2006-0923-yms120
私には菊のわずかな露にして
花のあるじはどうか千歳を 悠山人
○紫式部集、詠む。
○今日は、何かと菊に縁のある日。1008(寛弘5)年の重陽節(9月9日)の歌。前日から当日にかけて、「菊の花を真綿でおおって露と香を移し、その真綿で身体を拭くと老いが除けると考えられ、人に贈り物にもした。」(新潮版) 関東ではつい先日、杉並・大宮八幡で宮中に模したこの催しがあった(と、たしかに幼稚園児の可愛い写真を添えて、区の広報に載っていたのだが…)。例年の由。また、洛都の和菓子には、「お菓子」「おまん(饅頭)」「お餅」があって、「着せ綿」はお菓子(生菓子)の定番の一つとか。
ところで先日、この歌とは別にある調べものをしていたが、そのときこの歌を「菊の花」と紹介していたウェブサイトに、複数出会った。たしかこれは「露」ではなかったかと、不安になった。電網を利用するさいには、孫引き曾孫引きなどが充満しているので、心をいっそう引き締めなければと自戒した。紫には、意外なことに、菊の歌はこれ一首だけである。着せ綿は除魔延寿の力を持つとされたので、道長の妻倫子から受け取った紫が、(若い)私は少しだけ頂くことにして、北の方さまこそたっぷり身に付けて、せいぜい長生きなさって下さいな、と詠った。平王ク歌番号115。
唐突のようだが、紫とは違って、菊を大いに気に入っていた明治の文豪の短文が目に入ったので、下に紹介する。
¶わか(若)ゆ=「若くなる。若返る。」(古語辞典)
□紫120:きくのつゆ わかゆばかりに そでふれて
はなのあるじに ちよはゆづらむ
□悠120:わたしには きくのわずかな つゆにして
はなのあるじは どうかちとせを
【資料 幸田露伴「花いろいろ」から「菊」】
菊は、白き、好し。黄なる、好し。紅も好し。紫も好し。蜀紅も好し。大なる、好し。小なる、好し。鶴翎[かくれい]もよし。西施も好し。剪絨も好し。人の力は、花大にして、弁の奇、色の妖なるに見《あら》はれ、おのづからなる趣きは、花のすこやかにして色の純なるに見ゆ。淵明が愛せしは白き菊なりしとかや、順徳帝のめでたまひしも白きものなりしとぞ。げに白くして大きからぬは、花を着くる多くして、性も弱からず、雨風に悩まさるれば一度は地に伏しながらも忽《たちまち》起きあがりて咲くなど、菊つくりて誇る今の人ならぬ古《いにしへ》の人のまことに愛《め》でもすべきものなり。ありあけの月の下、墨染の夕風吹く頃も、花の白きはわけて潔く趣きあり。黄なるは花のまことの色とや、げに是も品あがりて奥ゆかしく見ゆ。紫も紅もそれぞれの趣きあり。厭はしきが一つとしてあらばこそ。たとひおのが好まぬもののあればとて、人の塗りつけたる色ならねば、遮りて悪くはいひがたし。折に触れては知らぬ趣きを見いだしつ、かゝるおもしろさもありけるものを、むかしは慮《おもひ》足らで由無くも云ひくだしたるよ、と悔ゆることあらん折は、花のおもはんところも羞かしからずや。このごろ或人菊の花を手にせる童子を画きたり。慈童かとおもへどさにもあらぬやうなり、蜀の成都の漢文翁石室の壁画にありといふ菊花娘子の図かと思へど、女とも見えず、また獼猴[びこう]《さる》も見えねば然《さ》にもあらぬやうなりと心まどひしけるが、画ける人のおもひより出でたる菊の花の精なりと後に聞きぬ。若し其人菊をめづること深くして、菊その情に酬ひざるを得ざるに至り、童子の姿を仮りて其人の前に現はれしことなどありて後、筆をとりて其おもかげを写したらんには、一ト入[ひとしお]おもしろきものの成りたるならんとぞ微笑まる。
-悠山人注①出所は青空文庫。ただし、僅かに補正した。②[ ]は、私の挿入。現代表記。