過去は変えることができないけれど、過去の意味は変えることができる。
「梯 實圓氏(かけはし じつえん)日本の仏教学者・僧侶」
大阪水曜ほっと集談会一世です。
森田の学びを続ける中で過去に対する見方が少しづつ変化してきたような気がする。
神経質性格を肯定出来るようになったからかもしれない。
さて今年35年目のサラリーマン生活が、まもなくスタートする。
どうしてもやってみたいと思い転職して、現在の仕事に就いて30年になる。
好きな仕事ではあったが、その間心折れそうな日々は一度や二度ではなかった。
プレッシャーで押しつぶされそうになり寝られない日もあった。
しかし他の仕事では得られない感動的な体験や感謝の言葉もいただいた。
辛く苦しい思いしかないと思って来たが、今は何一つ無駄なことはなかったと思う。
大阪に単身赴任をしたことで、現在の大阪水曜ほっと集談会に出会い心の交流が出来た。
仕事で嫌々覚えたオンラインを活用することでコロナ禍の中でも集談会を開催できた。
親子ほど離れた社員と仕事をする中で、まったく違う価値観や子供の気持ちを少しは理解することが出来た。
あんたは、まっすぐな人やなと白か黒かの極端で融通が利かない性格傾向を指摘され悔しい思いもした。
しかしそのことにより自分の偏りに気づかされた。
神経質のため、びくびくはらはらの行動ではあったが、軽率に動くことにより取り返しのつかない重大な問題を引き起こすこともなかった。
森田の学びにより職場でも人間観察をするようになり、人をうわべの肩書や地位で判断しなくなった。
何よりもひどく落ち込むことで、人の気持ちが少しわかるようになった。
森田先生は神経質者の心の転換のもたらす結果についてこう述べられている。
人を満足させ、人の便利を考え、人を幸せにするためには、自分が少々悪く思われ、間抜けと見下げられてもしかたがない、というように大胆になれば、初めて人からも愛されるようになり、善人と言われるようになるのであります。
どこまでも、愚鈍なくらい神経質であり続けたいというのが、今の私の心境である。
2021・2・20
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