「ホテルニューグランド」の本館1階には、歴史をしのばせるフォトギャラリーがありました。
「ホテルニューグランド」のフォトギャラリー。
大正15年(1926年)に起工、昭和2年(1927年)に開業したホテルの歴史が、写真や当時の新聞記事などで紹介されています。
開業にあたり、パリから招かれたスイス人のサリー・ワイル初代総料理長を紹介するパネル。
ア・ラ・カルトメニューや形式にとらわれないグリルというスタイルを導入。日本の西洋料理に大きな影響を与えたそうです。
当時のメニューには「コック長は此のメニュ以外の如何なる料理にても御用命に応じます」との説明付き。
どんな料理でも作れるという自信、なかなか言えることではありませんね。ある日、体調を崩した銀行家から「何か喉に通りのよいものを作ってほしい」と言われ即興で作ったのが「小海老のドリア」。その後「ドリア」なる料理は全国へ広まることに… 同ホテル発祥の料理のひとつです。
ワイル氏のもとで修業、2代目の総料理長を務めた入江茂忠氏のパネル。
「ホテルニューグランド」発祥で、ポピュラーになったもうひとつの料理「スパゲッティ ナポリタン」を考案した入江氏ですが、修業時代は相当苦労したことが書かれています。
ワイル氏から「日本人がフランス料理を極めたいのなら、味噌汁や漬物を食べてはだめだ」といわれ、長年のあいだ味噌汁や漬物を絶っていた… とか。
戦後半世紀にわたって同ホテルの総料理長を務め、テレビの料理解説をしたり、東京オリンピックでは女子選手村で全国から集まったコックを指揮しました(男子選手村は帝国ホテルの村上信夫料理長が担当)。
部屋で見た「ホテルニューグランド」のルームサービスメニュー。
ルームサービスといっても種類が多く、充実しているなと思ったら、料理の伝統があるホテルだったんですね。
「当ホテルが発祥の料理」として、ちゃんとスパゲッティ ナポリタン、シュリンプ ドリアが載っていました。
再びフォトギャラリーのパネル。
終戦とともに、同ホテルは進駐軍に接収されてしまいます。
昭和20年(1945年)8月30日、マッカーサーは315号室に、イギリス、フランス、中国など連合軍首脳もそれぞれの部屋に収まり、ホテル全体が第一期の連合軍司令部と化します。
接収が解除されたのは昭和27年(1952年)。喜びがあふれる当時の新聞記事が使われています。
進駐軍時代に生まれた食べ物も。
甘いものが好きなアメリカ人のために、プリンとアイスクリームや果物をたっぷり舟形のガラス器に持ったデザート「プリン・ア・ラ・モード」。これも同ホテルから全国のカフェに広まったもの。
ところで、私が食べたものと言えば…
ホテルの朝食バイキング。(タワー館5階の「ル・ノルマンディ」で)
本当はもっと色々なメニューが用意されていたのですが、とかく旅行中の朝食は食べすぎて体調を崩すことが多いので、控えめにしました。
その代わり、コーヒーのおかわりをして、新聞を読みながらゆっくりと。港を一望できる、眺めの良いレストランでくつろぎました。
料理自慢でクラシックなこのホテルに来たのなら、本格的なフランス料理、あるいは英国調の重厚なバ―「シ―ガーディアンII」などを経験した方が良かったかな、と後になってちょっと口惜しく思いましたけど…
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関連サイト
・『ホテルニューグランドの歴史』(同ホテルのPDFファイル)
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撮影カメラ・レンズ
キヤノン EOS 6D
EF16-35mm F4L IS USM
ソニーRX100
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