川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

泥んこも愉し・・・須田尚美

2007年09月18日 | 川柳
          現代川柳『泥』第三号

 池 さとし作品

 まずは、「湯豆腐」と「不発弾」。

       湯豆腐とまた越冬の話する
                      静かな男がひとり 不発弾

 この二章から発信される意味は理解できる。しかしそれだけでは伝習の範疇い留まってしまう。意味は分かってもらうこともさることながら、感動の伝達によるスピりットの共鳴こそが川柳のいのちではなかろうか。

           刃物研ぐ刃からたちまち風尖る

 工作のためではなく、あやめるために刃物を問いでいるのである。非日常の中で男はいくたびかこんな哀しみを重ねていく。作者はそれを「風尖る」と告白していて、その想いが直に伝わってくる。

          人間ドックイエローカード加速する

 勤務先の医務室であるいは病院で、いくたび「イエローカード」を出されたことであろう。しかも加齢とともにそのスピードは増していくのだ。せめてレッドカードが出ないことを祈ろう。

          木の瘤のユーモア月が目を覚ます

 いつもはむっつりしている「木の瘤」が、めずらしく洒落を吐いたのである。そのことに驚いたお月さんが目を覚ましてしまったのだ。さりげない一章であるが、なんともいえない諧謔が漂っている。

          生き死にのアドリブ泡と戯れる

 人生は泡のようなものであると書いた作家がいたが、作者は生死を「アドリブ」として泡と戯れているのである。このアイロニーは強烈。どのような泡と戯れるかは人それぞれであるが、大いに戯れてみることにしよう。
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泥んこも愉し・・・須田尚美

2007年09月18日 | 川柳
          現代川柳『泥』第三号

 日常をそのまま説明・報告している川柳もかなり見受けられるが、最近は暗喩そしてモンタージュを駆使した作品が目につくようになってきた。そのことによって川柳が難しくなってきたという声も聞こえてくる。

 かつて中村富三は「川柳という名に残されたものは技術だけである」と言っていたが、テクニックはたしかに変容しつつあるようだ。

        さて皆さんの作品と対話を試みることにしよう。

                青葉テイ子作品
まずは、「ホタル」の二章。

    満身創痍ホタルと風の逃避行
                   羽交いじめしたいホタルは風の中

 傷だらけの「ホタル」が見えてくる。しかし作者のモチーフが伝わってこないのは、言葉の多用と上句と下句の双方に熟語が使われていて、それが句を重くしているからであろう。
 それにくらべて羽交いじめしたい「ホタル」は、表現がすっきりしていて舞台が見えてくる。無駄のないレトリックと、よこしまな作為を弄しなかったのがよかったのであろう。

             てのひらに月を沈めて弾む毬

 いつかはと思っていた月を、てのひらに沈めることができたのである。目的は達成されたのだ。しかし「弾む毬」が常套で、せっかくの句が萎んでしまったようだ。

            雪に繋がれ雪に裂かれた裸身抱く

 喩としての「雪」であろうが、いろいろと想像をふくらませてくれる。繋がれそして裂かれた裸身を抱く情景に万感の念がこめられていて、素朴でひたむきな一幅の絵となった。

            雪炎えてあなたの声に縛られる

 雪が炎えていて北国の厳しい風土から熱い思いが響いてくる。そして「あなた」の声に縛られたヒロインの姿がくっきり浮かんでくる。

            恋歌のゆめはまぼろしの花まんじ

 心象風景の表白は難しいが、この句は「花まんじ」によっ光彩を放つことができた。そこに、おんなごころが凝縮されている。
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一茎一花・・・佐藤容子

2007年09月18日 | 川柳
        現代川柳『泥』三号

  闇へ手を伸ばす勇気をさくらから
                    落ちる種飛ぶ種闇はあざやかに
  懲りもせず闇の深さへ投身す
                    全身を隙なく洗う春の闇
  某日の奥歯どくんと闇を生む
                    わたくしの闇を磨いているつもり
  春昼の髪を鎮めんピンをさす
                    街は今もも色十指あそばせて
  はな浴びて人の臭いを薄くする
                    ふたたびの春へ構えてしまう肩
  桜からさくらを歩く疵ふせて
                    一茎に一花 明朗なる答え
  うしろから花見る癖も別離以後
                    一輪で満つ一室を城として
  強くなるために修飾語を払う
                    水仙の策一接続詞が並ぶ
  漢字から逃れ花屋の自動ドア
                    A4で足りる自伝をまだ書けず
  もう少しひとり遊びをしたい砂
                    人前で泣かぬポケットティッシュだよ
  醒めた手で少しきつめに縄をくくう
                    シャキシャキと過去着る未練なき鋏
  写経する最中を廃品回収車
                    きずはまだ乾かず他人を避けている
  言ってなお鎮まぬ海がある舌下
                    影のないふたりが逢うている日暮れ
  少しずつ忘れてほしい月おぼろ
                    ちちははとルビ打つ巨大なる壁に
  昼の星見ている山を出ぬカラス

           洩らさずに蛍の台詞聞き満る


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乱れ月・・・池さとし

2007年09月17日 | 川柳
             現代川柳『泥』第三号

キリストの頬幾条にも冬の滝
  鉛筆の先で大きくなる羽音
    ライトアップわが痩身は乱れ月
      音のないけむりが西へ行きたがる

         刃物研ぐ刃からたちまち風尖る
           ワープロの空から降りて来る天使
              湯豆腐とまた越冬の話する
                 静かな男がひとり 不発弾
                   人間ドックイエローーカード加速する

            薄目開けるとガーゼのような十二月

            波しぶき神の怒りの尾と思え
      白内障兆候カラスが飛んでいる
四Bに日の出のような闘争心
  体内の消えない石と縄のれん

    ダイヤモンドダスト耳が処刑されている
      くちびるを一輪月の滴にも
        ファインティンポーズ誇示する枯木たち
           生前葬の口上などを書き留める
             不法投棄氾濫いくども眼を洗う

                背もたれののっぺらぼうが寂びている
                      木の瘤のユーモア月が目を覚ます
                 気まぐれな鬼の悪戯きりとり線
            ひとつかみの星納骨堂に降りて来る
         生き死にのアドリブ泡と戯れる

     眼鏡の奥に優しい海を横たえる
 凹むのも人生また出る蜥蜴の尾
    綴じ紐の癖過去ばかり向きたがる
       日常をふっと抜けだす夢ひと夜

                   朝露は礼拝堂の少女の瞳

        真夜中の皮膚一枚が乞う眠剤


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ホタル・・・青葉テイ子

2007年09月17日 | 川柳
             現代川柳『泥』第三号

蛇口から零れるホタルてのひらに
羽交いじめしたいホタルは風のなか
裂けた傷口から無卿のホタル乱れとぶ

         あの日から夕日まみれの泣きボタル
         満身創痍ホタルと風の逃避行
         弾き語りホタルの声に溺れそう

                         ホタル身籠り死生観ひたひたと
                         因果応報一合の米しかと研ぐ
                         背負うた荷の重さにゆれている睫
貧者の一灯あれは鼓舞かも知れぬ
てのひらに月を沈めて弾む毬
柔らかな吐息黄金いろの未来
               無防備に笑った風のやわらかな
               未来見据えて哺乳壜ころがる
               雪に繋がれ雪に裂かれた裸身抱く

                        夕暮れてからから笑うわが土偶
                        雪炎えてあなたの声に縛られる
                        雪吊りの音ひっそりと炎を溜める
    まないたの窪みへ散らす死生観
    乱世を見据えたままの凍魚の目
    垂直にくるくちびるの淡き幻想

                恋うたのは夢まぼろしか花まんじ
                華になれシンフォ二ーの出だしのように
                鮭の首刎ねて禁猟区へなだれ込む

姉いもうとほろほろ吐くは劣性遺伝
蝙蝠になればことたるおんなです
                    可笑しさと淋しさ軽きわが右脳
                    シャワー全開ふわりふうわり背後霊

             波に揺られゆうらりゆらり 聖女
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ロボット今昔・・佐藤容子

2007年09月16日 | 川柳
      現代川柳『泥』第三号 佐藤容子

         こどもの頃、2003年に特別の期待感を抱いていた。

 笑われるかも知れないのだが、あの「鉄腕アトム」の誕生日が、2003年4月7日と言われているからだ。

 限りなく遠い、その未来は、想像することさえ容易ではなかった。しかし、その誕生日が着実に、目前に迫って来ている。

 今、アトムに近いロボットが、各分野で開発され、人間の手足となって活躍していることや、多少ではあるが、感情を表現し、心のケアに役立っているロボットも出現していることは確かなことだが、ハートを持ったロボットはもう少し先のことになりそうである。
 
 そういう意味では、残念だが2003年には、鉄腕アトムは、誕生できなかったことになるのかも知れない。

 それにしても、手塚治虫氏の想像力や思考力が、全くの空想ではなく、充分に現実的だったことには、改めて驚いてしまう。そしてあの頃、漫画を読み終えた後に、なぜか背筋がピンとなるような感覚が残っていたことなどを思い出すとき、そこには、彼が自然の保護、生き物への賛歌、科学文明への疑い、反戦などをテーマにして書き続けたといわれている姿勢に納得し、偉大な漫画家だったということを改めて再認識してしまう。
 
 面白く、滑稽なはずの漫画にメッセージをプラスし、さらに奇想天外な発想を繰り広げた、手塚修虫ワールドのキャラクターの面々が今は懐かしい。

 テーマを持ち、それを表現することは、川柳にも共通することであるし、可笑しさや、滑稽が求められているという点では、漫画も川柳も相通じ合うものがある。

 しかし、楽しませることや、笑わせることが、いかに難しいことであるかは、すでに周知の通りである。

 2055年、アトムは、ロボット博物館の展示品となっているのだが、その頃、どのような川柳が存在しているのだろうか。人間が、人間としての感情を維持しているのだろうか。

 ハートを持ったロボットたちが、こころの機微を川柳に詠んでいるのだろうかなどと、童心になって思いを馳せているみるのだが、貧しい想像力からは、豊かな発想は浮かんでこない。

   五十年後の川柳を考え、五十年前の川柳と、今の川柳を見つめてみる・・・。

    生命の賛歌が時空を超えて聞こえてくるような気がする。

 例え、時代が変わろうと川柳の未来に、限りない夢と希望を持ち続けていたいものである。

 
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鳥のような目で

2007年09月15日 | 川柳
   現代川柳『泥』第三号 青葉テイ子

 いささか禅問答めくが、いまを生きる。
 革新とは、いまを否定して生きる。変わるもの変わらざるものの本質を見極めながら・・。

 六回と限定しての『泥』個と個がまともにぶつかり合う・・・ある意味で、正念場に立たされた感の三号かも知れぬ。所詮は、読者あっての『泥』そんな視点に立って、見えるもの、見えざるものに支えられながら、号を重ねてきたように思う。

 爽やかな風は、昨年秋さなかに届いた。
 作品鑑賞は誰のため、句集散策は誰のため、とかく、通俗的な方向に流され易い柳誌への何か、を示唆してくれた一文だった。

 熱烈な読者のこの気迫に圧倒された。
 嬉しいとも思う。
 真摯に耳傾けようとも思う。
 読者におもねることなく凛と立つ。『泥』。
おのが信じる川柳の岐立を再確認する。

 鳥の目のように、足音を確かめながら遠くを見て、川柳の未来を語ろう。
自らの価値観に向かって、いまだ思考錯誤のど真ん中です。


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現代川柳『泥』第二号・・・ミミズの考察

2007年09月13日 | 川柳
 創刊号『泥』の重厚さから、打って変わって第二号は、急にお日様が降り注いで嬉しさを隠し切れない三本の「泥の木」の葉音、言の葉である。

 泥流地帯から・・「陽を抱く」 池さとし氏の連句のタイトルがすべてを物語っているように思えます。

 アルカイックな風・・「風のバラード」 青葉テイ子氏のエッセイにタイトルが心地よく連動されているところからも窺い知ることができます。

「創刊号を配布して、こんなに良い反響が返ってくるのを予測しておりましたか?」の私の質問に、さとし、テイ子ご両人は「まったく、予想だにしていなかった」と、口を揃えて答えて下さいました。

泣いてはならぬ吠えてはならぬ泥流地帯     池 さとし(柳暦50年)
画鋲二個支えきれるかわが矜持         青葉テイ子

 私には、お二人の現在地の胸中を推察することも、窺い知ることも僭越な気がします。お二人にしか解らない、『泥』のスタートの偽らざる胸中がこの二句に集約されていると思います。きっと身震いするほどの・・何かがあったことだけは、肌で感じるミミズではありますが。

 本物の黒光りのイメージが池さとし氏だとしたら、ラテン系の情熱の赤が良く似合う青葉テイ子氏である。

 それに比べると、佐藤容子氏は・・「陽が射すと咲こう咲こうとする仏」「気負うなと言う兄がいて春風船」と喜びに溢れているような句の趣である。
これが何を意味するのか・・私にはずーっと腑に落ちない何かがあった。

 テイ子氏に『泥』の発刊までの経緯を少し窺って、やっと腑に落ちたのである。
それは、この誌を創ろうと切に願いつづけたのも、池さとし氏の思想・哲学・句作の実力者
から、学びたいという容子氏の句に賭ける向上心が、池氏にお願いしてもなかなか良い返事がもらえず、それでも諦めなかったが故の『泥』誌の誕生であったそうです。

 容子氏の『泥』は、彼女の夢を諦めなかった所産とも言えるのでしょう。

 そのかいあって、五呂八誌上全国大会総合一位の実力を手中に納め、日本の川柳人を代表する北海道生まれの川柳人となったのです。(詩性川柳の難しい登竜門です)

 [今まで生きて来て『泥』に明け暮れていた三年間がもっとも充実していました。」とは容子さんが生前、何度も口にしていた言葉であったようです。

『泥』第二号の容子作品は、さとし氏から学んだ句が色濃く反映されているように思います。

そして、第二号に特徴的なのは、三人三用の「実力磨きの」『泥』の布石が随所に表出されていることではないでしょうか。

毎号、毎号、泥に送られて来る感想に、目を向け、耳を向けあえてご自分達が同業者の「言葉」によって、成長して行こうする「泥樹」。吉田州花さんのお三人を知る視点で
アドバイスをしていらしたのが、とても微笑ましかったです。

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現代川柳『泥』・・・執筆者のご紹介

2007年09月10日 | 川柳
          墨 作二郎(すみさくじろう)  堺市在住

 大阪府堺市生まれ。(点鐘)主宰。常にこれからの川柳を探求し、新境地ともいえる吟行作品で活動する。句集に「跡」「墨作二郎句集」「遊行」「代折羅」など多数ある。

          稲月蛍介(いなつきけいすけ)  室蘭市在住

        自営業。社団法人俳人協会会員、俳誌「アカシア」
        「青芝」の無鑑査同人。青芝賞、アカシア賞受賞。
       著作に「巴里祭の牙鳥」など。他に手作り版画帳を多数。

         西秋忠兵衛(にしあきちゅうべい)千葉市在住

 京都市生まれ。立命館大学卒業、1989年、川柳公論入会、1990年、点鐘の入会、かもしか、杜人、遊の会、短詩サロン参加、社会派作家自由詩人として活躍中。

            吉田州花(吉田州花)青森市在住

 1976年より川柳を始める。かもしか川柳社幹事、青森文芸協会理事、「花影」「雪舞い」「転がる栗」などの句集がある。華のあるナイーブな作品で活躍する。



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散隔情誼

2007年09月08日 | 川柳
             現代川柳『泥』二号

◎予想だにしなかった、実に多くの方々からの、もろもろの応援歌に、驚きを感じながら も久々に熱い血の流れに浸れた、ここ数ヶ月間であった。と同時に、それはまぎれもな く第二ステージへのプレッシャーにも似た、巨大な壁でもある。
  一冊一冊に全力投球の思いがあって、三年間という限定をしてのスタートであったが 、このことへの多くの好意的な反応も、嬉しいことのひとつであった。できるだけ欲張 っての泥まみれの一冊でありたい。(さとし)

◎無から有を生み出すことの難しさを痛感。辛口甘口の創刊号のご意見を貪欲にも血肉に して、と考えていたのに、時間があるようで無いような不確かさ。未消化のまま第二ス テージの緞帳があがった。これでいいのかと自問しきり・・・。潮騒のように聴こえて 来る温かいエールを支えに愚鈍な脳細胞をハンマーで叩いてみる。空虚な音、はたま  た”がんばれ”のエールか。胸に巣喰う鬼どもに問うてみたい。逡巡の二文字とたたか いながらの第二号をお届けします。(テイ子)

◎少人数だからこそのメリットをたっぷりと味わいながら二号が出来上がった。川柳が好 きだから川柳を知らない人達にも是非読んでほしかった。柳界だけを流離う誌にはした くなかった。その結果(と言うには早すぎるけれど)確かな手応えを感じている。率直 な意見の交換が持てた。そして不思議なことがひとつ・・・。それは作品が分からない と言った川柳人と、作品が良く分かると言った異ジャンルの人。この事をどのように考 えるべきか。この辺にこれからの川柳界のテーマがありそう。(容子)

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