大阪水曜ほっと集談会一世です。
時々集談会で、私は森田療法で完全に治ったとか悟ったというオジサンに出会う。
私の言うことを聞けばあなたも救われると。
思わずあんたは森田先生か?
と突っ込みたくなる。
共通しているのは、自己内省力の衰退と想像力の欠如である。
元気になられたのは結構だが、私は声を大にして言いたい。
余計なお世話じゃ。
それはあなたの人生の成功体験であって私の人生ではない。
私は本質的な意味で、人は人を救う事などできないと思っている。
自助グループ活動に於いて自分にできることの限界を知っておくことは、大切ではないだろうか?
誤解しないでいただきたいが、集談会での森田の学びと寄り添いや優しい言葉で立ち直り、元気になられる方が有るのは事実である。
私もその一人である。
しかし誰かが救ってくれるというのは幻想である。
自己紹介や体験談を聴く中で、自分で自分に気付き自分が変わろうと思うかどうかである。
また腑に落ちる時期、タイミングもある。
森田先生は、啐啄同時(そったくどうじ)と表現されている。
元々禅語(仏教用語)である。
※師と教えを受ける学び人との呼吸がぴったり合う事。
※卵から孵化しようとする雛と親鳥が卵を突くタイミングが同時であることの例えから用いられる。
どんなに愛する人に恵まれようと、私たちは一人で生まれ一人で死んでいく存在である。
自分の人生は自分で引き受けるしかないのだ。
私が私を救うのだ。
他は是れ我にあらず!
2021・2・26 一世