image2006-0926
世間を憂しとやさしと思へども
飛び立ちかねつ鳥にしあらねば 山上憶良【万葉集 05-0893】
○短歌写真-山上憶良。
○生涯忘れることのない学恩。私には二人の I さんがいる。その一人(今月は誕生月。故人。)から、この「貧窮問答歌」の深刻さを教わった。ただ一回で脳細胞にぴたり張り付く歌は、それほど多くはないが、これはその一首。いつでも澱みなく出て来る。問答歌の最後に、「短歌」として紹介される。「貧窮問答」は、岩文版に「びんぐもんだふ」。それを知った上で、「ひんきゅうもんどう」可。以下、同版原文。
世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母
飛立可祢都 鳥■之安良祢婆
[■=「人」冠+「小」脚。Univ. of Virginia Lib. を見たら、単に「尓」]
¶やさし=岩文版は、語法は「霊異記」に関連か、とする。 <「優し」①身がやせ細るようだ。たえがたい。つらい。[用例としてこの歌] ②恥ずかしい。きまりが悪い。肩身が狭い。③優美である。上品だ。風流である。・・・>(旺文版古語辞典)
□よのなかを うしとやさしと おもへども
とびたちかねつ とりにしあらねば やまのうへの おくら
【写真】先日、パラグライダーのデモ・フライトで。
【古典ギリシャ語と万葉語法】いちどULしてから、読み直しているうちに、重大なことに思い至った。なぜ今まで気が付かなかったかと、自身に恥じ入る気持ちである。こうして書いておくことによって、自戒としたい。
「AとBと思へども」の構文であるが、直感的にしっくり来ないまま、専門家ではないので、何となくそのままにしておいた。意味は、今さら言うまでもなく、「Aと思っても、Bと思っても」だけれど、現代語にはこの用法はない。つまり並置語の双方に「と」を付けることはない。ところが、である。
現代の西欧語のかなりの部分が、ギリシャ~ラテン由来であることは、広く知られている。そのギリシャ語(希語。ここでは古典希語)でも、並置語を使う場合には、この憶良の語法と同じになるのだ。
万葉・・・AとBと
希語・・・kai A, kai B (ローマ字転写)
さらに付け加えるなら、少し遡れば希語では「,」さえもない。となれば、全く同じ、ということになる。不覚であった! で、思うのだが・・・。
このささやかなブログの読者諸賢、それぞれの道で豊かな学殖をお持ちの方、ぜひ専門外の分野にも鋭いアンテナを張っておいていただきたい、とあらためてお願いしておこう。