つれづれ写真ノート

   カメラと写真 そして世の中の色々なこと---

東京散歩 レトロ&イルミ Part 2

2016年12月14日 | 風景・建物

総合写真展

総合写真展」( 東京・上野公園、12/6~12/11)は平成9年に発足した全国規模の公募展。今年で20年目を迎えます。

20年前といえば、一般的にはフイルム写真のころですから、現在のデジタル全盛時代まで、ずいぶん長く続いてきたものです。

節目の年の開催として、歴代の最上位作品が掲示されていました。

 

 

今回、第20回の最上位作品(内閣総理大臣賞)は、カナダ ・ ホワイトホースのオーロラを撮ったもの。

(ウ~ン、カナダのオーロラとは… 個人的には、そういうお金のかかる大変な撮影旅行はできそうにありません。)

 

国内の手近な場所で神事を撮った、私の作品は「優秀賞」でした。

昨年と同じですが、副賞の「エツミ賞」(カメラバッグ)を頂くことになったので、一応満足々々。

 

しかし、会場を見渡すと、世の中には上手な写真を撮る人が一杯いるもの。勉強になります。

 

このあと、レトロ建築を撮りに丸の内へ。

 

丸の内レトロ

丸の内では2000年前後から、レトロな建物を保存しつつ高層ビルを建設するケースが相次いでいます。

レトロ建築の一部を外側に残し、中心には高層ビルがそびえ立つという光景。古い建築物がかもしだすノスタルジックな味わいが面白いです。

 

丸の内。皇居と東京駅を一直線につなぐ行幸通りは幅73m。

この広さ、やはり東京はすごいな… 

 

新生「丸ビル」(2002年竣工)。このビルから、三菱地所主導による丸の内地区の再開発がスタート、今も周辺を含めたエリアで開発は続いているとのこと。

 

日本工業倶楽部会館。

大正9年(1920年)に、当時の実業家の財界活動の場として竣工。

2003年、三菱UFJ 信託銀行本社ビル(後方)と一体化する形で部分保存されました。

 

 「セセッション様式」というらしいです。アール・ヌーヴォーの一環で、平面と直線を多用するのが特徴とか。

 

屋上には当時の産業(石炭と紡績)を表す、ハンマーを持った男性と糸巻きを持つ女性の像。

 

東京銀行協会ビル(旧東京銀行集会所) 。

大正5年(1916年)竣工の煉瓦造りの建物のうち、2 面の外壁を残し1993年、 内側に新築のビルが建てられました。ファサード保存という保存形式のさきがけと言われます。

 

装飾がこらされた煉瓦造りと無機的な現代建築。違和感はありますが、「おやっ」と思わせて面白いです。

 

三菱一号館。後方は丸の内パークビル。

 

この三菱一号館は、丸の内の歴史を語るうちで欠かせない建物。

明治維新で、江戸城に隣接する大名屋敷が撤去、一時陸軍練兵場に使われたあと、広大な原野となった土地の払い下げを受けたのが、三菱財閥・岩崎彌太郎の弟、彌之助。ときに明治23年(1890年)のこと。10万7000坪余り、130万円だったそうです。

明治27年(1894年)そこに建てられた三菱一号館は、日本初の本格的オフィスビル。その後イギリス・ロンドンのような煉瓦造りの建物が次々に建てられ、やがて現在のビジネス街・丸の内につながっていきます。

 

三菱一号館はその後、昭和の高度経済成長期(1968年)に解体され、姿を消してしまいましたが、三菱地所の「丸の内再構築事業」として2009年に、元のジョサイア・コンドルの設計通り復元。翌2010年「三菱一号館美術館」としてオープンしました。

同じ敷地に建つ丸の内パークビルとの間には木々が茂る憩いの広場もあり、とても雰囲気の良い場所です。

 

三菱一号館美術館」に併設されている「カフェ1894」。


「1894 」は、三菱一号館が建てられた年ですね。

 

カフェ1894」の入り口。

 

カフェ1894」の内部。創建当時の銀行営業室を復元しています。

 

なんと素敵な空間…

できればここで一服したいところでしたが、駆け足の旅で時間がなく、開催中の展覧会「拝啓 ルノワール先生」とともにパス!(残念)。

 

代わりに、「三菱一号館 歴史資料室」をさらっと見てきました。

三菱一号館歴史資料室。

 

明治時代のビジネスマンはこんな格好。

 

とはいえ、着物の人もいたようです。

 

三菱一号館の模型。

 

古い時計。さきのオフィス風景に写っていたのと同じ時計かな?

 

丸の内を取り上げた文学作品の数々。高浜虚子「丸の内」、岡本かの子「丸の内草話」、秦豊吉「新丸の内夜話」など。

 

丸の内パークビルにある低層階の商業施設「丸の内ブリックスクエア」の入り口。

 

三菱一号館美術館」(右)と「丸の内ブリックスクエア」の間にある広場。

クリスマスツリーが飾られ、夜のイルミネーションもきれいでした。

 

こちらはすぐ近くの明治生命館。後方は明治安田生命ビル。

 

昭和9年(1934年)、もとあった赤煉瓦の三菱二号館(明治28年竣工)を解体して建てられた重厚な建物。

これまで見てきた他のレトロ建築と違って、部分ではなく全体が保存され今もオフィスとして使用。昭和建築で初めて国の重要文化財に指定されました。

 

皇居外苑に面して建つ明治生命館

 ← クリックで拡大します。

荘厳なコリント式列柱の柱頭にはアカンサスの葉模様の彫刻。岡田信一郎設計による古典主義様式の傑作とのこと。


明治生命館では以下の通り内部の一般公開をしており、ここを見学するのも旅の目的でした。


 【土・日曜】11:00~17:00  1 階店頭営業室(丸の内お客さまご相談センター)、2 階会議室・応接室・食堂などの諸室(公開エリア参照)。
 【水・木・金曜】16:30~19:30  1 階ラウンジ、2 階資料・展示室、会議室、健康相談室、応接室のみ。

訪ねた日は水曜日だったので、一部のエリアを見られただけでしたが、それでもなかなかのもの。

 

明治生命館 1 階 ラウンジ。豪華ですね。

 

1 階 ラウンジ。

 

2 階 応接室。
 

もうひとつの、こじんまりした2 階応接室。

 

2 階 会議室。

明治生命館 は戦時中の空襲被害を免れたため、戦後GHQが接収。アメリカ極東空軍司令部として使われました。この会議室は、 米・英・中・ソの4 カ国代表による対日理事会の会議が連日行われたところです。

占領下の、重苦しい時代のイメージが重なりそう…

明治生命館 がアメリカ軍から返還されたのは昭和31年(1956年)。例によってアメリカ式のペンキまみれになっていた内部を修復、戦時中の金属供出で失われた部材も元通りに復元したそうです。

 

会議室の天井。

 

天井の装飾はアカンサスの花模様。

 

会議室の暖炉。

暖炉といっても、火をたくための設備ではなく、空調の吹き出し口だそうです。

おっと、監視カメラがありますね。重要文化財なので当然かも。

 

渋く、手の込んだ床の文様。いまやこういう装飾を使うことは稀でしょう…

 

2 階の回廊から、吹き抜けの1 階ロビーを見渡したところ。

 

回廊の天井照明。

 

重厚で美しい装飾。

 

大理石と思われる柱の彫刻。

 

クラシックな照明ランプ。

 

資料・展示室も見てきました。明治生命館 の歩みパネルには、元あった三菱二号館の写真(上)も。レンガ造りの趣ある姿。これを壊したのはちょっと惜しかったかも、です…

 

明治生命館 の設計者・岡田信一郎について解説したパネル。

大阪・中之島の中央公会堂のコンペで一等を取って一躍名を馳せ、「様式建築の名手」と称されたそうです。

 

ドラマチックなくだりもあったので、以下、一部を抜粋させてもらいます。

『 …こうした岡田の建築思想の集大成ともいえるのが明治生命館です。しかし、着工間もなく病に倒れた岡田は、その完成を見ることなく、昭和7年(1932)4月4日、48年の生涯を閉じました。現場を16ミリフィルムで撮影させ、病床から指示を与えたという岡田の情熱は今も語り継がれています。』

 

岡田が見て病床から指示を出したという、その16ミリフィルムを編集した映像が流れていました(手前)。

壮大な建築物を作ろうとする、この時代の人たちの気概に満ちた表情が印象的。

 

志なかばで急逝した岡田に代わり、弟の岡田捷五郎が設計監督に就任。昭和9 年(1934年)、明治生命館は竣工しました。

 

壁には、柱頭のアカンサスの葉飾りが原寸大で描かれていました。人の背丈以上ある、大きなものでした。

 

丸の内のレトロ建築としては、あと「DNタワー21 」(旧第一生命館)があります。

疲れたのと時間が遅くなったため、残念ながら今回は撮れませんでした。皇居のお濠に写る姿が良いそうですが…

 

続きは次回に。

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撮影カメラ・レンズ

   キヤノンEOS 6D

    EF24-105mm F4L IS USM

   EF16-35mm F4L IS USM