ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

:「ともに歩く・目の探訪記」で手引きした2記者

2010年03月24日 01時30分03秒 | 障害者の自立
 アイマスクを着け1週間の視覚障害者体験をした東京社会部・萩尾信也記者(54)のリポート「ともに歩く・目の探訪記」(今月、8回)で、手引き(誘導)した2人の記者が視覚障害者のサポートについて考えた。視覚障害の取材経験が豊富な点字毎日部・野原隆記者(49)と、今回初めて手引きを経験した大阪社会部・平川哲也記者(38)。

 ◇もっと知りたい 相手、障害=平川哲也(大阪社会部)
 「少し黙れ」。いら立った萩尾の声は、野原から手引きを引き継いだ朝、電車の中で聞いた。知ってはいたのだ。手引きの時、萩尾は左手で私の右腕に触れる。階段などの障害物を、白杖(はくじょう)で検知できるよう、正面に誘導する。説明は簡潔に「右」「左」がよい。だがマニュアル本で得た知識は、緊張でかき消される。手引きは冒頭からつまずいた。

 私の右腕は力んでいた。車道から段差のある歩道に移る時、斜めに上ろうとした。白杖は段差をとらえず、萩尾はつんのめった。電車では「右上にある」と伝えたつり革が左上にあった。向き合って立って私から見て右は、萩尾の左だった。

 ともに歩き、視覚障害を考える。だがその目的は、冒頭の衝突で戸惑いに変わった。みえてきたのは「視覚障害」でなく、萩尾というむき出しの人間だったからだ。途中で「置いて帰ってやる」とも思った。募る焦りを解いてくれたのは、2人で訪ねた「東京都視覚障害者生活支援センター」指導訓練課長の長岡雄一さん(57)だった。

 長岡さんは言った。「当事者の家族ら近しい人ほど、手引きは厳しいですよ」。思ったのだ。視覚障害者と家族は、互いを知り尽くす。だからこそ、愛情を持ちながらも、厳しく対応できる。ならば萩尾を知り、萩尾が私を知れば、みえてくるものも変化するのではないか、と。

 以降私は、注意深く萩尾を観察した。表情は口角の上下でうかがえた。さかんに鼻を動かすが、電車内で「美人か?」と尋ねた香水の主は男性だった。一方、私からも主張した。繁華街で速歩きを求めた萩尾を制し、人の流れが落ち着くまで待った。

 手引きの途中、萩尾は「キンモクセイだな」と言った。甘くは香るが、木立は見当たらない。その時、私は気付いた。「見えない」萩尾が、においや音で別の世界を「みている」ことを。「視覚障害者」の萩尾に近づいた気がして、私はうれしかった。右腕の力みも抜けていった。

 無論疑似体験だ。分かったような顔はすまい。だが体験の終盤、萩尾が私以外の人に手引きを求めた時、私は軽く嫉妬(しっと)した。だから今、苦笑しながら思う。相手と、そして障害について、もっと知りたい。できれば時間をかけて。

 ◇「疑似歩行」誤解を招く恐れ=野原隆(点字毎日部)
 「1週間程度の疑似体験で何が分かる。むしろ誤った障害観を助長することにならないか」。体験取材に先立ち、視覚障害者たちに意見を求めたところ、懸念の声が多数だった。長年にわたって不自由さや社会の理不尽さと向き合ってきた心境を思う時、当然の声と受け止めた。

 それでも体験取材に踏み切ったのは、晴眼者の側から少しでも視覚障害者の思いに近づき、寄り添うことができないのか、との思いからだ。それだけに、視覚障害者が抱いている思いや声は、しつこいほど萩尾に伝えた。

 そもそも視覚障害者が単独歩行に踏み出すのは、一人の市民として自立した生活を目指すためだ。厳しい訓練を受け、一つ間違えると命にかかわるリスクを抱えながらも初の一歩を踏み出している「覚悟」も伝えた。

 中途失明者が白杖歩行や生活訓練を受ける時と同じように、基本に忠実に立案し、けがや事故を招きかねないむちゃな行動をしかけた時は、先輩であるが厳しく注意した。

 1週間の体験取材は、萩尾の心身に大きな負担を与え、アイマスクを外した時の視神経に与える危険性も考慮し、常に健康状態を観察するなど、緊張の連続だった。結果、私は途中で体調を崩し病院へ運び込まれた。

 最近、アイマスク体験に取り組む学校や地域が増えている。しかし、その多くは単なる「疑似歩行」となってはいないだろうか。晴眼者がアイマスクをして歩くだけの体験は、不安や恐怖のみを印象づけ、視覚障害者への誤解や偏見を招く恐れがある。アイマスク体験は視覚障害者の一面を垣間見ることはできるが、もちろんそれがすべてではない。萩尾は今回、視覚以外の聴覚、嗅覚(きゅうかく)、味覚、触覚を駆使し、その能力について再認識した。また、視覚障害者の思いを少しは共有し、寄り添うことができるようになったと思う。

 09年は点字を考案し「点字の父」と称されるルイ・ブライユ(仏、1809~52)の生誕200年だった。10年はブライユの点字を応用して石川倉次(1859~1944)が日本点字を完成(1890)させて120年にあたる。この節目を、読者と一緒に障害やバリアーを考える「ともに歩く」機会としたい。

毎日新聞 2010年3月24日 0時16分(最終更新 3月24日 1時12分)

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障害者と健常者の共生模索 宇都宮でフェスティバル

2010年03月24日 01時25分09秒 | 障害者の自立
【宇都宮】障害者と健常者の共生社会を模索する「ノーマライゼーションフェスティバル」(市障害者福祉連合会主催)が22日、東コミュニティセンターで開かれた。

 パネルディスカッションが行われ、盲学校教師を30年務めた視覚障害の男性は、成長した教え子が仕事に就いたエピソードを挙げ、「世の中のため役に立てたことが喜びだった」と振り返っていた。

 一方障害を理解しない健常者から心ない言葉を投げ掛けられたことや、「障害者の性格を卑屈とみる偏見がいまだにある」という意見もあった。参加者の一人は「ちょっとした気遣いで障害者は生きやすくなる。健常者がどんな支えをすればいいのか、障害者と話し合ってもらえれば」と呼び掛けていた。

 会場には障害者やテーマに関心を持つ学生など約300人が詰め掛け、パネリストの意見に耳を傾けていた。
下野新聞

障害者雇用15年、受け入れ定着 浜松の農園

2010年03月24日 01時23分17秒 | 障害者の自立
 障害者を農業従事者として雇用する「ユニバーサル園芸(園芸福祉)」。浜松市内の農園が障害者の受け入れを始めてから15年がたち、現在では作業の“戦力”としてすっかり定着した。普及を目指す関係者は「農業経営と障害者雇用の融合した新たなモデルケースとなってくれれば」と期待している。
 ユニバーサル園芸に取り組んでいるのは、同市南区鶴見町でみつばや姫ネギなどの水耕栽培を行う京丸園(鈴木厚志社長)。同園では15年前に1人の障害者を受け入れ、現在、24人が収穫や出荷作業に汗を流す。
 「最初は心配だった。しかし実際は、職場の雰囲気が良くなり作業効率も上がった」と鈴木さん。障害者が作業しやすいよう施設の改善をしたところ、健常者も使いやすくなる“ユニバーサルデザイン化”も進んだという。
 ほかの農園にも、この取り組みを広げていきたいと、2006年からは有志とともに「NPO法人しずおかユニバーサル園芸ネットワーク」を組織。県や市、企業等と連携して、障害者の雇用推進活動を展開している。
 「障害者の雇用は、ボランティアでやるものだと考えていたが、今では立派なビジネスパートナーです」と鈴木さん。同NPOは4月から、農家と企業、障害者の橋渡し役となる「農業ジョブコーチ」の育成も本格的に開始、県内企業に広くPRしていく計画だ。

静岡新聞

きらめく千手観音が魅了 中国障害者芸術団の長崎公演

2010年03月24日 01時21分28秒 | 障害者の自立
 中国障害者芸術団の「千手観音『My 夢 Dream』さくら」長崎公演(長崎新聞社など主催)が22日、長崎市茂里町の長崎ブリックホールであり、55人の出演者が舞踊「千手観音」をはじめ楽器演奏、舞踏劇、京劇など17の多彩な演目で観客を魅了した。

 同芸術団は、視覚や聴覚などさまざまなハンディキャップがある団員で構成している。1987年の結成以来、アテネパラリンピック閉会式(2004年)に出演するなど、世界各地で公演。舞台を通じ「すべての生命は尊厳を持ち、すべての生命には価値がある」というメッセージを発信し続けている。

 「千手観音」では、聴覚障害がある男女21人がきらびやかな衣装で登場。縦列に並んだ出演者は、音楽に合わせて弧を描いたり、上下に波打たせるような手の動きを重ね合わせ、1体の観音に42本の手があるような動きを表現。観客は華麗で神秘的なステージを堪能した。

長崎新聞

点字ブロック発祥の地、岡山の交差点で記念碑除幕式

2010年03月24日 01時19分58秒 | 障害者の自立
 視覚障害者の歩行の安全を確保しようと、1967年3月18日に世界で初めて点字ブロックが岡山市中区の国道250号・原尾島交差点に敷設された〈発祥の地〉をアピールする記念碑の除幕式が現地で行われ、県立岡山盲学校の生徒ら約200人が祝った。

 社会福祉法人・県視覚障害者協会などでつくる実行委が、寄付を募り約430万円で建立。高さ、幅とも1・2メートル、厚さ0・45メートルの石碑で、当時のコンクリート製の点字ブロック3枚(約30センチ四方)を埋め込み、「暗礁を恐れぬ 希望の眼(め)となれ ここから世界へ ここから未来へ」の碑文が彫られた。

 式では、同協会の柴田富夫会長が「点字ブロックが視覚障害者の幸せのため、世界の福祉向上のためにますます役立つことを祈ります」とあいさつし、除幕。市民グループ「顔晴(がんば)れOKAYAMA」が創作したテーマ曲「幸せの黄色い道~点字ブロック発祥の地 岡山~」を参加者が歌った。

 点字ブロックの考案者で岡山市の発明家・三宅精一さん(1926~82)の弟で、自身も敷設に尽力した三郎さん(68)は「普及のための社会環境が整わずに苦労したが、世界約20か国にも拡大したことは夢のよう」と喜んでいた。

 実行委員長で元岡山盲学校教頭の竹内昌彦さん(65)は「点字ブロックを生みだし、普及させた偉業を後世に伝えたい」と記念碑建立の意義を話していた。

(2010年3月23日 読売新聞)