2006-0913-yms116
かがり火を静かにうつす池の面は
仏の教えもいついつまでも 悠山人
○紫式部集、詠む。
○詞書が大きく異なる例として、まず新潮版では、「池の水の、ただこの下に、かがり火にみあかしの光りあひて、昼よりもさやかなるを見、思ふこと少なくは、をかしうもありぬべきをりかなと、かたはしうち思ひめぐらすにも、まづぞ涙ぐまれける」。平王クでは、「その夜、池の、かかり火に、御灯明(みあかし)の光りあひて、昼よりも底までさやかなるに、菖蒲の香、今めかしうにほひくれば」。夜になると、御堂(法華経三十講のあった)の灯明が、池の水面に光って、気持ちも穏やかになる。この静かな光が、末長く私たちを照らして欲しいものです。なお、第078歌も参照されたし。「さわぐ」は「さはぐ」にあらず。平王ク歌番号067。
¶幾千代すまむ光ぞ=何千年も仏法(を体現した土御門さま=道長)が住み続け、灯明を映し合う澄んだ光でしょうね。
□紫116:かがりびの かげもさわがぬ いけみづに
いくちよすまむ のりのひかりぞ
□悠116:かがりびを しずかにうつす いけのもは
ほとけのおしえも いついつまでも