名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

恐怖の体験・・白ウサギ、若かりし時の出来事・・

2016-07-03 | 宗教

私が20歳の頃(今から31年前)
奈良大和路に魅了されていました。

当時、毎年、4~5回は通ったと思います。

奈良に行ったとき必ず、
大神神社(おおみわ神社)を参拝し、
この神社の御神体である、
三輪山を眺めるのが至福の時でした。

三輪山山麓に桧原神社という神社があります。

この神社のある場所は、
「 倭笠縫邑伝承地 」と呼ばれています。

「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」とは、
現在の伊勢神宮(内宮)に祀られている天照大神を
初めて宮中の外でお祭りした場所です。

この地こそ、現在の伊勢の神宮の出発点であると感じます。

桧原神社の境内からは、大和盆地の景観が一望できて、
この地に立つと、
「 大和は国のまほろば・・・」
の歌が心の中に響いて来ます。

大和盆地の反対側には、
生駒山系がそびえています。

生駒山、信貴山は、
修験道系・密教系の霊場が点在していて、
日本有数の霊山としてもその名が知られています。。

私はそれまで何度も奈良に訪れていたのですが、
生駒山の方面には一度も足を踏み
入れることありませんでした。

理由は分かりませんが、
私には相性が良くない土地だと思えたからです。

そんなある日の事、
なぜか、フト思いつきました・・・

生駒山に行ってみよう・・・・

生駒山中にある、x寺というお寺には宿坊があり、
格安な値段で宿泊できあると云う事を知りました。

安いことも魅力でしたが、
好奇心のような感覚もあり、
その寺で、泊めて頂く事にしました。

この寺は、役行者が開山したお寺で歴史の古いお寺でした。

対向車が来たらすれ違うこともできない、
曲がりくねった細い山道を車で登って行くと、
いかにも役の行者が好みそうな場所に、
xx寺がありました。

掃除や庭木の手入れなども行き行き届いた、
立派なお寺でした。

寺にたどり着くと、日が暮れ始めれいました。
夕暮れの濃い霧の中に本堂が浮かんでいました。

独りぼっちの私の目には不気味な光景に映りました。

ほかに宿泊客がいると思っていたのですが、
私以外誰もいませんでした。

どう訳か分かりませんが・・
今日は、寺にいるのは住職ひとりだけの様子。

臆病な私は心細くなってきました・・・

夕食は、住職が鶏鍋を作ってくださいました。

鶏のひき肉に卵を加え作った鶏団子が沈んでいて、
ネギがたくさん入っている、シンプルなものでした。
(これはスキ焼と云うのかもしれません)

不平を言っては失礼ですが・・・
まったく味の無い汁でした・・・

住職は、これに醤油を加え、スプーンに
山盛りの砂糖を加えて、
美味しそうに食べてお見えになりました。

薄暗い本堂の密教の護摩壇の横で、
住職と2人でほとんど会話もなく、黙々と食べました。

そのあと、住職は住処に帰り、
私は離れの宿坊で一人になりました。

物音ひとつしない、無音状態。
テレビもない。

気味が悪く、怖くなってきたので、
寝るのが勝ち!!と思い、
8時くらいに布団にはいりました。

そのあと・・・
恐怖の一夜が待ち構えていたのです・・・

布団に入って目を閉じると、
何やら、只ならぬ気配を感じる・・・

数人の人にジッと見つめられているような感覚・・・
四方八方から視線を感じる。

怖くて、頭から布団に潜り込む。
眠れない。

恐怖のあまり、
布団の中に潜り込んでも、視線を感じる。

住職に助けを求めに行こうと思っても、
布団から出て、真っ暗な本堂を通り抜け、
住職が寝ていると推測されるお堂まで
歩いてゆく勇気もない。

じっと耐え続けていたら、
今度は小便がしたくなってきました。

強い尿意を感じるも、更に強い視線を感じる。

やはり怖くて布団から出ることができない。

尿意が更に睡眠を妨げる。

結局、夜が明けるまで一睡もできませんでした。

長い夜が明けました・・・

住職と2人で朝食を食べました。
そのとき、住職に昨晩の事を話しました。

住職は笑うだけでした。

そこで私が尋ねました、
「 幽霊は存在しますか? 」

住職、ニッコリ笑って答えました・・・

「  そんなものは存在しません、
怖いと思うから怖いだけですよ  」
・・・・
修験道系の密教では、
護摩壇の前での加持祈祷は必須で、
その場合、加持祈祷を受ける人には、
頻繁に憑依現象が起きているはずです。

それに、この寺に住んでいれば何らかの体験を
しないはずがありません。

浄土真宗系ならば、基本的には霊魂の存在を認めていないので
霊的現象を否定されたとしても不思議ではありませんが、

この寺は、役行者の開山した寺で、
現在は修験道系の密教寺院です。

それでも敢えて否定されるところに
深い意味があると感じます。

今になって思うに、
これは修験道で言う、「 行試 」(ぎょうためし)

あのとき体験したことは、霊や魔物の仕業ではなく、
そういう「 現象 」を通して、
役行者が私を「 試した」 のだと思えます。

今思えば・・・
あのとき、私が取るべき最も適切な対処方法は、
迫り来る只ならぬ気配と、四方八方から注がれる
強い視線に対して、
ニッコリ笑って

注目して頂けて光栄です!!

歓迎して下さって有難うございます

というべきだったと思います。

コメント
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