(岐阜の和傘)
昨日はzoom句会の事。
今日は最初に入った句会の先生の事。
ずいぶん昔、昔の事。鬼がきいたら カンラカンラと笑うに違いない。
田舎の神社で行われていた句会。
誘われてしぶしぶ、仕事の忙しい夫の代理で出席をしたのが始まりだ。
先生は、富安風生さんのお弟子さん。
その時は富安風生さんが、、、、知らなかった。
先生は、風生さんが郵政省の事務次官だった時の秘書官だった。
今では、次官の地位も秘書官の地位も少しは把握ができるが、なあ~。
秘書官を勤めるうち、周囲から、そろそろ俳句会にも出席をしなさいとの事。
先生の問わず語りの面白可笑しい夜話をいくつも聞いた。面白かった。
俳句サロンだったのだ。
宮司さんは京都で絵を学び、奥様はお茶の先生。
そんな句会の集まりだった。
まあ、先生は立派な官僚の人生を終えた中で俳句が生涯を通じて残った財産だと、いつもおしゃっていた。
(千鳥掛け。傘を開くと、色とりどり糸で傘骨に刺した模様が浮かぶ)
面白かった。手を取り足を取りの添削や指導をして下さった。
先生は風生さんのお供で虚子さんの句会に出たころが、自慢であった。
俳句の結社を作る、力は無かったのだろう。
朝日新聞の地方版の選者が最後の俳句の仕事だったようだ。
今になると少し古臭い俳句だった。、、、が私にとっては千金に値をする、俳句の生き字引だったような先生であった。
虚子さん、風生さんだ出てくると、想像どおり、時代が遡る。
私は先生の最後の弟子だったに違いがない。
文法だ。古典だ現代だ。
そんな事にはお構いのない楽しい句会であった。
夫の転勤、私の仕事、句会のあった場所(夫の実家があった所)を離れてからの、あっぱぱな私の半生。
今は終活の生活に入っている。
来年の私は想像ができないような毎日。
しぶしぶ夫の代わりに出た俳句の会。それがいまでは私の生活の楽しみになっている。
🍂 明日植うる藍の宵水たつぷりと 豊川湘風
📚 生身魂の条件たつぷりアッパッパ 葉
私も生身魂になった。
湘風先生に初めてお目にかかった年齢になっている。