今回で3回目なのですが、何故かこちらを先に書きたくなったので先にのっけます。ごくごく当たり前の話です。胎教・・・でもどんなに繕っても人の本心は隠せないのです。
④安らぎの揺りかごとは。
結論から書きますと、それは、母親の子宮の内部の事なのです。これが、とても重要です。
生まれて来る前の子供にとっての安らぎのゆりかご・・・。その揺りかごが今はどうでしょうか?
実は私にとっては、時にやすらぎのゆりかごでは無かったようです。その結果生まれてきた時に、首にへその緒を3重にも4重にも巻いて生まれてきたのです。記憶にははっきりとは残っていませんが、生まれて来るのをかなりためらったようです。処置が遅れていたら、今こうしてブログなど書いていないでしょうねって当たり前か・・・。
当然、生まれてからも、厳格な父と体の弱い母・・・そんな父に、いつも殴られて心歪んでいるように見えた兄・・・。兄も私も予科練式軍隊教育を受けました・・・。
今の世の中なら完全な虐待ですよ。叩かれて鼻血が止まらない・・・目の中に星が見えても殴られ続ける・・・。そんな日々の記憶しか思い起こせません。このあたりは過去記事にありますけどね。
父も同じような人生だったようです。よくは知りませんがね・・・。兎に角、戦争がすべての生活を変えてしまったようです。
私が生まれる前は、兄の受けていた教育をちゃんと母の子宮の中で感じ取っていたんです。
そして、なんども生まれることをためらいました・・・。しかし、それもまた運命・・・だったのでしょうね。
そうそう、僕は変わっていましたよ。普通の子ではなかったようです。小さい頃・・・小学1年の頃までは、押入れの中が大好きで、綺麗な石ころを拾っては磨いて、押入れの中に綺麗に並べて飾ったり、海に流れ着いた流木を磨いて飾ったりと・・・かなり変わった習性を持っていましたね。盆栽も好きでした。盆栽は実際にした事は無いし、今ではあまり興味はないですけどね。
この子、病院へ連れて行ったほうが・・・当時の精神病院ですよ。そんな会話を夜な夜な寝たふりをして聞いていました。
そんなに変わっているのかなぁ・・と自分では不思議に思いましたね。
はっきり言って勉強は大嫌い!字は汚いし・・・でも、この子はいったい何のとりえがあるんだ・・・それも聞いていました(笑い)。
子供の頃は、絵だけは上手かった・・・いつも入選。図工とか技術家庭科、美術だけは5でしたね。それでは、受験戦争に勝てるわけないですね。
しかし、貧乏でしたからね・・・絵を学ぶ教室なんて当時は地元には無いですしね。
正直、体も弱かったので、絵を描くくらいしか気を紛らわせる事が無かったんです。
後は、いつも空想ばかりしていました。ソラに浮かぶ雲と話をしたり、虫やカエルと話をしたり・・・。今思えばこの頃の空想が今の妄想の原点かもしれませんね~。
さてと、何故自分の事を書いたのか・・・それは、安らぎのゆりかごに入っていられる時間を本当に大切にしてあげて欲しいから・・・自分のような悲惨な経験をさせて欲しくないからです。
子供にとって母親のお腹にいる時間は永遠のゆりかごに感じるのです。この話は物心つくまでの話です。
今はどうか?実はそのゆりかごが身近に存在するんですよ。
そのゆりかごは、今は暖かな太陽の光であり、心地よい風、そして自分を理解して下さる方々・・・なのです。
発想を広げれば、この自然環境を包み込む地球であり、それさえも包み込む宇宙の存在へと繋がって行く・・・。
どこで、何がどう転んだのかよくはわかりませんが、今はそれを感じる一人となりました・・・。感じても、大した事はなーんも出来ませんけどね。
でも、皆きっと同じだと思いますよ。感じても、今と云う時間を、社会生活の維持の為に日々競争に勝ち抜いておられるわけですからね・・・。
そんな暇あったら、お金を稼げ!!とお怒りになるかも・・・。だから、貧乏能無し親父だと自分で書いていますからね。
なんだか、酔いどれ親父の戯言になってきた・・・お酒飲んでませんから・・・。飲めないし飲みません・・・なので普通の意識で書いています。
そんなわけで、今の太陽の光は優しい母(元)の安らぎのゆりかごに思えました。
そして、自分の何かが、安らぎのゆりかごを無意識に求めるのだなと・・・。
一瞬、ほんの一瞬感じる安らぎを何故か強く感じたので今回のシリーズにしました。
実際の太陽は、少し荒れています。知っている人は知っていますね。
このシリーズはこれで終りです。③についてはある時、突然アップします。
人は癒しや、安らぎをきっと何かに求めると思います。でも、実は、大きな大きな安らぎの空間の中にいた・・・という話です。
少し体調がすぐれないので妄想の旅も今回はこれくらいにします。
くだらない妄想の記録に興味を持って下さってありがとうございました。