 このように、メディアが協調して報道することによって山が動くことも事実であるが、今回の記者のお手軽発言は残念であり、せめて冒頭に「文春の報道は我社でも正確と確認したが・・・」くらいは付ける見識を示して欲しかった。


男子バスケットボール五輪出場決定

2023年09月04日 | カープ・スポーツ

 男子バスケットボールが、1976年のモントリオール大会以来46年ぶりの自力五輪出場権を得た。

 何はともあれ目出度いことで、俄かファンにも至らぬ自分であるが今回の偉業達成を喜ぶとともに、二つのことを知った。
 一つは「カーボベルデ」という国名を始めて耳にした。
 Wikipedia記事の要約であるが、《カーボベルデ共和国は、アフリカの西沖合のマカロネシアに位置する共和制の島嶼国家で、歴史的には1444年にポルトガル冒険者のディアゴ・ディアスが発見したとされている。発見当時は無人島で1462年にポルトガル居住者が定着して小規模な都市が建設され、16世紀には奴隷船の中継拠点となって繁栄する傍らでイギリスの海賊ジョン・ドレイクの略奪などに曝された。その後、奴隷貿易の廃止による衰退を経て、1975年にポルトガルから分離・独立した。》となっている。
《面積は4,033㎢(福島県と同程度)、人口56万人(徳島県と同程度)で、2020年頃のデータでは現地在留日本人2人、在日カーボベルデ人12人、対日輸出額0円、対日輸入額4億2,927万円となっており、自分が知らなかったのも致し方の無いところであろうか。
 二つめは、意思疎通には言葉の要素がj大きいことである。今回の日本代表チームを率いたのはアメリカ人のトム・ホバース氏であるが、流暢な日本語で選手を叱咤・鼓舞する映像を良く目にした。
 スポーツ界の「外人監督」は左程珍しいものではなく、プロ野球ではブラウン(広島・阪急)・バレンタイン(ロッテ)・ラミレス(横浜)・・・、サッカーでもオフト、トルシエ、ジーコ、オシム・・・の諸氏を記憶している。ロッテでバレンタインの指揮を受けた野球解説者の里崎智也氏は「専門分野であり云わんとするところは通訳されなくても”なんとなく解る”」と述べられているが、戦術面のみならずモチベーションを高めるにはホバース氏のように通訳を介さずに直接に訴えかける方が効果的であるのように思える。

 WBC金メダルに始まり、大谷選手、撫子ジャパン、井上尚弥・・・、日本人選手の活躍が目覚ましい昨今である。
 来るパリ五輪ではバスケットボールにもチャンネルを合わせる必要が生まれ、さらに眠れぬ夜が続くことだろう。
 頑張れニッポン!!


西武百貨店のストに思う

2023年09月01日 | 世相・世論

 西部池袋本店でのストライキが報じられた。

 ストライキは、セブン&アイ・ホールディングス(HD)が傘下のそごう・西武百貨店を米投資ファンド売却によって雇用継続が危ぶまれることと理解しているので、組合員には将に死活に直結するものだろうと同情している。
 大型百貨店でのストライキは昭和37年以来61年ぶりとされているが、報道を見る限りでは「総評」華やかりし往時とは大きく様相を変えているように思える。
 記憶している当時のストライキでは、赤鉢巻姿の従業員が会社を占拠して赤旗を林立させたり、ストライキを事前察知した会社側が事業所を閉鎖したり、と攻防は激しかったが、今回のストライキを見ると、ビラ配布やデモもあったようであるが、参加者は応援を含めても300人程度とされてているので池袋店の組合員数900人に比べれば静かなものであったように思う。
 父島勤務では、半年に1度10日間の休暇が許可されていた。補給の護衛艦で横須賀に帰投したが、折悪しく春闘の真っ最中で東京駅には辿り着いたものの間引き運転の新幹線をホームで数時間待った記憶がある。当時の国鉄は、尖鋭的な国労と動労が利用者を置き去りにする「順法闘争」を繰り広げ、それが日本の労働争議の手本とも化していたが、一方で、尖鋭的なストライキと袂を分かった労使協調路線の鉄労は非組合員と協力して最小限のダイヤを維持していた。経済成長期になると国労と動労の様に利用者・国民を人質とする尖鋭的な闘争は次第に国民の支持を失い、国鉄民営化に伴って尖鋭的な活動家がJRに再雇用されない事態となっても、それを不当とする空気は起きずに世間はむしろ「当然の報い」とするようになった。こう考えれば、国鉄民営化・JR誕生が日本の労働運動の転換点・分岐点であったのかも知れない。

 自分は組合活動や労働争議の経験が無い。いや、1度だけ「異議なしと云っていれば弁当が貰える」と誘われて友人の努める製鉄会社の組合大会に参加したことがある。組合大会と云っても子供が大声を挙げながら会場を走り回っている有様で、議事は全く聞こえなかったが2・3回「異議なし」と拳を突き上げて弁当を貰った。
 多分であるが、大方の組合員は社員であることを除けば自分と同じでは無かったかと今でも思っているので、連合の政党支持選択が国政選挙の行方に大きく影響すると云う主張も幾らかは割引いて眺める要があるのではないだろうか。


夏休みの宿題-2

2023年08月31日 | 憲法

 8月も最後。漸くにして夏休みの宿題の2枚目を描き終えた。

 タイトルを「ジュラ紀」としたが、イメージはNHKの「恐竜王国」から拝借した。
 最新の研究では一部の恐竜は羽毛に覆われていたとされるが、恐竜が変温動物であったことや血脈が鳥類に受け継がれているとされるので納得できるように思う。
 イメージは「ティラノサウルス」であるが、名前がどうしても思い出せずに、ネットで「肉食恐竜 最強」と検索して漸くに思い出すことができた。
 一般的に「知識は積み重なる」とされているが、この数式が当て嵌まるのは60代くらいまでであって、それ以降は残念ながら「年齢が知識(記憶)を奪う」のが現実であることを実感した。
 尊敬する友人からの受け売りであるが、手塚治虫氏が現役引退を決意したのは「フリーハンドで真円を描けなくなったこと」であるらしく、ノーベル賞作家の川端康成氏が70歳を過ぎて自ら命を絶ったのも、加齢によって流麗に言葉を操れなくなったせいであろうか。
 老境に差し掛かった才能豊かな人のその後は、「変わらずの力量を維持する」・「現実を受け止めて穏やかに引退する」・「才能の摩耗を受け入れられない」・・・とさまざまで、年齢の影響は個人差が極めて大きいとともに、受け取り方も様々である様に思える。

 「ジュラ紀」を描き終えたが、孫は既に「恐竜社会」から引退してしまったので批評すらしてくれないだろうが・・・。


「ジュラ紀」(F10)


世論と報道の変質

2023年08月30日 | 報道

 警察官の発砲が報じられたが、お決まりの文言は無かった。

 かっては、警察官の発砲が報道される場合には、最後に必ず「発砲の適法性」についての警察の見解や報道機関の意見の形で疑問符を付けてなされるのが定番であったが、近年ではそれらに触れることは殆ど無い様に思っている。
 犯罪が多様化・劇場化・狂暴化するとともに警察官自体への襲撃も多発し、更には制止の言葉が通じない外国人の犯罪が引きも切らない現状では、警官が身を守りつつ犯人を制圧するためには銃器を使用せざるを得ないことが漸くに理解され始めたのではないだろうかと思っている。
 また、終戦記念の日前後に靖国神社を参拝する閣僚に対して「公人としてですか私人としてですか」という質問が投げかけられるのも定番であったが、ここ2、3年この質問を投げかける映像を見かけることが無くなったし報道もされなくなったとも思っている。
 自分は、警官の安全よりも犯人の生命を優先するかのような報道や、政治家(公人)の私的側面を云々する一方で靖国参拝には中韓に阿るかのように公・私人の別を追及することを不快に思っていたので、近年の報道姿勢については漸くに正常になったと思っている。
 報道の変質は何故に起きたのだろうかと考えれば、報道機関が自社独自の「報道コード(code)や理念を持たない」ためと考えても良いのではないだろうか。報道コードで警官の多少の犠牲よりも対象者(市民)の安全を最優先すべきとすれば「発砲の適法性」の質問・追及は譲れず、閣僚の靖国公的参拝を違法とするならば「公人としてですか私人としてですか」という質問は避けて通れぬように思える。
 では、報道機関の取材・報道の基準は何だろうかと考えれば、「世論への迎合」を全ての基準としているのではないだろうか。世論が望むものを望むベクトルで報じることは、比較的に容易・安易であるとともに、報道の責任も世論に転化できる。好個の例は朝日新聞が行なった従軍慰安婦の強制連行報道である。入念に取材すれば嘘と分かる吉田清治氏の証言を「正」と報じたのは、事の真偽よりもスケープゴートを求める世論に迎合することを優先したためであり、20年間以上も垂れ流し続けた虚を僅か1回の訂正(記事取り消し)で済ましたのは、「読者がそう望んだから」という開き直りであったと思っている。

 明治初期にあって新聞が、固陋制度の改革と開明思想の啓蒙に指導的・牽引的な役割を果たしたとされており、リアルタイムの映像が提供できるテレビは世論の形成に大きく影響するとされるが、現在のように新聞・テレビを始めとするメディアが挙って世論に忖度する以上に迎合するかのような姿勢は如何なものであろうか。


立民泉代表の外遊に思う

2023年08月29日 | 野党

 立民の泉代表の外遊が報じられた。

 泉代表は、令和代表就任後初の外遊で、ベトナムを訪問してベトナム共産党の中央組織委員長などとの面会が予定され、旧民主党がベトナム共産党との間で交わした政党間交流の覚書を再構築するとされている。
 次いで来月中旬にはアメリカを訪問して、政府や議会関係者と面談して同盟関係や経済安全保障などで意見交換するともされている。
 代表に就任して2年間も外遊していないことに驚かされるが、兎にも角にも外遊して外国が日本を、更には立憲民主党をどのように評価しているのかを肌で感じることは日本の将来に有益であると思う。泉代表も出発前に「自分自身が政権を担った時にも外交関係がうまく働いていくように取り組む」と所信を述べているので”その意気や良し”と思う反面、ベトナムで政権(行政)中枢との面談が予定されていない事を勘繰れば、訪問の目的が政党間の交流事業と云う点を割り引いてもベトナムが立憲民主党を「次期政権担任可能者とは見ていない」ことを示しているように思える。
 訪問国の冷ややかな視線・対応が日本における立憲民主党の力量を如実に示しているとしても、それを感じることは、日本で「先生」と呼ばれことに満足しているよりは遥かに得るものが大きいように思う。カエサルは「人は見たいものしか見ない」と述べているが、泉代表にあっては「意に添わぬもの・見たくないもの」であったとしても、北ベトナムは如何にして南を統一できたのか?、南は何故国を失ったのか、統一・不統一の何れが良かったのか?、スプラトリー諸島などの防衛をどのようにしているのか?・・・をつぶさに感じて欲しいものである。2日の外遊では無理かと思うが。

 泉代表の外遊を産経新聞は「野党外交」と報じているが、些かに奇異に感じる。自分の考える外交とは、「国民の負託を受けた政権の思惑に基づく外国との関係」が外交であって、現在の野党の外国訪問は、見聞を広めたり、人間関係の開拓を目指す外遊とするのが正しい様に思う。
 過去には、野党であった公明党が首相の親書を携えて日中国交回復の端緒を開いた「野党外交」と呼べるものがあったが、政府・国民の負託を得ない泉代表が相手に「トラスト・ミー」と叫んでも、政府や国民を縛るものではない。
 ともあれ「松川訪仏団」の顛末で世間の目は厳しいが、泉代表にあっては臆することなく初期の目的を達して欲しいものである。必要ならば、観光地に出かけるのも「有り」と考えている。